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水車小屋のリリス
リリスの誕生日(2)
しおりを挟む黄泉の森が真夜中を過ぎたころ、もののけたちがリリスの誕生日を祝うため風車小屋に集まった。
「十七歳、俺の大切な娘のリリスが、とうとう十七歳になっちまった」
“今年も始まったぞ”とばかりにもののけたちは面白がる。
「誕生日がくるたびに嘆き悲しむ親がどこにいる」
ぬめりとした唇をふるふるいわせながら、ナマズの旦那が言った。
「そうよ、あの小さな赤子がこんなにも美しく成長したのですから、おめでたいことだわ」そう言ったのはエプロン姿の雌のガマガエルだ。ガマ夫人は自慢のイノシシの丸焼きを乗せた大皿をテーブルの上に置いた。
「バカ言え。俺にとっちゃ誕生日なんかめでたくもなんともない。十七年前にペルセポネ様と交わした約束の日がとうとうきちまったんだ」
娘をかわいがるホビショーは酒を飲み、くだを巻いた。
「十七歳のいつに迎えにくるのさ、今夜なのか、一月後なのか、十八歳の誕生日の前日なのか」
テーブルの隅に追いやられているクロノムがぶつぶつと言った。お誕生日席に座るリリスは十六歳の昨日と十七歳の今日で、いったい何が違うのか、今一つピンとこなかった。それよりもクロノムがタイガのことに触れやしないかとハラハラするのだった。
ホビショーが酔いつぶれてしまうとお誕生日の宴の話題は、結界の外で起きた事件に移った。
「おかしなことに、小鬼が冥府の神ではなく人間に仕えておる」
「俺も死の精霊が使う”殺“の弓を小鬼が人間に向けて射るのを見たんだ」
もののけたちは横に長いテーブルに座り、萄酒を酌み交わしながら黄泉の森の外で起きた出来事を噂した。リリスはすぐにタイガのことだと察しがついた。
「長老、これは死の精霊が人間と手を結んだのでしょうか?」
白樺の若木が言った。テーブルの中央に鎮座する、節榑だった松の切り株が口を開いた。
「うーむ……」起きているのか寝ているのか、その動きはほとんどない。長老はゆっくりとした動作で口を開いた。「……ここ数百年はなかったことじゃーー。ワシが思うに……冥府の神と人間が、契約を交わしたのやもしれんの……」
「冥府の神が人間と契約だと?」
もののけたちはざわついた。だが、いつもなら調子よく話に入る銀狐が今夜はいつになくおとなしいとリリスは思った。
「……互いに利害が一致したのやもしれない」長老は髭を撫でつける。「……カナトスの王が漆黒のドラゴンを匿っているとの噂がある‥‥‥冥府の神がドラゴンの居場所を探しているのだろう」
「ですが、長老!ドラゴンは絶滅したのでは?」
動揺する苔の精霊は胞子を撒き散らしながら言った。
「ほぼ絶滅したのは間違えないが、生き残りがいるのかもしれぬ」
リリスは恐ろしさで身震いする。それと同時にタイガの身を案ずるのだった。
ドラゴンの話が出たとたんに、テーブルの上にある食器がカタカタと小刻みに震えていることにリリスは気がついた。揺れているのはテーブルだけじゃない。水車小屋ごと揺れている。恐れをなしたリリスは小さな悲鳴をあげた。
「これは……」飛び起きたホビショーの顔色が変わった。ガラゴロと耳を覆いたくなるような地響きが轟いた。
『皆の者!』
切り株の長老が、強靭の素早さで椅子から飛び上がると、がばりと平伏した。一大事だとばかりにもののけたちが、先を争うように床に平伏す。銀狐は悲鳴をあげて逃げながら戸棚に逃げ込んだ。驚きのあまり立ちすくむリリスはホビショーに平伏すよう頭を押さえつけられた。勢い余って、バランスを崩し、テーブルにあった酒瓶をひっくりかえしてしまう。床一面に赤い葡萄酒が飛び散った。ホビショーは床に広がる赤紫色の葡萄をリリスの顔や髪に擦り込み、わざと汚すのだった。ドアが勢いよく開いた。外は嵐のように風が吹き荒れ、水車小屋の水車は狂いだしたように廻り出す。屋根の瓦がガシャガシャ地面に落下して砕けた。
入口から顎が異常に長い馬面の男が背を折りたたむようにして入ってきた。その背後から、コウモリ傘を持ち、黒いローブを纏った子供の背丈ほどの老婆が現れた。
ホビショーはリリスの頭を更に押さえつけた。
「そなたら、ホビショーの水車小屋に集まり、わらわの噂話に花を咲かせていたな?」老女は言った。
リリスは床にひれ伏していたので、老女の顔までは見えなかった。
「これはこれは冥府の女神ペルセポネ様ようこそお出ましくださいました。噂など、めっそうもございません。我らはそのようなことは、まったくもって、身に覚えがございません」
切り株の長老が応えた。
