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カナトスの皇子タイガ
スフィンクス
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スラム街をぬけて城壁のある丘まで登り詰めた。木立の茂る暗がり、ここにも立ちんぼの女が佇んでいた。女はタイガに流し目をおくる。月がのぼるのはまだ早く、宵の星明のだけでははっきりは見えないものの、どうやら女の上半身は裸のようである。
「客人」と、女は言った。
「何奴?」サー・ブルーが剣に手をかける。
暗がりから女が進み出た。すると丸い満月のような乳房が露わになった。タイガは思わず口許がほころんだ。だが、次の瞬間、驚いたことに下半身は獣の姿をしていることが判った。上半身は男を惑わすための女体。そして下半身はライオンの四つ足ーー。
「もしや、あれは、スフィンクスか? 私はてっきり石像があるものだと思い込んでいた」
「私もスフィンクスの像だとばかり……まさか生きたスフィンクスが目印だったとは」
「ーーいかにも。魔導師プロフェッサー・バトラーに使いを頼まれた。客人、我についてくるのだ」
美しい顔のスフィンクスは抑揚のない声で言った。
タイガが幼きころは、祖国カナトスにも異類婚姻による異形の者が入り込んでいた。商人やジプシーといった放浪旅一座が金を求めてやってきていたのだ。当時はまだ国のシンボルでもある漆黒のドラゴンも、城の上空を悠然と飛んでいた。だがここ数年さっぱり姿を現さなくなっていた。風の便りで、異形の住む都が破壊されたと耳にするようになった。その原因ついて各国の王、学者や枢機卿たちは疫病によるものだと結論づけたのである。ドラゴンと異類婚姻だけがかかる疫病が原因で、互いを殺し合ったのだという。だが、これに異を唱えたのが魔導師のプロフェッサー・バトラーだった。
『これは、疫病によるものではない。滅んだメリサンドの都に東方の死神が現れたと訊きおよんだ。この現象は人間界にも必ず影響を及ぼす。しかるべき事態に備えよ』
だが、権力者たちは、遥か遠くの目に見えぬ出来事よりも、目の前にある私利私欲である己が領土を増やすことばかりを考えていた。したがって、この十数年なんら備えを怠っていたのだ。落胆した魔導師は、単独で死神の痕跡とドラゴンの生き残りを探す旅に出た。
その魔導師から、数年ぶりにタイガの父であるリオン王に知らせをよこしたのだ。
『王よ、以前、旧友の私と交わした約束を覚えておられるだろうか。この度、約束を果たせることになった。信頼のおける屈強の男を遣わし、我らが思い出の地、スフィンクスの丘まで来られたし』
タイガとサー・ブルーは三カ月あまりの旅の末にようやくこの地に着いた。そして今宵、魔導師に会えるのだ。タイガの胸に期待と好奇心が宿るのだった。
二人はスフィンクスの艶めかしく揺れる尾についてゆく。やがて、天まで聳えるほどの石垣の前で止まった。そこに人の大きさほどの三重の円が描かれていた。円に沿って、木炭のようなもので呪いが書かれていた。スフィンクスが手をかざすと、円は紫色の光りを放った。
「皇子……あれは……」
「恐らく魔導師様が仕掛けた魔法陣であろう。
あれをくぐりぬけたら、師のいる場所に行き着くはずだ」
先にスフィンクスが入って行く、タイガ、サー・ブルーとつづいて魔方陣をくぐる。出た先は、草原に忽然と存在する巨大な円形劇場の舞台の上だった。草木が茂り、劇場の壁は崩れておちていて、かろうじて円の形をとどめていた。だが、周囲にあったはずの建物のほとんどが消滅し、折れた柱を残したまま、都市は草地に埋もれていた。
「ここはどこだ?」
タイガはスフィンクスの妖艶な背中に目を奪われつつ尋ねた。
「客人、メリサンドの都と言えば判るであろう?」
スフィンクスはちらりとタイガに視線を送る。
「なるほど、ここがそうなのかーー」
タイガは息を呑んだ。
「メリサンドの者たちに、都なんかあったのか?」
サー・ブルーは首をかしげた。
「兄弟子母上の住いにある絵を見たことがないから知るまい」
「皇子、では、この地を描いた絵が、レーテル様のお暮らしになるオーブ城にあると?」
「いかにも。ここは忽然と姿を消した幻の都。ドラゴンとの間に生まれし、異形の者たちが集うメリサンドの都だ。十七年前、一夜のうちに消滅したのはこの場所だった。一一そうであろう? スフィンクス」
タイガの問にスフィンクスは表情を変えずに頷いた。
「タイガ様、私は噂の類いかと思っておりました」
サー・ブルーはにわかに信じがたいといった様子だ。
「私も絵の中で知るだけで、まさか自分がこの地を訪れようとは思いもしなかった」
タイガはオーブ城の絵を思い浮かべる。この地には、あのスフィンクスのように美しきメリサンドが大勢暮らしていたのだろう。その民が、虐殺されたとは誠に信じがたいことだとタイガは考えた。また、こうも思った。あのスフィンクスような美しき者に愛を打ち明けられたなら、自分は果たして拒むことができるのだろうかとも。
廃墟に紛れるようにして住居とおぼしき灯りが見えた。スフィンクスは顎でしゃくり、あれだと言った。
