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リオン城
月夜の女人(1)
しおりを挟むサー・ブルーが剣術の稽古を中庭でやりたがった理由がこれだったか――。
「あの黒いドレスの女人は、もしや彼女なのか?」
侍女たちが立ち去るとタイガは堰を切るように言った。
「タイガ様も、そう思われますか?」
サー・ブルーは剣を鞘《さや》に納めた。
「私は一度見た者の顔は忘れぬ。だが、ベールが邪魔をして、容姿は見えなかった。しかしあの黒髪といい、立ち姿といい、我が心証はリリス……」
タイガは侍女たちの間に立つ、細身の女を思い返しながら言った。
「もしリリス嬢なら、王妃付きの侍女らと一緒にいるのは、少々やっかいでございます。どういった経緯《いきさつ》なのかが気になるところです。場合によってはタイガ様の……」
サー・ブルーは言葉を濁した。リリスがタイガの敵方になると言いたいのだ。
「さて、どうしたものか。――なぁ、サー・ブルー、私が放ってはおかないことくらい承知して居合わせるよう仕向けたのだろう?」
「はい、リリス嬢はタイガ様の命の恩人であり、禁婚令を受けられた方ですので。……ですが、タイガ様のお考えは、いささか障害が多いかと。敢えて申しあげます。オルレアン公がしかるべき家柄の娘を候補に挙げていると聞き及びました」
「ふん! 貴族院どもめ。私に異国の姫を娶れと申すか? あるいは実家の顔色を窺い、操り人形のような娘がいいと? それでは、毎朝、妻のふるまう茶も、おちおち飲めぬではないか。その度にそなたの母に毒見させるつもりか?」
未来を描く自由さえない身の上に、タイガは苦々しい思いを抱いた。
「タイガ様のお気持ちを察すれば、奥方にはリリスは相応しいと思います。ですから、今宵、こうしてお出ましいただいたしだい。――ただ、これからのことを思いますと、貴族院を始め重鎮たちの抵抗が大きく、皇子に覚悟がいることも知っていただきたく、それを申し上げました」
「ならば、周囲の雑音など気にするな。私がなんとかしてみせる。まずは、あの黒装束の女人がリリスかどうかを確かめねばならない」
タイガはそう言うと踵を返した。
部屋に戻るなり、コンラッドに命じて、赤い羽根飾りのついた衛兵が着用する甲冑を用意させた。サー・ブルーに見張りを言いつけると、タイガは堂々と王の寝所に入室した。
南御殿に仕える者たちは皇子の格好にあっけに取られはしたが、東御殿からやってきた得体の知れない呪術師を排除するのは賛成だった。タイガはあっさりと黒装束の女を連れ出すことに成功するのだった。
「ーー何をなさいます? 叫んで人を呼びますよ」
透明感のある声はリリスその人に間違いないと確信する。嬉しくなったタイガは、一刻も早く人目を避けようと駆けだした。引っ張られながらついていく、リリスのささやかな抵抗を感じ取った。中庭の木立の間で立ちとまると声をかけた。
「恐れるでない、ベールをあげよ」
リリスは戸惑っている。それから、「皇子様?」と小さな声で言った。タイガは兜を脱ぎ捨てた。ベールの中で息を呑んでいる。それから細くきゃしゃな手が、ベールをたくしあげた。薄布の中から美しい輪郭の顔が現れた。リリスは面を伏せ、スカートの両端を掴んで深々とお辞儀をした。
「お辞儀などよいから、私について参れ」
タイガはリリスの手を取ると、城の裏手にある湖へと向かった。石橋の支柱の間から城壁に打ち寄せられている水面が見えた。緩やかに吹く風が、リリスのベールをなびかせた。リリスはそれを手で押さえつける。これが純白のドレスなら、さぞかし人々が羨むような麗しい花嫁なるだろう。タイガは胸を熱くさせた。
ほどなくして畔に小さな灯りが見えた。桟橋にランタンを持ったコンラッドが二人を待っていた。湖面から突き出た杭に、金の装飾がほどこされた黒檀色のゴンドラが繋いであった。
「若様、お言いつけ通り準備を整えさせました」
「ごくろう。これより皆は下がるといい」
わきまえるリリスはコンラドに対して丁寧にお辞儀をする。それを見た初老の従者は、感心したように髭を撫でた。
「若様、夜明けまで、さほど時間はございませぬぞ」
「承知しておる」