老女はふんと鼻を鳴らした。大男は犬のようにひくひくと匂いを嗅ぐ。テーブルにあるイノシシの丸焼きに目を留めた。巨漢の身体を丸め、しゃがむような格好で椅子に腰掛ける。しかし、馬面男の体の重さに椅子が耐えきれず、尻の下でぺちゃんこに潰れてしまった。床から悲鳴が上がった。平伏していたもののけの一人が巻き添えになり、押しつぶされた。
馬面男はイノシシの肉を骨ごとガリガリとかみ砕いた。
「この死魔という使い魔は、実に扱いづらく、まったくもって敵わん。さて、ホビショーよ。十七年経って赤子はどのような娘になった?」
リリスは自分のことだと判ると震えが止まらなくなった。
「ペルセポネ様、この者はまったくもってメリザンドとは思えぬ醜女でございます」
「そなた、そういえば十年前も醜い子供だと言った。さすがに年頃の娘ぞ、多少なりともマシになったであろう?」
「いえいえ、この通り葡萄酒一つ満足に注げない不器用きわまりない女でございます」
ホビショーは床に広がる葡萄酒を指して言った。
「まぁよい。娘よ、顔を見せよ」
平伏していたリリスはほんの少しだけ顔を上げる。
「それでは、顔が見えぬではないか」
ペルセポネは苛立った。
水車小屋にいるもののけたちは、冥界の女神に恐れをなし、誰一人として身動きしない。馬面男のクチャクチャとした飲み食いの音だけが響いた。
リリスは床に額を付けたままじっとしていた。とうとうしびれを切らしたペルセポネは、リリスの前にしゃがむと頤を掴み、顔を上げさせた。
「なんとまぁドンくさい娘だよ。体も服も酒にまみれて汚れているではないか」
ペルセポネはチチチと舌打ちする。
上目遣いのホビショーは、安堵の色を浮かべた。だが、ペルセポネはそれを見透かしたように言った。
「だが……悪くはない……立ってみよ」
ホビショーが阻止しようと口を開きかけると、ペルセポネは睨みつけた。
「黙らぬと口を縫い付けてやるぞ」
リリスはそろりと立ち上がる。ペルセポネは品定めするかのように眺めるのだった。
「ふん! 十分に美しいではないか。これを醜女とは、そもそも小鬼の美意識がずれておる」
ペルセポネは持っていたコウモリ傘で床をトンと突く。リリスの汚れた衣服は一瞬で喪服のような黒いドレスに替わった。
「それみなされ。これなら宮仕えになんの支障がなかろ」
宮仕えという言葉にリリスは驚いた。いったいどこの王族の元にいかされるのか。タイガのしたためた禁婚令はさきほどの村娘のコルセット忍ばせてあった。無駄だと判っていても胸に手を当ててみる。不思議なことに、新しいドレスのコルセットにも羊皮紙のようなもの感触があるではないか。リリスは安堵するのだった。
「ぺ、ぺ、ペルセポネ様、娘をどうすると?」
「娘、名をなんと申す?」
ペルセポネはホビショーを無視する。
「リリスと申します」リリスは答えた。
「小鬼にしてはよい名をつけたものだ」
「してリリス。書棚にある呪文はすべて覚えたんだろうね?」
ホビショーは首を横にふる。リリスは腹をくくった。これは防ぎようのないことだと。自分の運命は最初から決められていたのだと悟った。
「はい」と、小さく返事を返した。
「ホビショーや。情は捨てなされ。このリリスはいつまでも、ももののけと一緒にはいられぬ。ましてやもののけや使い魔などの下級の男に嫁がすことは断じて私が許さぬ」
どこからともなくクーとうめき声がした。ペルセポネはそれを聞き逃さなかった。戸棚にコウモリ傘をさし向けると、ドアが開いた。隠れていた銀狐が露わになった。
「おや、おや、クロノムではないか。わらわの許より逃げ出したと思いきやこんなところにおったのか」
「逃げてなどおりません。私もリリスの成長を見守っていた一人にございます……」クロノムは最後は消え入りそうな声で言った。ペルセポネはふんと鼻を鳴らし、ドアをぴしゃりと閉めてしまった。
「ペルセポネ様、リリスをどうなさると? もしや冥府に連れて帰るのですか?」
「そなたの役目はこれでしまいだ。好きなように暮らすがいい」
おいおい泣き崩れるホビショーにリリスは抱きついた。それから言い訊かせるように囁いた。
「お父様、リリスは必ず帰って参ります。ですから、この水車小屋で待っていてください」
「リリスや、神は時に理不尽であり、気まぐれなもの。何があっても辛抱するのだぞ」涙に暮れるホビショーがぼそぼそと言う。
ペルセポネは傘をくるりと一回転させる。リリスは父親に抱きついたままの姿で、食い散らかす死魔もろとも姿を消した。
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