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リオン城
南塔の皇太子
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夜更け、カナトスの皇太子、イワンは東塔の執務室に籠っていた。
一月ほど前のことだ。それまで健康だった王様が突然倒れ、意識のない状態が続いていた。病の原因ははっきりしなかった。主治医はあらゆる治療を施したものの回復せず。怒り狂った王妃は医者たちを解任すると、実家のユリウス家から祈祷師を連れてきた。しかし、王の容態は変わることなく、これまで治療に携わった者たちは、自分の身の保身を案じ、戦々恐々とするばかりだった。
王妃クレアは息のかかった臣下に、秘密裏に皇太子への譲位の準備を進めるよう命を下した。先走る実母と家臣たちが、つい今しがた、皇太子の自分に対し即位の意を固めるよう迫った。仮に王様が直ちに回復し、王妃の勝手な振る舞いが知れたなら、謀反の疑いをかけかねられない。アーサーは御輿を担ぐ者たちに恐れを抱いた。横たわる父王が仮病だったら。最悪なのは、忠誠を試すための罠だった場合だ。皇太子の座を腹違い弟、タイガにすげ替えるための謀反の名目作りだとしたら。王は意中の側妻に産ませたタイガをことのほか可愛がっている。
アーサーはたくわえた髭をなぞる。開けた窓辺から、カナトス滝が断崖に砕ける水音が絶えず聞こえてきていた。城に棲み着いている灰色梟が、時折ホーホーと喉袋を鳴らした。
イワンは壁掛けのタペストリーを眺めた。五年前の自分と姫の結婚式の模様がつづれ織りで描かれていた。空に天使とドラゴン。参列する王族たち。王と王妃は晴れやかな表情をしていた。
「どうかしている……」
自分は疑心暗鬼になりすぎたとアーサーは長いため息をついた。タイガが戻ってきて心が乱れたのだ。そうだ寝所で視た王様は病気だった。タイガは血を分けたたった一人の弟ではないか。王妃だって、腹違いの弟を手にかけるほど非情ではない。イワンはそう考え直した。
そろそろ妻が眠る寝室に戻った方が良さそうだ。アーサーが立ち上がったとき、不意に空気が動いた。灯り取りの燭台の炎が揺れ、ガラス戸がパタンと音を立てながら外側に開ききった。気配を感じた皇太子はタペストリーを見つめた。湿った黴臭さが鼻をつく。タペストリーの裏側に隠し扉がある。臭いはそこから登ってきていた。だが、扉の存在はごく一部の者しか知らないはずだった。「密偵だろうか?」だが、それにしては様子が変だ。『えっちら、おっちら』と、枯れ葉のような声がしたからだ。警戒したイワンは壁にかけてある剣を手にした。
タペストリーの裏側から黒装束を纏った老婆が出てきた。
「そなた、何奴!」
イワンは剣を抜いた。
「皇太子様、お初にお目にかかります。我らは冥府の住人にて、死の精霊。わらわは人の死を司るペルセポネと申す。これなるは死魔。われら、皇太子様と取引しに参りました」
いつの間にか男が顔をふせて傅いていた。
「冥府だと? たわけたことを申すな! 得体の知れぬ者ども、侵入の罪で、成敗してくれる!」
イワンは部屋の外で控える衛兵に聞こえるよう「曲者ぞ」と、大声をあげた。ドア開き、衛兵がどどっと雪崩れ込む。すると男は法王の椅子、ダゴベールごとく折り曲げていた手足を伸ばし、にょっきりと立ち上がった。顎が異常に長く、見上げるほど背が高い。後頭部を天井につかえさせながら、ドアに向かって、軽く左手をかざした。空気が波打つように揺れたかとおもうと、その波動に当たった衛兵が回廊の床面に投げ出されバタバタと倒れた。ペルセポネは持っていたコウモリ傘をトンと、床に打ち付ける。ドアがピシャリと閉じられた。
二人とも武器も使わず、呪文も唱えない。ただ者ではないのはもはや明白であった。
「イワン皇太子。これでお判りでございましょう?」
老婆は一瞬にして若い女の姿に変貌を遂げる。毒々しい赤い唇に笑みを浮かべた。その容姿に見覚えがあったイワンは息を呑んだ。幼いころ、書庫にある禁書棚でタイガと一緒になって見たことがあった死の女神にそっくりだった。毒気の強さに身震いすると、イワンは顔を背けた。
「して、そなたらは何を望まれる?もしや我が国の資源を狙い取るつもりか?」
「我らは金も水にも興味はなく、探すは王様がお隠しになった漆黒のドラゴン」
「ドラゴンだと?」
イワンは滝壺で水浴びをするドラゴンを思い出したものの、視たのはそれが最後だったと思い至る。
「我が国のドラゴンは十年ほど前から姿を消した」
「我らが仕留め損なったドラゴンを王様が隠されたのだ」
「何を言うか! 死の淵におられる王様に対し不謹慎であるぞ」
「存じておりまする。ユリウスという欲深い貴族が黒魔術に手を出し、生娘の生き血と引き換えに冥府の公爵が召喚されましたゆえ。王妃の父親が、王様を呪ったとなると皇太子様のお立場も危ういのでは?」
誠だろうか? 王様の病の原因は母親の実家だったとイワンは動揺するのだった。
「では、どうしろと?」
「我らの手の者を王様のお傍に仕えさせまする。その者が王様の呪いを解きドラゴンの行方を聞き出した後に、我らが王を黄泉にお連れする。皇太子、その後は、あなた様が玉座に座られたらよろしい。ーー実に良い条件でございましょう?」
ペルセポネは傘を一回りさせると、黒いベールを身に着けた女が現れた。
「この女は?」
「この者はリリスと申します。癒しの力で闇の力を払う術を心得ております」
ペルセポネが指を動かすとふわりとベールがめくりあがる。中から陶磁器のような滑らかな肌をした、美しい女が現れた。ペルセポネに促されると、スカートの裾をふわりと広げ、深々とお辞儀をするのだった。
一月ほど前のことだ。それまで健康だった王様が突然倒れ、意識のない状態が続いていた。病の原因ははっきりしなかった。主治医はあらゆる治療を施したものの回復せず。怒り狂った王妃は医者たちを解任すると、実家のユリウス家から祈祷師を連れてきた。しかし、王の容態は変わることなく、これまで治療に携わった者たちは、自分の身の保身を案じ、戦々恐々とするばかりだった。
王妃クレアは息のかかった臣下に、秘密裏に皇太子への譲位の準備を進めるよう命を下した。先走る実母と家臣たちが、つい今しがた、皇太子の自分に対し即位の意を固めるよう迫った。仮に王様が直ちに回復し、王妃の勝手な振る舞いが知れたなら、謀反の疑いをかけかねられない。アーサーは御輿を担ぐ者たちに恐れを抱いた。横たわる父王が仮病だったら。最悪なのは、忠誠を試すための罠だった場合だ。皇太子の座を腹違い弟、タイガにすげ替えるための謀反の名目作りだとしたら。王は意中の側妻に産ませたタイガをことのほか可愛がっている。
アーサーはたくわえた髭をなぞる。開けた窓辺から、カナトス滝が断崖に砕ける水音が絶えず聞こえてきていた。城に棲み着いている灰色梟が、時折ホーホーと喉袋を鳴らした。
イワンは壁掛けのタペストリーを眺めた。五年前の自分と姫の結婚式の模様がつづれ織りで描かれていた。空に天使とドラゴン。参列する王族たち。王と王妃は晴れやかな表情をしていた。
「どうかしている……」
自分は疑心暗鬼になりすぎたとアーサーは長いため息をついた。タイガが戻ってきて心が乱れたのだ。そうだ寝所で視た王様は病気だった。タイガは血を分けたたった一人の弟ではないか。王妃だって、腹違いの弟を手にかけるほど非情ではない。イワンはそう考え直した。
そろそろ妻が眠る寝室に戻った方が良さそうだ。アーサーが立ち上がったとき、不意に空気が動いた。灯り取りの燭台の炎が揺れ、ガラス戸がパタンと音を立てながら外側に開ききった。気配を感じた皇太子はタペストリーを見つめた。湿った黴臭さが鼻をつく。タペストリーの裏側に隠し扉がある。臭いはそこから登ってきていた。だが、扉の存在はごく一部の者しか知らないはずだった。「密偵だろうか?」だが、それにしては様子が変だ。『えっちら、おっちら』と、枯れ葉のような声がしたからだ。警戒したイワンは壁にかけてある剣を手にした。
タペストリーの裏側から黒装束を纏った老婆が出てきた。
「そなた、何奴!」
イワンは剣を抜いた。
「皇太子様、お初にお目にかかります。我らは冥府の住人にて、死の精霊。わらわは人の死を司るペルセポネと申す。これなるは死魔。われら、皇太子様と取引しに参りました」
いつの間にか男が顔をふせて傅いていた。
「冥府だと? たわけたことを申すな! 得体の知れぬ者ども、侵入の罪で、成敗してくれる!」
イワンは部屋の外で控える衛兵に聞こえるよう「曲者ぞ」と、大声をあげた。ドア開き、衛兵がどどっと雪崩れ込む。すると男は法王の椅子、ダゴベールごとく折り曲げていた手足を伸ばし、にょっきりと立ち上がった。顎が異常に長く、見上げるほど背が高い。後頭部を天井につかえさせながら、ドアに向かって、軽く左手をかざした。空気が波打つように揺れたかとおもうと、その波動に当たった衛兵が回廊の床面に投げ出されバタバタと倒れた。ペルセポネは持っていたコウモリ傘をトンと、床に打ち付ける。ドアがピシャリと閉じられた。
二人とも武器も使わず、呪文も唱えない。ただ者ではないのはもはや明白であった。
「イワン皇太子。これでお判りでございましょう?」
老婆は一瞬にして若い女の姿に変貌を遂げる。毒々しい赤い唇に笑みを浮かべた。その容姿に見覚えがあったイワンは息を呑んだ。幼いころ、書庫にある禁書棚でタイガと一緒になって見たことがあった死の女神にそっくりだった。毒気の強さに身震いすると、イワンは顔を背けた。
「して、そなたらは何を望まれる?もしや我が国の資源を狙い取るつもりか?」
「我らは金も水にも興味はなく、探すは王様がお隠しになった漆黒のドラゴン」
「ドラゴンだと?」
イワンは滝壺で水浴びをするドラゴンを思い出したものの、視たのはそれが最後だったと思い至る。
「我が国のドラゴンは十年ほど前から姿を消した」
「我らが仕留め損なったドラゴンを王様が隠されたのだ」
「何を言うか! 死の淵におられる王様に対し不謹慎であるぞ」
「存じておりまする。ユリウスという欲深い貴族が黒魔術に手を出し、生娘の生き血と引き換えに冥府の公爵が召喚されましたゆえ。王妃の父親が、王様を呪ったとなると皇太子様のお立場も危ういのでは?」
誠だろうか? 王様の病の原因は母親の実家だったとイワンは動揺するのだった。
「では、どうしろと?」
「我らの手の者を王様のお傍に仕えさせまする。その者が王様の呪いを解きドラゴンの行方を聞き出した後に、我らが王を黄泉にお連れする。皇太子、その後は、あなた様が玉座に座られたらよろしい。ーー実に良い条件でございましょう?」
ペルセポネは傘を一回りさせると、黒いベールを身に着けた女が現れた。
「この女は?」
「この者はリリスと申します。癒しの力で闇の力を払う術を心得ております」
ペルセポネが指を動かすとふわりとベールがめくりあがる。中から陶磁器のような滑らかな肌をした、美しい女が現れた。ペルセポネに促されると、スカートの裾をふわりと広げ、深々とお辞儀をするのだった。
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