タイガはゴンドラに乗り込むと、リリスに向かって手を差し出した。リリスは戸惑いの表情を浮かべる。
「さぁ怖がらずに、こっちへこい」
タイガはせかすように言った。
リリスはおずおずと手を差し出す。不安げな面持ちのリリスをゴンドラへといざなった。予想外の揺れに驚いたリリスは小さな悲鳴をあげ、咄嗟にタイガにしがみつくのだった。このまま抱き寄せてしまいたい衝動にかられたが、ここでゴンドラを転覆させるわけにはいかない。細いウエストをささえつつ、シートに座らせた。
下僕がロープを外す。タイガは櫓《ろ》を使って桟橋を押した。左右に揺れながらゆっくり岸を離れる。向きを変えると茂る葦《あし》の間をかきわけながら進んだ。水深が深くなるにつれ、ゴンドラは滑るようにスピードをあげる。麗しの乙女が自分の目の前にいる。タイガは喜びよりも不安の方が先に立った。無理やり禁婚礼を下したが、どこか寂しげな微笑は、婚姻を断りたい現れだろうか? 本当のところは、自分をどう思っているのだろう。タイガは今すぐにでも、答えを知りたいと思うのだった。
だが、急いではリリスの気持ちを害してしまうかもしれない――。焦るなとタイガは自分に言い聞かせた。
東の空から満月が顔を出した。今宵の月は大きい。水影に揺れるリオン城は湖面に浮かぶ浮島のように見えた。岸からそう遠くないところに、点々と杭が打ち込まれていた。
「あの杭は、これより先に行ってはいけないという目印だ。その理由は判るかな?」
「あの先にございますか?」
湖面の終わりは水平線があるのみだった。
「もしや、あの先に滝が?」
「正解。流れは穏やかに見えるが侮ってはいけない。あの杭より先は、思いがけず流れは速く、気づけば手遅れになる。ひとたび流れに乗ってしまうと、おいそれとは戻ってはこられない。吸い寄せられたら最後、絶壁から滝壺めがけて真っ逆さまに墜ちてゆく」
「まぁ……」と、リリスは青ざめた。
タイガはハハハと笑った。
「ここは私の庭だ。幼きころよりサー・ブルーとよく悪さをしたものだ。熟知しているゆえ、心配には及ばない」
タイガの漕ぐゴンドラは北方の対岸を目指した。湖畔に神殿のような東屋が佇んでいた。石階段のほとんどが水中に沈んでいるの。タイガは石段にゴンドラを寄せると、軽々と飛び移る。柱にロープを結びつけた。それから、ゴンドラの縁に橋げたをかけてからリリスを呼び寄せた。
「そなたの住む水車小屋も美しいが、ここは、そこと同じくらい美しい場所であろう?」
そこかしこに灯篭が置かれ、ゴブラン織りの敷物の上に軽食が用意されていた。
「はい、皇子様。まさか、猛々しい城の奥にこのような場所があったとは、考えも及びませんでした」
「そなたに、ここの景色を見せたかったのだ。この東屋は城の表からは、けっして見ることのできない深層の景色。春は水芭蕉群生地となり。初夏は蛙が唄い、秋の夕暮れは葦が黄金のように輝く。静けさの中に降り積もる雪景色は、それは見事である。そなたに見せたいと思っていたのだ」
タイガはリリスを敷物の上に座らせると、自分も横に腰掛けた。今夜、幻想的な庭に急ぎ食事を用意させたのは、気持ちを確かめたかったからだ。リリスが酌をしようと酒瓶に手をかけた。
「ならぬ。今宵は私がもてなす」
リリスの手からから酒瓶を取り上げると二つのグラスに葡萄酒を注いだ。ミルドレッドが作ったミートパイを取り分ける。タイガはグラスをかたむけリリスと杯を挙げる。葡萄酒を口に含んでから、ミートパイを頬張った。
「これは私の乳母が焼いたものだ。じつにうまい。旅の間、どんなにうまい料理を食べても、このミートパイが恋しかった。うまいからリリスも食べてみよ」
リリスは遠慮がちに口にする。
「本当ですわ、タイガ様。さくっくりと香ばしく、とても美味しいお味です」
満足したタイガは快活に笑った。腹を割って話をするなら、共に食事をする。父王は重鎮たちと会食を重ね、国を束ねてきた。それは好いた女人に対しても同じことがいえるはずだ。人の心を掴むには、食事という行為は実に有効な手段である。腹が落ち着いたころ、タイガは本題にはいるべく口火を切った。
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