17 / 44
水車小屋のリリス
カナトス渓谷
しおりを挟む刺客に襲われ、やむをえず馬を乗り捨てたタイガ一は、サー・ブルーとアーロンを従えて、カナトス渓谷の急勾配を徒歩で登っていた。束の間離ればなれになっていたドラゴンのマリーはタイガの懐で安心しきって眠っている。タイガの指に戻ったドラゴンの指輪についても、これまで以上にしっくりと馴染んでいた。渓谷はすでにとっぷりと日が暮れている。ロバの綱をサー・ブルーに託すと、アーロンは杖の先を光らせて松明の代わりに灯りをともした。
「タイガ様、あの見事な馬はお見捨てになったのでしょうか?」
吊り橋での出来事からアーロンは何かふっきれたようだ。つっけんどんなものいいは、すっかり影を潜めていた。
「馬は帰省本能があるから、川さえ渡ってしまえば明日にも城の厩舎に帰ってくるはずだ」
タイガは、切り立った渓谷の数キロ先には川べりに降りることのできる獣道があると説明した。
「獣道ですか……。タイガ様のお国はなんと険しい地形にあるのでしょう」
「何を申すか、これしきはまだまだ序の口。この先はもっと険しいのだから心せよ」
タイガがそう言った矢先、アーロンは小石につまずいた。小さな石は、弾みながら転がり落ちる。カーン、コーンと岩に当たり、跳ね返りながら谷底へと落ちていった。慣れない崖の縁にアーロンは顔を引きつらせた。
「気をつけよ。あの石みたいに自分が落ちるぞ」サー・ブルーは嘶くポニーを落ち着かせるよう撫でながら言った。
「なぜ、こんな危険な道を選ぶのです。他に迂回路はないのですか?」
タイガは国の成り立ちについての伝承を訊かせてやるのだった。
「リオン家の言い伝えによると、大昔、草原の民だったリオンが病気がちの母親に美味しい水を飲ませようと、この地を訪れた。険しい山道を何日も歩いて。こんこんと湧き出る泉を発見する。このとき偶然にも泉で水浴びをする美しい女人が、枝に長い髪をひっかけて困っているところを助けた。女の名はカナトス。リオンはたちまち恋に落ちてしまった。やがて二人は母親も呼び寄せて、所帯をもった。子宝にも恵まれ幸せな生活を送った。不思議なことに、妻のカナトスはいくら歳を重ねても若く美しいままだった。実は彼女は泉の女神だったのだ。やがて子供たちは立派に成長し、歳をとったリオンが亡くなると、悲しみに暮れるカナトスは、子供たちに金の有りかを教えて、自分は水源に戻ってしまったのだ。その後、子供たちは母である女神を祀り、カナトスと名付けた国を開いた。国は金山ともに渓谷にへばりつくように発展したのだ。従って、今も城への行くにはこの道一本しかないというわけだ」
「なるほど、とても美しい物語です。ですが、タイガ様もし、もしもです。ここで敵に狙われたら退路がないのでは?」
「城への一本道は、外敵の侵入を防ぐのが目的だ。自然の城壁こそが我が国の守りの要といえる。実は、断崖の内には金を採掘する鉱道が網の目のようにある。民はその中を住居や往来に利用しておるのだ。その中に、兵士のための道も確保してあって、攻撃の為の矢窓、狭間がある」
トンネルの先を偵察していたサー・ブルーが戻ってきた。
「タイガ様、妙なことに村の灯りが消えています」
普段なら、夜になると盛り場や宿が賑わいをみせる。渓谷に灯《あか》りがともり幻想的な光に包まるのだ。しかしながら、今宵、鎧戸は閉じられ、まるで黎明の訪れのように静まり返っていた。
「やはり王に何かあったかもしれぬ」
タイガは指なしの刺客が言ったことを話した。
「状況が判らない今、このまま入城するのは危険ではないでしょうか。まずは、私の屋敷に入られませ。様子を確かめてから帰城されてはいかがでしょうか?」
「いや、やはり刺客の件もある。機会を逃せば城に入れなくなるかもしれぬ」
「ならば、城門を通らず直接北の塔に入られますか?」
「北の塔とは?」アーロンは尋ねた。
