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逢瀬の前の逢い引き
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ずっと心が、ザワザワと落ち着かない。
アサギは薄暗い部屋の中、お腹の中で動く我が子と、一人静かに遊んでいた。お腹の中で手や足が伸びれば、グニンと皮膚が動いてお腹の形が変わる。飛び出す皮膚を押し返し、ここは手なのか足なのかと想いを巡らす。いつ出てくるのか、とても楽しみだ。
空を見上げ、白い月の傾きを確認すると溜め息が溢れる。
(今頃、皇子はマツのところね……)
アサギが初夜を迎えた日は、マツとチヨが一緒に居てくれた。あの頃が、もう遠い昔のことのようだ。
(まさか、こんな日が来るなんて……思いもしなかった)
アサギが正妻。マツが第二夫人で、チヨが第三夫人。これから三人で協力して、皇子を盛り立てていけるだろうか。
もしかしたら、これから妻木のように、各地のイヅモ族の頭領が皇子の側室にと娘を差し出してくるようになるかもしれない。甚大なヤマト族の庇護を受けるために。
それは皇子が志しとして掲げている、ヤマト族とイヅモ族の共存共栄を実現するために不可欠な要素。数代前のイヅモ族の王と同じように、婚姻により地盤固めをしていくと、嫁ぐときに話をされていた。
たまたまアサギが、一番最初に妻として迎えられただけなのだ。
これから側室が増える度に、消化しきれないモヤモヤとした感情が蓄積していくのだろうか。
(それとも、慣れる?)
慣れてしまえば、楽だろう。
(でも、なんか不公平……)
男は大っぴらに幾人も連れ合いを増やせるのに、女には許されない。女は男が他の女の元へ通うことを黙認し、それを許容して、一人の男と添い遂げねばならないなんて。
ザリッと、砂利を踏む音が聞こえた。
「物思いに耽る姿も美しいな」
ゆっくりと、声のほうへ顔を向ける。
「皇子様、なぜ……ここへ?」
問うても、皇子は笑みを深めるばかり。
「マツ姫の元へ向かわれたのではないのですか?」
問いを重ねれば、皇子はアサギに近づいて来る。
「マツの元へは……まだ、これからだ」
皇子は腕を広げてアサギを包み込む。
「先程まで一緒に居たのに、どうしてもまたそなたに会いたくなってしまった」
肌に馴染んだ温かさと、お香の匂いに心が安らぐ。でも、これから皇子が向かうのはマツの所だ。
(嫌だなぁ)
頭では理解していても、やっぱりモヤモヤしてしまう。
いけ好かないが、妻木の頭領が言うことも理解はできる。ヤマト族との絆を強くするために、さらなる婚姻と子が必要であることも。
だけど、ヤキモチは焼いてしまうのだ。
皇子がアサギにかけてくれるような甘く優しい言葉をマツやチヨにもかけるのかと思うと、考えるだけで胸の奥が苦しくなる。
私だけの夫だったのにと、やり切れない想いが込み上げてきてしまうのだ。
それは幼馴染みだろうと関係ない。アサギが占有していた、大事な人を奪われてしまうのだから。
皇子の立場を理解していれば、本来ならば割り切らなければならない感情だ。
(でも、私は優等生じゃないわ……)
どちらかと言えば、アサギは捻くれ者の部類に属していたと思う。
腹の中で思っていても言葉に出さず、笑みを浮かべて反応を相手に任せる卑怯なところもあった。
だが、近頃はしていない。
夫婦になり、皇子に矯正された。同じように、アサギによって矯正された皇子の行動もある。
互いに少しずつ歩み寄ってきたのだ。
そこに、違う人間が介入してくる。しかも、幼馴染みで侍女として仕えてくれていた、信頼を置いていた二人だ。
これはいったい、なんの因果なのだろう。
(嫌になっちゃうわよね)
皇子は、アサギの額に軽く口付ける。
「浮かない顔だな」
「そのようです。私自身、自らが抱く感情に戸惑いを隠せません」
素直に胸中を吐露すれば、皇子は再びアサギを抱き締める。
「なんだ? やけにしおらしい。そんなに我のことを好いてくれているのか?」
