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水車小屋のリリス
襲撃
しおりを挟む平原が終わり、深い森の入口までやってきた。この先数百キロの深層の森が続く。森が終わればいよいよカナトスの国境だった。タイガを狙うならここだ。刺客らが待ち伏せしている可能性が高かった。タイガは手綱を引いて馬を止めた。
「ここから先は二手に分かれて行動をする。よいかアーロン。私とサー・ブルーは森を直進する。アーロン、そなたはマリーを連れて半日かけて迂回路を辿り、国境を越えるのだ。いいか、くれぐれも渓谷にかかる吊り橋を渡ってしまうのだぞ。日の入りを過ぎて、私と落ち合えなければ、迷わず城に向かうのだ。私に代わり、王様の元へマリーを連れてゆくのだぞ」
頷いた少年魔導士の顔に緊張の色が走った。タイガはマリーの首にドラゴンの指輪を結びつけた。ビーズのようなつぶらな瞳を見つめながら、タイガは安心させるよう頭を撫でてやるのだった。
「タイガ様、なぜ大切な指輪を?」
「この指輪が皇子の命を受けたという証だ。王が視たら私からだと分かるはず。ーーよいな、くれぐれもマリーを頼んだぞ」
タイガは金の籠の中にマリーを入れると、大袋をかぶせてからアーロンに背負わせた。それから、「やっ!」と掛け声をかけてポニーの尻を叩いた。
「サー・ブルー、我々も出発しよう」
アーロンが旅立つのを見届けたタイガは、サー・ブルーと共に森の中へと進んだ。少し行った先で馬を止めると、四方ぐるりと囲む無数の木立に向かって声を張り上げた。
「私はカナトスの皇子タイガ・リオンである。皇子と知った上で私の命を狙うとは、国家反逆罪にあたる。リオン王になり変わり、私が成敗いたす! 己が命惜しくば、今のうちに降参して出てまいれ!」
タイガの口上はアーロンから目を逸らせるための囮だった。だが、刺客たちが二人の標的を前に降参するなどはありえなかった。むしろ、獲物を狙う最大のチャンスが巡ってきたのだ。タイガはそれを重々承知の上で、捨て身の覚悟で名乗り口上を述べるのだった。カサリと茂みが揺れた。瞬間に木陰から岩のような塊が飛び出した。
「皇子!」
タイガは馬の手綱を強く引き、方向転換する。サー・ブルーがすばやく短刀を抜くと、刺客に向かって投げつけた。飛び出してきた岩みたいな頭部に、短刀がぐさりと刺さった。
「小鬼か?」
タイガの言葉につられるように、今度は仮面を身につけた刺客が踊り出てきた。サー・ブルーが馬から飛び降り、剣で斬りかかる。別の茂みから刺客が二人ほど飛び出してきた。
「ここは先を進んでください。私は後ほど追いつきます」
加勢したいところだがタイガが留まればそれだけ刺客が増える。タイガは馬にムチを入れると国境の方角に向かって走り出した。幸か不幸か、ぽつりと雨が降り出した。細かな雨粒が降りしきる中、タイガを乗せた馬が疾走する。追いついた刺客が馬上から剣を振り回した。タイガも負けじと応戦する。刃と刃がぶつかり合い、ガチッと鈍い音を立てた。木の枝にいた小鬼が、タイガの乗る馬の尻に飛びついた。馬は驚き、ヒヒンと嘶く。馬は小鬼を振り落とそうと、めくらめっぽうに走り出した。タイガは振り落とされぬよう手綱を握る手を強くする。振り向きざまに小鬼の大きな耳を斬り落とした。悲鳴を上げながら地面に落ちる小鬼は、あっという間に小さくなっていった。
