蒼氓の月・タイガとラストドラゴン/(絶滅の危機にあるドラゴンを救えるのか。王位をめぐる陰謀と後宮の思惑。タイガとリリスの恋の行方は)

むとう けい(武藤 径)

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水車小屋のリリス

吊り橋

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 すっと冷たい風がタイガの頬をかすめた。カナトス渓谷の近かいことを窺わせる。森の終わりが近づいたころ、タイガは周囲に異変を感じとった。松の木の間を黒い影がゆらりと揺れたからだ。
「来るぞ!」と、タイガは鋭く叫んだ。
 ピュンと“殺”の力が宿る矢が飛んできた。サー・ブルーよりも先にタイガがその矢に反応した。馬上から剣を振り上げ、叩き割るようにしながら矢を払いのけた。すぐさま二発目の矢も放たれる。リリスのまじないが効いているようだ。不思議と腕の痛みは消えている。それに矢の軌道がよく見えた。飛んでくる矢の向かう先を読むかのように剣を動かす。神がかり的な体の反応は、リリスが言ったように死の淵より生還したタイガに死の精霊の力が宿ったのかもしれない。その証拠に、サー・ブルーは急速に腕をあげた弟分に驚きと、その成長を喜び、そして最高峰の剣士としての闘争心に火をつけた。サー・ブルーは馬を飛び降りると、剣を抜きながら、木立に潜む刺客に飛びかかっていった。刺客らもときの声をあげながら一斉に応戦する。小鬼もまじりあっての斬り合いになった。サー・ブルーは蠅のようにたかる小鬼を、剣をしならせるがごとく斬りつけた。タイガも馬を降りると助太刀をする。矢のときと同じで、相手の剣筋がよく視えた。数人を戦闘不能に陥らせると、ひるんだ刺客に猛然と立ち向かった。不意にサー・ブルーと戦っていた一人が抜け出し、タイガの前に立ちふさがった。よく見ると男の指が一本足りない。指輪を落としたあの男だと思われた。
「貴様、誰の配下にいるのだ?」タイガは指のない男に言葉を投げつけた。
「あるお方の命に従ったまで。皇子、観念してあの世に参られよ」 
「あいにくと、あの世にいくのは貴様らの方だ。城に帰った暁にはユリの紋章に誓う貴様らを反逆の罪に問い、主人共々、死刑に処するから覚悟せよ」
 男の動きが一瞬止まった。
「ふん、裁判など行われるはずがないのだ。その前に、皇子は死の精霊の襲撃に遭い、あえなく討ち死にするのだ。数日後にはカナトスの国葬が相次いで行われるはずだ」
「国葬が相次ぐだと?」
 自分の不在中に城に異変が起きたというのか? 思わぬ刺客の言葉にタイガは戸惑った。男は剣を振り上げる。すかさずタイガは応戦する。剣と剣がぶつかりあい、拮抗した刃先がギリギリとした鈍い音を発した。
「王様に何があった?」
 仮面から見える刺客の目は、殺気をおびて充血していた。
「私に素直に討たれるなら、冥土の土産に聞かせてやろう」
 男の言葉からタイガは王様に良からぬことが起きたと悟った。小鬼の出現は、死の精霊と手を結んだ者がいるという証。第二皇子の自分が不在の間、皇太子は何をしていたのだ?  アーサーは優しく、気の弱いところがある。常日頃から王様が気にしていたところが露呈したというのだろうか? 刺客は力任せに剣を振った。防戦するタイガは後ずさりする。木の根に足を取られ、後ろ向きに倒れた。チャンスとみて、刺客の切っ先がタイガの喉元を狙った。かろうじて剣でふせぐも、のしかかる相手の重みに押され、あわやタイガの静脈が傷つけられようとしていた。タイガの脳裏に廃墟と化したメリサンドの都が浮かぶ。我が国に死の精霊を受け入れるとは、国がああなるということだ。魔導士から託されたマリーは死魔により殺されてしまうだろう。それに、リリス‥‥‥。そうだ、リリス! 目まぐるしく映りゆく思考の最後に美しい女人の顔が浮かんだ。ここで果てるわけにはいかない。タイガは生きたいと強く願った。偶然にも刺客の腰許にある短刀が手に触れた。すばやく抜き取ると刺しにかかる。気づいた刺客が、急所を突かれるのを防ごうとしたが、タイガの方が一歩早かった。相手脇腹にねじ込むように突き刺した。鮮血がみるみるうちに流れ出る。刺客はうめき声をあげながら、のたうち回った。
「タイガ様!」
 軍馬に乗ったサー・ブルーが駆け込む。刺客を押しのけ、起き上がったタイガはサー・ブルーが連れている黒鹿毛くろかげに飛び乗った。刺客らも馬にまたがり、後を追う。
「森を出たら、馬を乗り捨て、吊り橋の途中から応戦しますから、その間に縄を斬ってください」
「委細承知!」
 森をぬけ、目の前に断崖絶壁が見えてきた。
 吊り橋はーー
 なんと、日没前にも関わらず、谷間にかかる橋が跡形もなく消えているではないか。後ろから刺客らが迫ってくる。もはや断崖に阻まれ逃げ道はないと思われた。
「皇子?」サー・ブルーは谷を視て言った。
 夕陽に染まり煌めく何かが反射しいていた。タイガは宙に浮かぶ輝く物体に目を凝らした。
「マリー!」と、タイガは叫んだ。
「タイガ様! ブルーさん、こっち、こっち」
 赤毛の少年が地面から体半分突き出して手を振っていた。アーロンが頭を引っ込めるとマリーも地面に飛び込んだ。
「魔法陣だ! サー・ブルー飛び込むぞ」
 タイガは馬を飛び降り、駆け出した。地面をスライディングしながら穴へと落ちる。サー・ブルーも続いて落ちてゆく。次の瞬間、二人は折り重なるようにしながら地面に尻餅をついた。出た先は、本来なら吊り橋を渡り切ったカナトスの地。背後から馬のいななきと怒号が渓谷を木霊する。対岸にいる刺客らが馬の手綱を引き、右往左往する姿が見えた。吊り橋がないため、行く手を阻まれたのだ。馬上から一斉に矢を射るも、カナトスの地に届く前に推進力は衰え谷底へと墜ちていった。
 「アーロンでかしたぞ!」
 タイガはアーロンの赤毛をもみくちゃに撫でたあと、ぎゅっと抱きしめた。翼をばたつかせたマリーはギーギーと鳴きながらタイガの周りを飛び回るのだった。




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