蒼氓の月・タイガとラストドラゴン/(絶滅の危機にあるドラゴンを救えるのか。王位をめぐる陰謀と後宮の思惑。タイガとリリスの恋の行方は)

むとう けい(武藤 径)

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リオン城

北塔のタイガ

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宵の口、北塔のあるじが帰ってきた。皇子に仕える者たちは慌てふためき、やれ灯りをともせだの、やれ食事を用意せよだの、右往左往している。回廊を颯爽と歩くタイガは、マントを脱ぐと女官に渡す。刀持ちの青年に剣を預け、その間にのコンラッドから、タイガの不在中に起きたことについての報告を受けた。
「ーー王様は普段と変わりなくお過ごしでしたが、ある日、突然倒れられ、意識が戻らないのでございます」
「医者はなんと申しているのだ?」
「ご健康そのものでございましたので、原因がはっきりせず、薬の処方に苦慮していました。ですが、これに、お怒りになったクレア王妃が医者を首にいたしまして、実家から祈祷師を連れて参りました」
「医者を首にして、祈祷師と申すか?」
「はい」
 祈祷で病が直るのだろうか。王妃が言い出したら誰も逆らえない。タイガは歯がゆい思いをぐっと堪えた。
「ーーならば、このたびの外遊報告は皇太子にするとうことだな?」
「さようにございます」
 父上は存命だったーー。刺客らの動きから、タイガは王の崩御という最悪のシナリオを考えていた。それだけに、多少なりとも救われた気持ちになった。だが、王様の容態は悪く。依然として、タイガは粛清の筆頭であることは変わりはなかった。
「若様、北塔の警備を最上級に上げましてございます。タイガ様に同行していたサー・ブルー殿は?」
「兄弟子《あにうえ》には、南御殿に戻っていただいた」
「では任務を解かれた今、若様に万が一、やいばを向けるなどといった場合も‥‥‥」
 コンラッドは言葉を濁しつつ敵味方に分かれることを示唆した。サー・ブルーは王様直属の騎士団に属している序列二位のナイトだった。王様の回復が見込めない場合、“王の騎士団”がその王座を脅かすタイガを粛清すると言いたいのだ。これを訊いた乳母のミルドレッドは、コンラッドの言葉を遮るように言った。
「乳を分けあった兄弟がそのようなことを。コンラッド様、もしも息子がタイガ様を殺めるなら、真っ先にサーは、母である私を切り捨てることになりましょう」
 タイガの乳母はナイトの一族の奥方だ。爺《じい》のコンラッドについても、代々リオン家に支える王の従者をしている家系だった。王様は後ろ楯のないタイガにそれなりの重鎮をつけていた。

 タイガは皇子の寝所に入る。乳母のミルドレットは女官にあれこれ指示を出し、風呂の用意をととのえさせた。次々と湯が運ばれ、ドラゴンの四つ指が支える磁器の浴槽に注ぐ。ところが部屋の外から、何やら騒ぐ声が聴こえてきた。衛兵に皇子の部屋に入室するのを阻止されたアーロンがタイガを呼んでいた。 
「若様、あの者はいかがなさいましょう?」
 コンラッドは粗末な身なりの少年に顔を顰めた。
「じい、あの少年は、この度の密命により連れてきた客人。幾度か命も救われておるのだ。丁重に饗せ。部屋と衣服を用意し、支度が済んだらともに食事をする。刺客についての話はそれからだ。それから、料理人に生肉を持ってこさせるように」
「若様、生肉ですと?」何かの間違いだと思ったコンラッドは聞き返す。
 目を覚ましたマリーが先ほどからタイガの懐の中でモゾモゾと動いていた。くすぐったさのあまりタイガは身をよじる。笑いながら人払いするよう、コンラッドに手を振って指示を送った。
「皆の者、タイガ様が入浴されるから席を外すのだ」
 コンラッドの言葉に若い女官たちは、察したようにすごすごと引き下がった。じいと乳母、そして年老いた女官だけを残し、寝室のドアは閉じられた。
「さて、さて、三人とも。驚くでないぞ」
 人祓いしたタイガは、子供じみた笑いを浮かべた。絹のローブをぬぎ、下着の打ち合わせに手をつっこむ。モゾモゾと動く生物を取り出して見せた。
「生肉がいる理由はこれだ」
「若様、これはなんとしたことか!」
 じいも乳母も年老いた女官も、小さなドラゴンの出現に肝を抜かれた。
「見聞を広めるための外遊とは口実にすぎぬ。実は内々に王様から密命を賜っていたのだ。王様の命によりドラゴンの子供を連れ帰るのが目的であった。よいか、このことは王様がご回復され、ご報告するまで、誰にも知られてはならぬ。皇太子にも、王妃様にもだーー」
 タイガはマリーを部屋に放った。子供の虹色ドラゴンはパタパタと宙を散策するように飛び回った。天蓋付きベッドの天井にとまった。