さきほどより雨脚が強くなってきた。雨滴は容赦なくタイガの身体に打ち付ける。身に着けている粗末なマントも、その下の絹のローブも、雨水をたっぷり含み、その重みで身動きが制限される。しかし、滝の王国に育つタイガにとって、濡れることはさほど問題にはならなかった。落差百メートルの滝にへばりつくカナトス王国は、“煙る都”と称され、晴れることのない霧雨の中にあったからだ。したがって問題は雨などではない。敵もまた、雨に慣れているということだった。彼らは間違いなく我が国の誰かが送り込んだ刺客。それもかなりの腕利きだ。国のシンボルである漆黒のドラゴンではなく、未だ正体がつかめない黒百合に忠誠を誓う輩。それも、どうしたことか小鬼を従えている。これの意味するところとはいったい何だ? 馬を走らせつつタイガは考えを巡らせた。森の中に死魔はいないと思われた。けれど、我が国の誰かが、死の精霊と通じているという紛れもない事実に、タイガは危機感を募らせた。こうなっては、マリーをアーロンに託して正解だったのだ。
木立の中から矢が飛んできた。勢いの止まらない馬をめがけて、刺客が放ったものだ。矢に術がかけられているのか、曲線を描きタイガを追いかける。よもや命中ぎりぎりのところで、タイガは剣先に当てて、矢の方向を変えた。木の幹に鏃が吸い込まれるように刺さった。だが、その次は三本まとめて矢が放たれた。そのうちの二本を叩き落とし、残りの一本に執拗に追いかけられた。追いついたサー・ブルーが矢を真二つに叩き折った。
「タイガ様、刺客が増えています」
「なにがなんでも、今日のうちに仕留めたいか」
タイガは苦々しい思いを抱いた。今度も矢継ぎ早に矢が放たれる。サー・ブルーが盾となり、叩き落とす。だが、少しのずれが生じた。サー・ブルーの脇腹の間を抜けた矢がタイガの左腕をかすめた。鏃が布を切り裂いた。摩擦により熱いと思っただけで痛みはさほど感じなかった。だが、少ししてから、心臓を鷲掴みされたような強烈な痛みが走った。我慢しきれずタイガはうめき声をあげた。
サー・ブルーは矢の放たれる方角を目掛けて馬を走らせる。矢を射る小鬼の集団に襲いかかりると、五体の首を斬り落とした。
ほどなくして雨は小降りへと変わり、煙のような霧が二人を包み込んだ。天がタイガに味方したようだ。濃度の濃い霧の発生によって、刺客たちはタイガを見失い、ついてこられなくなった。
「皇子、どうやら我々は霧に助けられたようです」サー・ブルーが一息ついた。
だが、タイガは痛みに耐えきれず目眩を感じるのだった。
「腕をどうかされましたか?」
サー・ブルーはこの時初めてタイガの異変に気がついた。
「矢がかすったのだが……矢じりに毒が塗ってあったかもしれぬ……」
全身に毒が回るのはもはや時間の問題だと思われた。
「早く解毒しませんと!」
解毒は薬膳料理などを得意とする魔導士の方が詳しい。サー・ブルーはタイガの綱を持つと、アーロンと落ち合うはずの国境を目指した。馬の背に揺られるタイガは全身に悪寒が走る。息が荒くなり、冷や汗をかいた。心臓が鼓動を早め、目がかすんだ。タイガは耐えられずに、ついに馬の背に寝そべるようにして倒れ込んだ。霧は二人の行く手を阻むように、ますます濃くなっていった。
「同じ場所を回っているようだ」サー・ブルーは焦りの色を浮かべた。
煙る中、ぼんやりと灯りが揺れていた。かさりかさりと草を踏む音がする。サー・ブル―は剣を構えた。やがて灯りは若い女が持つランタンだと分かった。女が長いスカートをたくし上げて草むらから出てきた。
「森にただならぬ妖気を感じて参りました。もしや、その方、呪いに害されておられるのでは?」
タイガは女の声に目を開ける。よもや天界より天女が迎えにきたのだろうか。目が眩むほどの美しさに、死への恐怖も薄らいだ。ーー人間の娘なら、妻に迎えてもよいと思えるほどの絶世の美女だった。
「私の家で休まれませ」
女はタイガの馬の手綱を引くと、霧の中に佇む一軒の水車小屋へ案内するのだった。
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