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国見の宮殿
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妻木の里の頭領の判断で、里からほど近い山の中腹に皇子とアサギが暮らす宮殿が建てられた。
皇子が里に訪ねて来たことは天地がひっくり返るかのような一大事だったらしく、慌てふためく頭領達が哀れに思えるほど。
アサギはそんな恐れ多い人物から寵愛を受けているのかとあらためて認識するも、冷めた気持ちでいたことに、どこか申し訳なさを感じてしまった。
そう……本来ならば、アサギなどが正妻の座につくなどありえないこと。ヤマトの国で、どこかのお偉方の娘を正妻にしているのが本当なのだ。
それなのに……なんの縁か因果なのか、アサギと皇子は夫婦という立場になった。今では、かけがえのない存在になってしまっている。
(まったく全然なんとも思っていなかったのに、不思議なものね)
アサギは、隣に立つ皇子の横顔を見上げた。
顎に薄く生やされていた髭は、綺麗に剃られている。眉の凛々しさが際立ち、若々しく溌剌とした印象だ。
こっちのほうが似合っている、とアサギが告げたときの、嬉しそうに眦を下げた皇子の顔が不意に思い出された。
「ふふっ」
小さく笑うと、皇子が顔を向けてくる。
「いかがした?」
「いえ、少し……思い出し笑いを」
またクスクス笑うと、皇子は眉をひそめた。
「一人だけ楽しそうなのは、ずるい。我にも教えよ」
「恥ずかしいから嫌です」
間髪入れずに答えると、皇子は慌て始める。
「恥ずかしい? それは、誰を思い浮かべてのことだ?」
さらに問いを重ねる皇子に、またアサギはふふっと笑う。皇子は拗ねるように、少し不機嫌な表情を浮かべた。
「こら、答えぬか」
今の皇子には、威厳もなにも感じられない。どこにでも居る、ただ一人の男性だ。
アサギはニコリと笑みを浮かべると、不服そうな皇子の頬をツンツンと人差し指で突いた。
「私の心にあるのは、皇子様ただ一人にございますよ」
茶化すような口調ではあるが、素直に胸の内を告げると、皇子は「むっ!」と息を詰める。そして顔から耳まで、徐々に朱へ染まっていった。
「ならば、よい」
皇子は緩みそうになる口元をキュッと引き結んでいる。アサギは威厳を保とうとする皇子の腕にそっと触れ、肩に頭を預けた。
目の前には、広い海原と水平線が見える。山麓に広がる村々も見える。この宮殿の建つ場所は、とても景観がいい。
この地域一帯の様子が臨める立地ということもあり、皇子も大層お気に召しているようだ。
「皇子様、姫様。そろそろ中へお戻りになられませんか?」
頃合を見計らっていたかのように、マツが声をかけてくる。
「風も冷えて参りました。お体に障っては大変ですわよ」
チヨは手にしている大柄の布を一枚広げると、アサギの肩にフワリと掛けてくれた。
「……ありがとう。では皇子様、帰りましょうか」
「うむ。気分は晴れたか?」
皇子の気遣う言葉に、アサギは頷く。
ここ最近、気持ちの悪さがつきまとい、食べ物を受け付けないのだ。食欲が無いからといって食べずにいると、それはそれで吐き気を催してしまう。唯一口にできるのは木の実くらい。
寝てばかりいても気鬱になってしまうからと、皇子が散歩に連れ出してくれたのだ。
なにか悪いものを食べたわけでもなし……単に、環境の変化が心理的なものに影響を与えているのだろうか。
自分で思っていたよりも、アサギの心は繊細だったみたいだ。
皇子に手を引かれ、足を踏み出すと同時に世界が揺れる。
視界が回り、クラクラとして立つことができない。
皇子の腕の中に倒れ込むと、ううっ……と低い唸り声を上げた。
「アサギ!」
「姫様!」
心配する皇子の声と、動揺して不安が隠せないマツとチヨの声が耳に届く。
(どうしよう……立ち上がらないと、心配させちゃう)
アサギは体勢を直そうと、支えてくれる皇子の腕を力の限り掴む。けれど、ダメだ。平衡感覚が保てない。
(あっ……)
フワリと、体が宙に浮く。
皇子に横抱きに抱えられ、厚い胸板に頭を凭れさせられた。
「皇子……」
「黙っておれ。このまま運んでやる」
「いえ、重いですから……下ろしてくださいませ。自分で歩けます」
力無い声では、説得力もなにも無い。
アサギの意思は尊重されず、皇子はズンズン歩いて行く。
「申し訳……ございません」
「なにを謝る必要がある。そなたなど、軽い。軽くてかなわぬ。羽根を運んでいるようだ」
「もう……羽根は言い過ぎです」
具合は悪いのに、ふふっと小さく笑ってしまう。
些細で、ささやかな言葉のやり取りなのに、笑う機会が増えた。それは皇子の人柄なのか、アサギが気を許しているからなのか、分からない。
だけど、こうして小さなことで笑い合えることに幸せを感じ始めている。
アサギを抱えてくれる、逞しい腕が心強い。着痩せをするのか、衣の下に隠れている鍛え抜かれ、ガッシリとしている体も……守ってもらっているという安心感を与えてくれる。
