気まぐれ女神と異世界日記

ムラサメ

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異世界転生

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横断歩道を渡る、赤いランドセルの小さな背中。
 遠藤マコトは、その後ろをぼんやりと歩いていた。不意に、信号を無視して突っ込んできたトラックの轟音が響く。
 マコトが気づいたときには、巨大な鉄の塊が少女のすぐそばまで迫っていた。

​「危ない!」

​ 思考よりも先に足が動いた。
 少女の体を力一杯突き飛ばした直後、マコトの視界は激しい衝撃と共に暗転した。
 最後に脳裏を掠めたのは、「ああ、今月の支払いどうしよう」という、あまりにも下らない雑念だった。
​ ――ガシャッ、と。
 乾いた音がして、世界から色が消えた。
​ 激痛すら一瞬だった。
 次にマコトが目を開けたとき、そこは真っ白な空間だった。病院の天井ではない。床も壁も、境界線すら存在しない無窮の白。
 
「あーあ、死んじゃったね。残念だったね。でも、偉かったよ?」

​ 頭上から、鈴を転がすような、けれどどこか他人事のような声が降ってきた。
 見上げると、そこには豪華な装飾の椅子に座り、退屈そうに自分の爪を眺めている美女がいた。透き通るような銀髪と、星を閉じ込めたような瞳。その存在感だけで、マコトは彼女が「人間ではない何か」であることを理解した。

​「……君が、神様なのか?」

「正解。正確にはこの世界を管轄してる女神だけどね。マコトくん、君の最期、とっても面白かったよ。自己犠牲なんて今時流行らないのに、あんなに綺麗に轢かれちゃうなんて」

​ 女神はクスクスと笑った。マコトは、自分を死に追いやった出来事を「面白い」と評されたことに、怒りよりも先に言いようのない脱力感を覚えた。

​「それで……俺はどうなるんだ。天国か、地獄か」

「どっちも満員。だからさ、君に特別に『新しい人生』をプレゼントしてあげようと思って」

​ 女神は椅子から飛び降りると、マコトの鼻先に顔を近づけた。甘い、けれど脳を痺れさせるような香りがする。 

​「異世界転生、ってやつ。憧れてたでしょ? 魔法があって、魔王がいて、可愛い女の子がたくさんいる世界。私の気まぐれで、君をそこに送ってあげる」

「……異世界」

「そう。でも、ただ送るだけじゃつまらない。だからこれ、持っていって」

​ 女神が差し出したのは、一冊の古びた日記帳だった。表紙には何も書かれていないし、ページをめくっても全て白紙だ。

​「それは『異世界日記』。君がその世界で経験したこと、感じたことを書くためのもの。……でも気をつけて。そこに書いたことが、君の現実を少しずつ変えていくかもしれないから」

​ 女神の瞳が、一瞬だけ怪しく光った。

​「えっ、どういう意味だ?」

「それは行ってからのお楽しみ! あ、言い忘れてたけど。君に授けるチート能力なんだけどね、私の気分で決めちゃった」

​ 女神が指をパチンと鳴らす。その瞬間、マコトの足元に巨大な魔法陣が浮かび上がった。

​「君の能力は――『死なない程度に不運』。頑張って生き抜いてね、マコトくん。君の日記、楽しみにしてるから!」

​「ちょっと待て! なんだその不穏な能力は――!」

​ 叫びは白い空間に虚しく溶け、マコトの意識は再び暗転した。
​ ――頬に触れる、冷たい感覚で目が覚めた。
 目を開けると、そこは深い森の中だった。見たこともない巨大なシダ植物が茂り、空には二つの月が浮かんでいる。

​「……本当に、異世界か」

​ マコトは身体を起こした。体は以前よりも軽く、二十代前半の頃のような活力が戻っている。
 横を見ると、女神から渡されたあの日記帳が落ちていた。
​(不運……とか言ってたな、あの女)
​ 立ち上がろうとした瞬間、足元の枯れ葉に滑り、マコトは派手に転んだ。

「痛っ……」

 さらに、転んだ拍子に近くの木の枝を折ってしまった。すると、その木に巣を作っていたであろう、掌ほどの大きさがある毒々しい色の蜂が、一斉に飛び出してきた。

​「うわあああ! 初っ端からこれかよ!」

​ マコトは必死に走り出した。
 転び、木の根に足を引っ掛け、泥まみれになりながらも、なぜか蜂の一刺しを受けることはない。文字通り「死なない程度」の不幸が、彼を襲い続ける。
​ ようやく蜂を撒き、川のほとりで息を整えていた時だった。
 マコトは何かに導かれるように、あの日記帳を開いた。

​『第一日目:異世界に来た。女神は性格が悪かった。蜂に追いかけられた。』

​ 鉛筆もないのに、指でなぞるだけで文字が浮かび上がった。
 すると、日記のページが淡く光り、追記が勝手に書き込まれた。
​【報酬:蜂の毒に対する微弱な耐性を獲得しました。代わりに、今日はもう一度だけ転びます。】

​「……ふざけんな!」

​ マコトの声が、異世界の森に響き渡った。
 その直後、彼は何もない平地で、やはり盛大に転んだ。
​ 遠藤マコト、二十九歳。
 彼の異世界生活は、女神の掌の上で、最高に「不運」で「特別」な一ページ目から始まった。
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