冗談で言っていると分かる口調。アサギは皇子の胸を押して、輝き始めた月明かりに浮かび上がる顔を見上げた。静かに息を吸い、言葉を紡ぐ。
「そのようです」
「っ!」
皇子が息を飲んでいる。どうやら、動揺させることに成功したみたいだ。してやったりと、胸の内でほくそ笑む。
余裕など無くしてやる。これからマツの元へ向かうのに、頭の中をアサギでいっぱいにしてやりたい。ここでさらにアサギから口付けでもすれば、マツの元へ行くことをやめてくれるだろうか。
(なんて……そんなことできないわ)
謁見の間で見たマツの姿を思い出す。見ているのが居た堪れないくらい、憔悴しきっている哀れな姿。きっと、自分ではどうにもならないという葛藤に囚われてしまっている。
優しく真面目で頼りがいのあるマツをあんな姿にしてしまったのは、誰だ。頭領か、皇子か、アサギか。おそらく、全員だろう。
マツの心にかかる負担を減らしてあげたいものだ。
「皇子様」
呼びかければ、どうした? と答えが返ってくる。
「マツ姫のことを……どのようにお思いで?」
謁見の間での態度を思い返せば、大して興味が無いのではと勘ぐってしまう。
興味が無いのにお情けで相手をされるのは、到底耐えられない。
「マツ姫に、優しく……誠実に接してあげてください。私にしてくれるように、思い遣りを持って接してあげてほしいのです」
少しでも、マツの葛藤が和らぐように。溌剌(はつらつ)とした、輝く笑顔を見せてくれていた頃のマツに戻ってほしい。
皇子の胸に頬を寄せ、両腕で厚い体を抱く。
「お願いでございます。心優しい……私の大事な幼馴染みです。傷つけないでくださいませ」
「相分かった。心に留めよう」
「ありがとうございます」
小さく笑みを浮かべれば、皇子の柔らかい唇が頬に触れる。
「なんと名残惜しい。名残惜しいが、行かねばならぬ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
これで区切りだというように、また唇が降ってくる。
皇子はアサギを腕の中から解放すると、名残惜しそうに踵を返した。アサギは笑みを浮かべ、その背中を見送る。
(これで、よかった? ちゃんとできてた?)
正妻としての務めを果たせただろうか。
成否の判断を下してくれる者は居ない。けれど自分では、これでよかったと満足している。自己満足上等だ。
でも今は、一人が寂しい。
仕事で居ないのと、女の元へ行って居ないのでは、寂しさの種類が違う。
グニンと、腹の中で子が動いた。
「そうね。あなたが居てくれたわね」
自己主張してきた腹の中の子に、優しく語りかける。
「母は、あなたに会える日を楽しみにしているわ」
語りかければ、また腹の中でグニンと動く。
アサギは笑みを浮かべて腹を撫でると、皆が心穏やかに暮らせますようにと願いながら、夜空に明るく輝く月を見上げるのだった。
アサギは薄暗い部屋の中、お腹の中で動く我が子と、一人静かに遊んでいた。お腹の中で手や足が伸びれば、グニンと皮膚が動いてお腹の形が変わる。飛び出す皮膚を押し返し、ここは手なのか足なのかと想いを巡らす。いつ出てくるのか、とても楽しみだ。
空を見上げ、白い月の傾きを確認すると溜め息が溢れる。
(今頃、皇子はマツのところね……)
アサギが初夜を迎えた日は、マツとチヨが一緒に居てくれた。あの頃が、もう遠い昔のことのようだ。
(まさか、こんな日が来るなんて……思いもしなかった)
アサギが正妻。マツが第二夫人で、チヨが第三夫人。これから三人で協力して、皇子を盛り立てていけるだろうか。
もしかしたら、これから妻木のように、各地のイヅモ族の頭領が皇子の側室にと娘を差し出してくるようになるかもしれない。甚大なヤマト族の庇護を受けるために。
それは皇子が志しとして掲げている、ヤマト族とイヅモ族の共存共栄を実現するために不可欠な要素。数代前のイヅモ族の王と同じように、婚姻により地盤固めをしていくと、嫁ぐときに話をされていた。
たまたまアサギが、一番最初に妻として迎えられただけなのだ。
これから側室が増える度に、消化しきれないモヤモヤとした感情が蓄積していくのだろうか。
(それとも、慣れる?)