皇子に抱かれて包まれる温もりと、歩く動作に伴う心地よい揺れが、いつしかアサギを夢の世界へと誘っていった。
皇子が里に訪ねて来たことは天地がひっくり返るかのような一大事だったらしく、慌てふためく頭領達が哀れに思えるほど。
アサギはそんな恐れ多い人物から寵愛を受けているのかとあらためて認識するも、冷めた気持ちでいたことに、どこか申し訳なさを感じてしまった。
そう……本来ならば、アサギなどが正妻の座につくなどありえないこと。ヤマトの国で、どこかのお偉方の娘を正妻にしているのが本当なのだ。
それなのに……なんの縁か因果なのか、アサギと皇子は夫婦という立場になった。今では、かけがえのない存在になってしまっている。
(まったく全然なんとも思っていなかったのに、不思議なものね)
アサギは、隣に立つ皇子の横顔を見上げた。
顎に薄く生やされていた髭は、綺麗に剃られている。眉の凛々しさが際立ち、若々しく溌剌とした印象だ。
こっちのほうが似合っている、とアサギが告げたときの、嬉しそうに眦を下げた皇子の顔が不意に思い出された。
「ふふっ」
小さく笑うと、皇子が顔を向けてくる。
「いかがした?」
「いえ、少し……思い出し笑いを」
またクスクス笑うと、皇子は眉をひそめた。
「一人だけ楽しそうなのは、ずるい。我にも教えよ」
「恥ずかしいから嫌です」
間髪入れずに答えると、皇子は慌て始める。
「恥ずかしい? それは、誰を思い浮かべてのことだ?」
さらに問いを重ねる皇子に、またアサギはふふっと笑う。皇子は拗ねるように、少し不機嫌な表情を浮かべた。
「こら、答えぬか」
今の皇子には、威厳もなにも感じられない。どこにでも居る、ただ一人の男性だ。
アサギはニコリと笑みを浮かべると、不服そうな皇子の頬をツンツンと人差し指で突いた。
「私の心にあるのは、皇子様ただ一人にございますよ」
茶化すような口調ではあるが、素直に胸の内を告げると、皇子は「むっ!」と息を詰める。そして顔から耳まで、徐々に朱へ染まっていった。
「ならば、よい」
皇子は緩みそうになる口元をキュッと引き結んでいる。アサギは威厳を保とうとする皇子の腕にそっと触れ、肩に頭を預けた。
目の前には、広い海原と水平線が見える。山麓に広がる村々も見える。この宮殿の建つ場所は、とても景観がいい。
この地域一帯の様子が臨める立地ということもあり、皇子も大層お気に召しているようだ。
「皇子様、姫様。そろそろ中へお戻りになられませんか?」
頃合を見計らっていたかのように、マツが声をかけてくる。
「風も冷えて参りました。お体に障っては大変ですわよ」
チヨは手にしている大柄の布を一枚広げると、アサギの肩にフワリと掛けてくれた。
「……ありがとう。では皇子様、帰りましょうか」
「うむ。気分は晴れたか?」
皇子の気遣う言葉に、アサギは頷く。
ここ最近、気持ちの悪さがつきまとい、食べ物を受け付けないのだ。食欲が無いからといって食べずにいると、それはそれで吐き気を催してしまう。唯一口にできるのは木の実くらい。
寝てばかりいても気鬱になってしまうからと、皇子が散歩に連れ出してくれたのだ。
なにか悪いものを食べたわけでもなし……単に、環境の変化が心理的なものに影響を与えているのだろうか。
自分で思っていたよりも、アサギの心は繊細だったみたいだ。
皇子に手を引かれ、足を踏み出すと同時に世界が揺れる。
視界が回り、クラクラとして立つことができない。
皇子の腕の中に倒れ込むと、ううっ……と低い唸り声を上げた。
「アサギ!」
「姫様!」
心配する皇子の声と、動揺して不安が隠せないマツとチヨの声が耳に届く。
(どうしよう……立ち上がらないと、心配させちゃう)
アサギは体勢を直そうと、支えてくれる皇子の腕を力の限り掴む。けれど、ダメだ。平衡感覚が保てない。
(あっ……)
フワリと、体が宙に浮く。
皇子に横抱きに抱えられ、厚い胸板に頭を凭れさせられた。
「皇子……」
「黙っておれ。このまま運んでやる」
「いえ、重いですから……下ろしてくださいませ。自分で歩けます」
力無い声では、説得力もなにも無い。
アサギの意思は尊重されず、皇子はズンズン歩いて行く。
「申し訳……ございません」
「なにを謝る必要がある。そなたなど、軽い。軽くてかなわぬ。羽根を運んでいるようだ」
「もう……羽根は言い過ぎです」
具合は悪いのに、ふふっと小さく笑ってしまう。
些細で、ささやかな言葉のやり取りなのに、笑う機会が増えた。それは皇子の人柄なのか、アサギが気を許しているからなのか、分からない。
だけど、こうして小さなことで笑い合えることに幸せを感じ始めている。
アサギを抱えてくれる、逞しい腕が心強い。着痩せをするのか、衣の下に隠れている鍛え抜かれ、ガッシリとしている体も……守ってもらっているという安心感を与えてくれる。
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