2 / 44
カナトスの皇子タイガ
軍港の盛り場
しおりを挟むメリサンドの陥落から十七年後ーー。
落陽に照らされた二つの影が、長いマントをはためかせながら、足早に歩いていた。
夕暮れの軍港に闇が迫りつつある。打ち寄せるさざ波に揺れる桟橋に、幾艇もの帆走軍艦が停泊していた。重なり合うマストの間をカモメがすり抜けるように飛んでいた。
若者らは頭からフードを被り人相を隠している。だが、粗末な布地の内から高価な剣が覗いていた。その持ち物から彼らが高貴な身分であることが窺い知れた。
「タイガ様、あの路地だと思われます」
連れの男が立ち止まり細い坂道を指差した。
タイガと呼ばれた若者は指にドラゴンの指輪をはめた手をかざし、目を細めた。朱に染まる城壁が街を囲むように巡るそのいただきに、金色に輝くバルトニア城が聳えているのが見えた。城の落とした深い影の中に下層の民が暮らすスラム街がある。瓦屋根が幾重にも重なり、迷路のように入り組んだ街並みは、どこかタイガの祖国のカナトスを思わせた。
「サー・ブルー、あのスラム街のいずこに、指定されたスフィンクス像があるはずだ」
タイガは父王から託された密書について言った。
指定されたスフィンクス像は波止場から坂を上がった城壁の近くにあると思われた。坂の途中は酒場や娼婦宿が連なり、その道幅は馬車も入れないほど細かった。わざわざ道幅を狭くしているのは、荒くれ者たちが喧嘩により、剣の斬り合いを避けるための意味合いが強かった。店の前に立つ客引きの女が男の袖を引いては、店に引き入れようとしていた。そこかしこで、酒場で男女の高笑い響く。枝道に立ちんぼの女の姿も見えた。閉められた鎧戸の内側から、色に染まる吐息が洩れ聞こえてきていた。一国の皇子が身の危険をおかしてまでこのような場所に来た理由は、これから会う人物が、わざわざこの色里を指定してきたからだ。
一人の客引き女がタイガにしがみつこうとした。タイガは軽く身をかわす。はだけたフードの下から艶やかな栗色の髪と藍色の瞳が覗いた。その端正な顔立ちに他の女たちも釘づけになった。彼こそが、ここバルトニア王国から千里ほど離れた秘境の地にある小国、カナトス(聖なる泉)の皇子である。剣術使いの兄弟子のサー・ブルーを従え、バルトニアをお忍びで訪れていた。表向きは皇子の見聞を広げるための外遊。だが真の目的は父王より、親交の深い魔導師に会うよう密命を帯びてのことである。
粗野な荒くれ者の船乗りばかりを相手にしてきた女たちが、育ちの良さが滲み出るタイガをモノにしようと、豊満な肉体を見せびらかしてきた。色目を使い、スカートの裾をめくりあげてタイガの気を引こうとしたのだ。
「お兄さん、あたいの店で遊んでいきなよ」
「お嬢さん、悪いが先を急いでいる。帰りに寄るから、先に風呂にでも入って、布団を温めておいてくれるか?」
タイガは軽口をたたく。それを諫めるようサー・ブルーが咳ばらいをした。
「タイガ様、相手にしてはなりません。それに、お気づきでしょう? どうやら我々は、この巣窟で不逞の輩に囲まれたようです」
するとサー・ブルーの言葉がまるで何らかの合図だったかのように、三人の髭面の男たちが行く手を阻んだ。
「お前ら、この界隈にきておきながら、黙って通り抜けられると思ったら大間違いだ。痛い目に遭いたくなければ、通行料を置いてゆけ」
男たちはスラム街を牛耳っているならず者だと思われた。サー・ブルーがフードを取る。金色の巻き毛が露わになった。女たちはその男ぶりに息を呑んだ。剣術士は眼光鋭く剣の束に手をかけると、タイガを庇うように前に進み出た。狭い路地で乱闘騒ぎを起こしたくはなかった、だが、後戻りもままならない。なぜなら、後ろからも五人組が道を塞いだからだ。
「やっかいな場所で、挟み撃ちとは」サー・ブルーは“ちっ”と舌打ちする。
「我らを付け狙う輩が、姿を現したとみえる。兄上、ならず者と刺客の両者をヤレそうか?」
後ろの五人は仮面をつけた男たちだった。タイガは祖国カナトスを出て来た時から、彼らが付かず離れずつけてきていたのを知っていた。仮面はタイガに面が割れている証でもある。逃げ場のない路地に第二皇子を仕留めるチャンスとみて姿を現したのだった。後ろの精鋭部隊とやり合うくらいなら、前にいる独活の大木とやり合う方がマシだ。タイガとサー・ブルーは阿吽の呼吸で、わぁと声を張りあげると、ならず者に向かって突進する。サー・ブルーは素早く相手の鳩尾に剣の柄をお見舞いした。一人が倒れ込む。間をすり抜け、路地をめちゃくちゃに走り回った。
排水溝の悪臭が鼻をついた。洗濯物が下がり、貧しい居住地区に迷い込んだようだ。三方を高い塔のような建物に阻まれた。
「行き止まりか?」
「皇子!ここで一戦交えます」
酒場の路地よりは広さはマシだった。サー・ブルーは剣の鞘を投げ捨てるが早いが、五人に向かって斬りかかる。タイガも鞘を抜く。いくらサー・ブルーがカナトス一の剣術使いであっても、さすがに一度に五人が相手では具合が悪い。四人がまとめて一度に斬りかかる。残り一人をタイガが相手をした。
五人の刺客は誰の命令で動いているのかは、おおかたの予想はついていた。タイガには腹違いの兄がいる。王の第一子であるアーサーは王位継承権第一位の皇太子だった。昨年、皇太子妃が皇子を産んだ。このため、赤子王座を強固にするため、必ずやどこかで粛清を行うはずだったからだ。
祖国を離れた今、政敵に絶好の暗殺の機会が訪れている。父王も分かっていて国一番の剣術使いをタイガの供に付けていた。しかし二人の皇子の存在は国の不安定要素になるのも事実だ。ましてや、タイガは王の求愛を受けた側女が生んだ皇子。父王もこれ以上の庇護を差し控えたのだ。
ぎゃっと悲鳴があがる。一人の刺客の指がサー・ブルーの剣で飛んだ。乱闘騒ぎに近くの教会の鐘が鳴る。住人がバルトニアの憲兵に知らせるために鳴らしたのだ。皇子のしまつに失敗した五人組は、素早く立ち去った。
サー・ブルーは苦々しい表情を浮かべた。一方、タイガは長い息を吐き出し呼吸を整えた。
石畳の上チカチカと微かに光るものがあった。よく見るとサー・ブルーが切った指に指輪がついていた。
「皇子、見てください、黒百合の紋章の入った指輪です!」
「我が国のドラゴンの紋章はなく、黒ユリに忠誠を騎士団の噂は本当だったかーー」
カナトスの紋章は漆黒のドラゴンだった。王を廃そうという秘密結社の噂が流れていた。その者たちはタイガの命も狙う。皇太子側の人間か否かはもう少し状況をみる必要があった。
「この指輪は唯一の物証です」サー・ブルーは剣先で指輪をひっかけて拾い上げた。
「それは違うぞサー・ブルー。指の無い男こそ、確たる証拠。だが、それより今は時間がない。探すはスフィンクスだ」
タイガは元来た道に向かって踵を返した。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる