蒼氓の月・タイガとラストドラゴン/(絶滅の危機にあるドラゴンを救えるのか。王位をめぐる陰謀と後宮の思惑。タイガとリリスの恋の行方は)

むとう けい(武藤 径)

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赤硝子の城

赤硝子の城(2)

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 五十人ほどの近親者が集まったささやかな宴だった。深紅のクロスがかけられた長テーブルの上に、銀を基調とした燭台と絵皿、祝杯のための赤いカッティンググラスが並べ置かれていた。タイガは宴の主役である大公の母、テレサに歩み寄った。
「ご長寿のお祝いを申し上げます。大公の母君にお会いできるのをとても楽しみに参りました。若輩者ゆえ、今宵は昔話を交えながら、母君に御指南願えればと存じます」
 タイガは若い王族らしく、高齢のテレサを敬い謙虚な物腰で言った。
「この度はこの年寄りのわがままをお聞き入れくださりありがとうございます。成長した皇子様のお姿をひと目みたくなりましてね、ですが、私が城に上がるには、とんと足は弱りました。王様のご病気の中で、無理を承知でタイガ様にお越しいただいたのでございます」
 大粒の宝石すら控えめに感じさせる。テレサは皇太后の従妹ということもあり、その立ち振る舞いは威厳に満ちていた。
 タイガが席に着くと、一同が着席する。右手にテレサ、その横にオルレアン大公と夫人が座った。だが、タイガの左隣が空席のままだった。カナトスでは身分の高い者から順に、男女が交互に座るのがならわしだ。仮にタイガに妻がいれば夫婦で座る。だが、独身のタイガに伴侶はいない。したがって本来なら左の席に大公夫人が座ってもよさそうではあったが、空席とは、いったい誰のために設けた席だろう。タイガは大公の意図をはかりかねた。
 だが、宴の席順を巡ってはなにもカナトスだけに限ったことではない。古今東西、席順とはすなはち権力の序列に値するため、常々争いごとの種にもなっている。とある異国では、兵士の頂点に立つ貴族と財力を保有する貴族の間で争いが起こり、内乱に陥った例もある。自分自身に照らしてみると、甥を追いやってまで王位を取りにいくなどと、大それた考えを意識的に排除している。タイガは周辺にそのような考えを持つ者を敢えて遠ざけてきた。

 ファンファーレが鳴った。
 給仕たちがつぎつぎとなだれるように入ってきた。パンと前菜、そして乾杯のための葡萄酒が用意される。準備が整うまでの場の繋ぎに、吟遊詩人が登場した。大げさな身振りでお辞儀すると、リュートを手にカナトスの民謡を披露するのだった。乾杯の前座は宴の席の慣例として行われる。毒見係がいるため、給仕に時間がかかるからだ。タイガは公爵が用意した毒見係とは別に、皇子専属の毒見係を連れてきていた。幼いころより女官のローザがタイガの口にするものを毒見してきている。外遊前はそこまで神経質になる必要もなかったのだが、いつ何時、刺客に襲われてもおかしくない状況のため、北塔全体が警戒を強めてのことだった。
「皇子様、結構なお味でございます」
 皇子の耳朶に囁くとローザ後ろに控える。先代の王より仕えてきた女官だったが、生涯独身をつらぬき、身寄りがいなかった。このため毒見係を自ら志願していた。
『この年寄が皇子のために死ねるなら本望。皇子様に立派な墓を建ててもらうのだ』と口癖のように言っている。だが、タイガの知らないところで、腹の中ではこうも思っていた。
『この手でタイガを王に据えたいーー』
 けっして口にできぬ秘密の願いだった。城に上がって六十年。気づけば女官の中で最高齢になっていた。
 城の外で生まれたタイガは、すぐに北塔に連れてこられた。ローザは第二皇子付きを任ぜられた。表向きは出世の道から外れた処遇。だが、王は同時に腹心コンラッドを左遷させた。乳母のミルドレッドは代々が剣術使い家柄の奥方だ。学友は息子のサー・ブルーや、剣術を学ぶ子息たち。異例づくしの人選は、第一皇子と同等の扱いだった。王の意図は別のところにあるという証拠だ。王の求愛を受けた側室を、かつて皇太后が暮していた離宮オーブ城に住まわせたのは、前例のないことであって、これは王様の気持ちは、未だにタイガの母にあるという裏付けだった。自分に残された時間はそれほどないだろうから、赤子よりずっと仕えてきた皇子を自分の手で王座に据えたい。女官としての集大成として成し遂げられたらーー。内なるローザは思いを強めるのだった。

 給仕係がグラスにワインを注ぎ、陶器の皿の上に前菜が乗った銀の皿を重ね置いた。耳ざわりなかん高い笑い声が響いた。品が良いといえない笑いに貴族たちが顔を顰める。タイガはテーブルを見渡した。入口に近づくほど身分も低くなる。末席に座る男に目を留めた。衣服は貴族のなりであったが服以外は全身が銀色の毛むくじゃらであった。あれは、もののけにちがいないとタイガは思う。その視線に気が付いたテレサが言った。
「あれは、もののけを束ねる者です。あれがきてから採掘の量が増えましてね。今夜は功労ねぎらうため、私が招きました」
「ご領地の若者らは?」
「はい、最近の若い者は続かないのです。ですから、仕方がなく卑しいあの者らを雇い入れています」
 伯爵の母はガラスの原料である石英の鉱山のことを言っていた。このところ砂金を目当てに異国からの流れ者が多くなっていた。それに加えて下級のもののけが人間界に身を落として鉱山で働ようになったのだと言った。

 再びファンファーレが鳴った。すると、来賓たちからざわめきが起こった。開かれた扉の向こうに美しい娘が佇んでいた。
『なんと、噂通りの娘ではないか』来賓たちが口々に言った。
 娘はしずしずと広間に入ってゆく。大公が傍までいくと娘の手を取った。
「タイガ様、そして皆様、この場をお借りしてご紹介いたします。これなるは聖なる泉の修道院から戻って参りました、我が娘のクローディアでございます」
 タイガは礼を受けるため立ち上がった。タイガが立つと一斉に皆が席を立つ。クローディアはドレスを持ち、おごそかに跪礼をした。
 これで今夜の宴の目的が明らかになったとタイガは納得するのだった。公爵の母の長寿の祝いの場を借りて、深層の令嬢の初お披露目も兼ねていたのである。 
『これは、これは、なんと似合いの二人でござるか』
 貴族の一人が口を滑らせた。婦人方からもため息と、称賛の声が聞こえる。流れる金髪に青い瞳の娘は確かに美しい。伯爵の思惑も理解できる。だが、すでに心に決めたリリスがいる。そう思ったタイガは表情を硬くした。コンラッドはタイガに向けて小さく咳払いをする。皇子が座らないと、皆が座れないからだった。

 赤いグラスに葡萄酒が注がれ、乾杯のための三度目のファンファーレが鳴らされる。だがこっけいだったのが自分に酔いしれる吟遊詩人はファンファーレが鳴っても、浪々に謡い続けていたことだ。いつまでもやめないため顔を顰めた大公が大きく咳払いをする。慌てた使用人たちが吟遊詩人を担ぎ上げて退出させるのだった。
 タイガは祝杯の為に席を立った。全員がそれに合わせてグラスを手に持ちながら席を立つ。
「先の伯爵、テレサ未亡人の更なる健康とご長寿を願います」
 タイガはテレサに向かって祝福の杯を重ねた。グラスがそこかしこで鳴る。四度目のファンファーレの後は和やかに食事と歓談が進むのだった。タイガはリクエスト通りテレサに外遊話をする。ドラゴンや死魔、刺客の話を避けながら、観たもの味わったものなどを面白おかしく聞かせるのだった。
「半年もの長い外遊。遠方のバルトニア王国で、皇子はよき見聞を広げられました。それに、お話がとてもお上手でいらっしゃる。ねぇクローディアそう思いませぬか?」
 テレサはタイガの横にいて、終始微笑を絶やすことのないクローディアに問いかけた。
「はい、ごもっともでございます。--訪れたこともないような異国の情景が目に浮かぶようで、皇子様のお話に聞き入ってしまいました」



 
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