慣れてしまえば、楽だろう。
(でも、なんか不公平……)
男は大っぴらに幾人も連れ合いを増やせるのに、女には許されない。女は男が他の女の元へ通うことを黙認し、それを許容して、一人の男と添い遂げねばならないなんて。
ザリッと、砂利を踏む音が聞こえた。
「物思いに耽る姿も美しいな」
ゆっくりと、声のほうへ顔を向ける。
「皇子様、なぜ……ここへ?」
問うても、皇子は笑みを深めるばかり。
「マツ姫の元へ向かわれたのではないのですか?」
問いを重ねれば、皇子はアサギに近づいて来る。
「マツの元へは……まだ、これからだ」
皇子は腕を広げてアサギを包み込む。
「先程まで一緒に居たのに、どうしてもまたそなたに会いたくなってしまった」
肌に馴染んだ温かさと、お香の匂いに心が安らぐ。でも、これから皇子が向かうのはマツの所だ。
(嫌だなぁ)
頭では理解していても、やっぱりモヤモヤしてしまう。
いけ好かないが、妻木の頭領が言うことも理解はできる。ヤマト族との絆を強くするために、さらなる婚姻と子が必要であることも。
だけど、ヤキモチは焼いてしまうのだ。
皇子がアサギにかけてくれるような甘く優しい言葉をマツやチヨにもかけるのかと思うと、考えるだけで胸の奥が苦しくなる。
私だけの夫だったのにと、やり切れない想いが込み上げてきてしまうのだ。
それは幼馴染みだろうと関係ない。アサギが占有していた、大事な人を奪われてしまうのだから。
皇子の立場を理解していれば、本来ならば割り切らなければならない感情だ。
(でも、私は優等生じゃないわ……)
どちらかと言えば、アサギは捻くれ者の部類に属していたと思う。
腹の中で思っていても言葉に出さず、笑みを浮かべて反応を相手に任せる卑怯なところもあった。
だが、近頃はしていない。
夫婦になり、皇子に矯正された。同じように、アサギによって矯正された皇子の行動もある。
互いに少しずつ歩み寄ってきたのだ。
そこに、違う人間が介入してくる。しかも、幼馴染みで侍女として仕えてくれていた、信頼を置いていた二人だ。
これはいったい、なんの因果なのだろう。
(嫌になっちゃうわよね)
皇子は、アサギの額に軽く口付ける。
「浮かない顔だな」
「そのようです。私自身、自らが抱く感情に戸惑いを隠せません」
素直に胸中を吐露すれば、皇子は再びアサギを抱き締める。
「なんだ? やけにしおらしい。そんなに我のことを好いてくれているのか?」
冗談で言っていると分かる口調。アサギは皇子の胸を押して、輝き始めた月明かりに浮かび上がる顔を見上げた。静かに息を吸い、言葉を紡ぐ。
「そのようです」
「っ!」
皇子が息を飲んでいる。どうやら、動揺させることに成功したみたいだ。してやったりと、胸の内でほくそ笑む。
余裕など無くしてやる。これからマツの元へ向かうのに、頭の中をアサギでいっぱいにしてやりたい。ここでさらにアサギから口付けでもすれば、マツの元へ行くことをやめてくれるだろうか。
(なんて……そんなことできないわ)
謁見の間で見たマツの姿を思い出す。見ているのが居た堪れないくらい、憔悴しきっている哀れな姿。きっと、自分ではどうにもならないという葛藤に囚われてしまっている。
優しく真面目で頼りがいのあるマツをあんな姿にしてしまったのは、誰だ。頭領か、皇子か、アサギか。おそらく、全員だろう。
マツの心にかかる負担を減らしてあげたいものだ。
「皇子様」
呼びかければ、どうした? と答えが返ってくる。
「マツ姫のことを……どのようにお思いで?」
謁見の間での態度を思い返せば、大して興味が無いのではと勘ぐってしまう。
興味が無いのにお情けで相手をされるのは、到底耐えられない。
「マツ姫に、優しく……誠実に接してあげてください。私にしてくれるように、思い遣りを持って接してあげてほしいのです」
少しでも、マツの葛藤が和らぐように。溌剌(はつらつ)とした、輝く笑顔を見せてくれていた頃のマツに戻ってほしい。
皇子の胸に頬を寄せ、両腕で厚い体を抱く。
「お願いでございます。心優しい……私の大事な幼馴染みです。傷つけないでくださいませ」
「相分かった。心に留めよう」
「ありがとうございます」
小さく笑みを浮かべれば、皇子の柔らかい唇が頬に触れる。
「なんと名残惜しい。名残惜しいが、行かねばならぬ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
これで区切りだというように、また唇が降ってくる。
皇子はアサギを腕の中から解放すると、名残惜しそうに踵を返した。アサギは笑みを浮かべ、その背中を見送る。
(これで、よかった? ちゃんとできてた?)
正妻としての務めを果たせただろうか。
成否の判断を下してくれる者は居ない。けれど自分では、これでよかったと満足している。自己満足上等だ。
でも今は、一人が寂しい。
仕事で居ないのと、女の元へ行って居ないのでは、寂しさの種類が違う。
グニンと、腹の中で子が動いた。
「そうね。あなたが居てくれたわね」
自己主張してきた腹の中の子に、優しく語りかける。
「母は、あなたに会える日を楽しみにしているわ」
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