 タイガの入浴中、爺のコンラッドも部屋の外で控えた。
 タイガは浴槽に身を沈めた。湯の中で、リリスが左腕に巻いたまじないがあらわになっていた。
「若様、腕にあるそれは……?」
「これか……」タイガはリリスの顔を思い浮かべる。胸がうずき、すぐにも逢いたいと思うのだった。「これは、死の精霊の矢を受け、治療した時のものだ」
 ミルドレッドは悲痛な声をあげた。
「心配するな、治療を施した者はたいそう腕利きであったぞ」
「皇子様、我が家は呪術師の家系ゆえ、このが診てしんぜましょう」
 年老いた女官は節くれだった手で、タイガの腕に巻いた包帯を取る。傷痕は僅かに残るだけになっていた。
「ほほう……これまたどうしたことか」
「ローザ、どんな具合なの?」ミルドレッドは女官に対し、じれったいという顔をした。
「皇子様のおっしゃる通りでございます。それは見事な腕前の呪い。書いてあるのはルーン文字」ローザは目を凝らしブツブツと文字を読む。「ーーあれまぁ……驚いた。この呪い文は、自ら命を削る呪文をかけてありますぞ」
「それはどういう意味だ?」タイガは勢いよく振り返ると、湯がバシャリと跳ねた。
「自らの寿命と引き換えに皇子様をお助けしたのです。これはめったと使わない禁じ手を皇子様に施したのでございます」
「なんだって?それならリリスは、私のために命を削ったのか?」
 タイガは思わず名前を呼んだ。背中を流しながら年老いた女官は続けて言った。
「さよう。削ったのは恐らく二、三年でしょう。自らの命を差し出すとは、その女人はよほど皇子様を好いておるのでしょうな」
「これ、ローザなんということを、想像でものを言うでない」
「いやミルドレッド。ローザの言う通り、私がリリスを見初め、禁婚令を下したのだ」
「なんと禁婚令ですと? タイガ様、それはなりませぬ!それだけは。 そのような得体の知れぬ女に禁婚令などと。婚約したのと同じでございます。きっと、その者は旅先で弱った若様のお心につけこんだのでございましょう。サーはタイガ様のおそばに付いておきながら何をしていたのか」
 ミルドレッドはかぶりをふる。
「ミルドレッド、そう怒るな。彼女に一目会えばそなたにも判る。リリスは実に聡明で淑やか。そして美しい女人だ」

 風呂からあがると、タイガは用意されたリネンの下着に着替える。部屋に食卓が運ばれ料理が並んだ。コンラッドに案内されアーロンが入ってきた。赤毛の少年はタイガのおさがりのローブを身に着け、居心地が悪そうに立っていた。
「私に弟ができたみたいだ。よく似合っているぞ」
「俺は、なんだか
「城にいる間、アーロンが魔導士だと知られたくないのだ。私が魔導士を連れ帰ったと知れたらそなたの術に警戒される。したがって、そなたは私の秘密兵器といったところだ」
「俺が、タイガ様の秘密兵器ですか」タイガの言葉にアーロンは顔を輝かせた。
 給仕をするコンラッドはこう言った。
「それでは、旅先で出会った貴族の子息を招待したことにしたらいかがでしょう」
「それはいい、遊び人風情にぴったりではないか」
 タイガは銀の蓋を取ってマリー生肉を見せた。よほど腹が減っていたのか、急化降下してきた子供のドラゴンは、肉にとびつくと、小さく炎を吐きだしながら引きちぎり、呑み込むのだった。


 











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