近づくにつれ、崩れた壁に板を打ちつけただけの、いたって粗末な小屋であることが分かった。
不意にドアが開いた。中から十四、五歳くらいの赤毛の少年が出てきた。
「客人」と、女は言った。
「何奴?」サー・ブルーが剣に手をかける。
暗がりから女が進み出た。すると丸い満月のような乳房が露わになった。タイガは思わず口許がほころんだ。だが、次の瞬間、驚いたことに下半身は獣の姿をしていることが判った。上半身は男を惑わすための女体。そして下半身はライオンの四つ足ーー。
「もしや、あれは、スフィンクスか? 私はてっきり石像があるものだと思い込んでいた」
「私もスフィンクスの像だとばかり……まさか生きたスフィンクスが目印だったとは」
「ーーいかにも。魔導師プロフェッサー・バトラーに使いを頼まれた。客人、我についてくるのだ」
美しい顔のスフィンクスは抑揚のない声で言った。
タイガが幼きころは、祖国カナトスにも異類婚姻による異形の者が入り込んでいた。商人やジプシーといった放浪旅一座が金を求めてやってきていたのだ。当時はまだ国のシンボルでもある漆黒のドラゴンも、城の上空を悠然と飛んでいた。だがここ数年さっぱり姿を現さなくなっていた。風の便りで、異形の住む都が破壊されたと耳にするようになった。その原因ついて各国の王、学者や枢機卿たちは疫病によるものだと結論づけたのである。ドラゴンと異類婚姻だけがかかる疫病が原因で、互いを殺し合ったのだという。だが、これに異を唱えたのが魔導師のプロフェッサー・バトラーだった。
『これは、疫病によるものではない。滅んだメリサンドの都に東方の死神が現れたと訊きおよんだ。この現象は人間界にも必ず影響を及ぼす。しかるべき事態に備えよ』
だが、権力者たちは、遥か遠くの目に見えぬ出来事よりも、目の前にある私利私欲である己が領土を増やすことばかりを考えていた。したがって、この十数年なんら備えを怠っていたのだ。落胆した魔導師は、単独で死神の痕跡とドラゴンの生き残りを探す旅に出た。
その魔導師から、数年ぶりにタイガの父であるリオン王に知らせをよこしたのだ。
『王よ、以前、旧友の私と交わした約束を覚えておられるだろうか。この度、約束を果たせることになった。信頼のおける屈強の男を遣わし、我らが思い出の地、スフィンクスの丘まで来られたし』
タイガとサー・ブルーは三カ月あまりの旅の末にようやくこの地に着いた。そして今宵、魔導師に会えるのだ。タイガの胸に期待と好奇心が宿るのだった。
二人はスフィンクスの艶めかしく揺れる尾についてゆく。やがて、天まで聳えるほどの石垣の前で止まった。そこに人の大きさほどの三重の円が描かれていた。円に沿って、木炭のようなもので呪いが書かれていた。スフィンクスが手をかざすと、円は紫色の光りを放った。
「皇子……あれは……」
「恐らく魔導師様が仕掛けた魔法陣であろう。
あれをくぐりぬけたら、師のいる場所に行き着くはずだ」
先にスフィンクスが入って行く、タイガ、サー・ブルーとつづいて魔方陣をくぐる。出た先は、草原に忽然と存在する巨大な円形劇場の舞台の上だった。草木が茂り、劇場の壁は崩れておちていて、かろうじて円の形をとどめていた。だが、周囲にあったはずの建物のほとんどが消滅し、折れた柱を残したまま、都市は草地に埋もれていた。
「ここはどこだ?」
タイガはスフィンクスの妖艶な背中に目を奪われつつ尋ねた。
「客人、メリサンドの都と言えば判るであろう?」
スフィンクスはちらりとタイガに視線を送る。
「なるほど、ここがそうなのかーー」
タイガは息を呑んだ。
「メリサンドの者たちに、都なんかあったのか?」
サー・ブルーは首をかしげた。
「兄弟子母上の住いにある絵を見たことがないから知るまい」
「皇子、では、この地を描いた絵が、レーテル様のお暮らしになるオーブ城にあると?」
「いかにも。ここは忽然と姿を消した幻の都。ドラゴンとの間に生まれし、異形の者たちが集うメリサンドの都だ。十七年前、一夜のうちに消滅したのはこの場所だった。一一そうであろう? スフィンクス」
タイガの問にスフィンクスは表情を変えずに頷いた。
「タイガ様、私は噂の類いかと思っておりました」
サー・ブルーはにわかに信じがたいといった様子だ。
「私も絵の中で知るだけで、まさか自分がこの地を訪れようとは思いもしなかった」
タイガはオーブ城の絵を思い浮かべる。この地には、あのスフィンクスのように美しきメリサンドが大勢暮らしていたのだろう。その民が、虐殺されたとは誠に信じがたいことだとタイガは考えた。また、こうも思った。あのスフィンクスような美しき者に愛を打ち明けられたなら、自分は果たして拒むことができるのだろうかとも。
廃墟に紛れるようにして住居とおぼしき灯りが見えた。スフィンクスは顎でしゃくり、あれだと言った。
近づくにつれ、崩れた壁に板を打ちつけただけの、いたって粗末な小屋であることが分かった。
不意にドアが開いた。中から十四、五歳くらいの赤毛の少年が出てきた。
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