「北塔には私の住まいがあるのだ。王の寝所は南御殿に。東の塔に皇太子とその家族、それに王妃もおられる」
タイガは王と王妃が不仲であるとまでは言わなかった。閨を共にしなくなった原因は自分の母にあると訊く。そして、北塔に帰りさえすれば体制を整えられる。タイガに忠誠を誓う従者や近衛兵らが、主人の帰りを待っていた。
三人は一時間ほどかけて、滝つぼのある場所まで登りつめた。月明かりの中を、天から降ってきた水が、轟音とともに、滝壺目がけて垂直に吸い込まれてゆく。その勢いたるや凄まじい。迫力に押されアーロンは震えあがった。
「これから滝の裏に回り込み、地下通路より入城する」タイガは声をかける。
「濡れているから足を滑らすなよ」とサー・ブルーはアーロンに向けて言った。
「入城って……。そんなぁ、二人とも……。砂埃は得意だけど、濡れるとか、滑るとかは嫌だ。ねぇ、だったら、皇子様の住まいまで行ける魔方陣を描きますから、それで行きませんか?」
タイガの藍色の瞳が輝いた。
「城には敵方の呪術を防御する結界を張っておる。それをアーロンは突破できると?」
「タイガ様、俺を誰の弟子だと思っています? 確かに、魔導師様のようにメリサンドを行ったり来たりは難しいです。けど、このくらいの近距離感なら、ピンポイントでお連れできます 」
若い魔導士は胸を張った。
0
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。
山田 バルス
恋愛
結婚三年目の春、エマは伯爵家の夫アンドレオから突然、側室を迎える話を告げられる。子をなせなかったことを理由に、彼女は僅かな補償のみで離縁された。妻として過ごした三年間は「無価値だった」と突きつけられ、エマは貴族社会から静かに切り捨てられる。
また実家の父母の墓参りに行くと、当主になっていた兄に離縁金を奪われてしまう。
大ピンチのエマには、秘密があった。なんと彼女は幼少期に前世の記憶を思い出していたのだ。
かつて観光地で石を磨き、アクセサリーを作り、人に喜ばれる仕事をしていた人生。何も持たない今だからこそ、もう一度「自分の手で生きる」ことを選び、あの人が住む商業国家スペイラ帝国へ向かう決意をする。
国境への道中、盗賊に襲われるが、護衛兵ロドリゲスの活躍で難を逃れる。彼の誠実な態度に、エマは「守られる価値のある存在」として扱われたことに胸を打たれた。
スペイラ帝国では身分に縛られず働ける。エマは前世の技術を活かし、石を磨いてアクセサリーを作る小さな露店を始める。石に意味を込めた腕輪やペンダントは人々の心を掴み、体験教室も開かれるようになる。伯爵夫人だった頃よりも、今の方がずっと「生きている」と実感していた。
ある朝、ロドリゲスが市場を訪れ、エマの作ったタイガーアイの腕輪を購入する。ところがその夜、彼は驚いた様子で戻り、腕輪が力を一・五倍に高める魔道具だと判明したと告げる。エマ自身は無意識だったが、彼女の作るアクセサリーには確かな力が宿っていた。
後日二人は食事に出かけ、エマは自分が貴族の妻として離縁された過去を打ち明ける。ロドリゲスは強く憤り、「最悪な貴族だ」と彼女と一緒になって怒ってくれた。その気持ちが、エマにとって何よりの救いだった。彼は次に防御力を高める腕輪を依頼し、冒険者ギルドで正式な鑑定を受けるよう勧める。
翌日、冒険者ギルドで鑑定を行った結果、エマの腕輪は高い防御効果を持つことが判明。さらに彼女自身を鑑定すると、なんと「付与特化型聖女」であることが明らかになる。聖女が付与した魔道具は現実の力として強く発現するのだ。
価値がないと切り捨てられた人生は、ここでは確かな力となった。スペイラ帝国で、聖女エマの新しい人生が、静かに、そして輝かしく始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる