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カナトスの皇子タイガ
別れと旅立ち
しおりを挟むその夜、タイガは用意された寝床に横になっていた。刺客が動き出したせいか、あるいは子供のドラゴンを密かに預かった密命のせいか、ざわざわとした胸騒ぎに眠れぬ夜を過ごしていた。
地べたに座るサー・ブルーは肩に剣を立てかけ、目を閉じている。小国とはいえ一国の皇子をたった一人で護衛するなど、元来、無謀な話だった。タイガは満足に眠ることも許されぬ兄弟子に申し訳なさが先に立った。
マリーはテーブルの上に置いてある金の籠の中で眠っていた。防火のための石綿がベッド代わりだ。時折、寝言のように小さな炎を吐き出していた。キリギリスの鳴き声とアーロンの鼾が重なりあう。少年はテーブルの下で、腹を出し、大の字になって寝ていた。
いったい父上はドラゴンをどこに隠したのだろう。タイガは指にはめているドラゴンの指輪を眺めながら、故郷カナトスの風景に想いを巡らせた。王族が暮らすリオン城は切り立った断崖の上に聳え建つ。まんまんと湛えるリオン湖。ゆったりとした水面は一度《ひとたび》水平線に吸い寄せられてゆくと、その先は落差百メートルの滝つぼへと落下してゆく。城の面玄関はむしろこちら側だ。ひとたび戦が起きれば、崖に沿う細道と、涸れることのない水量が敵兵を阻む。民の生業もまた崖にあった。その多くは金山で働く鉱員たちだ。カナトスの産業は金山の採掘と、それにぶら下がる多くの職業で成り立っていた。
ドラゴンを匿うならどこだろう。使わなくなった古い坑道なら隠しやすい。だが、ただの一度も噂にならないのもおかしい。成体が十メールを超すともなれば、隠すのも容易ではないはず。いずれにしても長い間隠し続けるのは難しいと考えた。
ふと気がつくと、さっきまで鳴いていた虫の音がぱたりと止んだ。聞こえるのはアーロンの規則正しい鼾だけだ。
サー・ブルーがカッと目を見開いた。タイガも反応する。音を立てぬよう、そろりと起き上がった。自分の横に寝かせていた剣に手をかける。
いきなりそれは来た。屋根の上でバキバキとトタン屋根が剥がされた。天井を打ち破り、星が見えたと思いきや、黒い塊が落ちてきた。ほぼ同時に隣の部屋からプロフェッサー・バトラーが飛び込んでくる。サー・ブルーは塊に向かって剣を抜いた。
「皇子、マリーを!」
魔導師は金の籠をタイガに投げ渡す。
マリーが籠から飛び出した。タイガは片手で掴み取ると、シャツの隙間から懐へとしまい入れた。マリーはがさごそと動く。翼や爪が皮膚に当たりチクチクと痛んだ。
だが、そんなことに構ってはいられなかった。正体不明の岩みたいな化け物が、次々と天井の穴から飛び込んできたからだ。
飛び起きたアーロンが、寝ぼけ眼に叫んだ。
「小鬼! 小鬼だ!」
プロフェッサー・バトラーが杖で小鬼を串刺しにする。
「タイガ様、こやつらは偵察部隊。死魔が近くに来ているやもしれません! この場は私一人で十分。死魔を防ぎますゆえ、マリーを連れて、急ぎここを立ちなされ。アーロン! お前はタイガ様をお連れしろ」
「いけません。魔導師様を残して、私だけ逃げることはできません!」
魔導師は呪文口にすると、小鬼の動きを封じる。その隙にサー・ブルーは次々と小鬼の首を刎ねてゆく。
「アーロンお前は魔導士としてはまだまだ半人前。だが、私は見習いであるお前に、呪文のすべてを教えたのだ。残すは実践のみ! 老い先短いわしの代わりに皇子を支えよ」
ミシミシと家が揺れる。
耳がツンとして、気圧が変わったように思えた。
「これは、死魔の殺の気! 奴が近づきつつある」プロフェッサー・バトラーが言った。
魔導士は杖で円を描き魔方陣の盾を作った。
「アーロン!早く行きなさい」
だが弟子はこの状況にパニックを起こし泣き叫んでいた。タイガは胸の中にいるマリーが大人しくなったのを感じた。小さい命が早くも奪われたのか、それとも恐怖のあまり失神したのか。一刻の猶予もないと思われた。
「アーロン。マリーのために退路を教えてもらいたい」
この状況にありながらタイガは落ち着き払っていた。自分が慌てていては、護る側はやりにくいからだ。戦いは勇者に任せ、退路を模索し、被害を最小限に抑えなければならない。
アーロンはマリーの名前にはたと我に返った。
小さな杖で紫の魔方陣を床に描いた。光り輝き、石階段が現れた。
「さぁ、中へ」魔導師が叫んだ。
「プロフェッサー、かたじけない! この恩は必ずやお返しする」タイガは一礼する。
アーロンが飛び込み、タイガ、サー・ブルーと続いて石階段を下りた。
弟子は涙を流しながら魔法円を閉じる。最後に見えたのは、爆風とともに小屋が吹き飛んだところだった。
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