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第六十話 迷宮が生み出したもの

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 サヌザンドの王位継承は、正妃腹の王子で争われます。兄だからといって、弟に勝つという保証はありません。

 勝敗を決めるのは時の王とはいえ、周囲の貴族達にいかに優秀かを見せなければならないのです。なかなか、王位を継承するというのも大変なのですよ。

 今代に限って言えば、黒の君は自他共に認める優秀な方です。魔法に長けているだけでなく、政治や経済でも改正案をいくつも出していると聞いています。

 陛下からの覚えもめでたく、また貴族達からの支持も得ている黒の君がいては、いくらオリサシアン様が王位を狙おうとも無理というものです。

 なのに……

「連中は私の政策には反対意見を述べる事が多かった。おそらく、オリサシアンを王位に就けて、自分達の傀儡にしようとしていたのだろう」

 ああ、そういう事ですか。どこにでも、腐敗した人達というのはいるものなんですね。

「だが、そんな二人にも計算違いが生じた。例の腕輪だ」
「オリサシアン様がつけてらした、魅了の力がある魔道具ですね?」
「ああ。あの二人は、腕輪の力を過小評価していたらしい。もしくは、オリサシアンを、かな」

 どういう意味でしょう?

「実は、アノハースもモロビューナーも、一番最初に魅了の影響を受けたようなのだ」
「ええ?」
「おかげで操ろうと思っていたオリサシアンに、逆に操られていたらしい」
「まあ」

 なんともいえない結果ですね。

「結局、オリサシアンはあの二人の事も信用はしていなかったという事だな」

 黒の君の言葉に、陛下が眉間に皺を寄せています。陛下にとっても、お子の一人。複雑な思いもあるでしょう。

 アノハース伯爵とモロビューナー伯爵は、最初に魅了を使われたせいか、影響が強すぎて未だに完全解呪には至っていないそうです。

「だが、おかげで素直にこちらの言葉に従うので手間がかからん。あれこれ聞き出しているが、腕輪やサーワンド伯の件以外にも、余罪が多くて笑いが止まらんぞ」

 それも、どうなんでしょうね? いえ、悪事が露見するのはいい事なのですが。

 魅了は深くなりすぎると、思考能力がなくなり人の言う事に従うだけになるそうです。やはり迷宮産の呪われた魔道具、恐ろしいものです。

 そういえば、その魅了の腕輪の入手先も、わかったんですって。それが聞いてびっくりの場所でした。

「では、オーギアンの、あの塔から出たものだったんですか!?」
「ああ」

 なんと、あの腕輪は蒼穹の塔から出た品だったそうです。何階から出たのかまではわかっていないそうですが、多分二十階までのどこか、でしょうね。

「魅了の腕輪をオリサシアンに贈ったのはモロビューナー伯爵で、入手経路は彼の夫人の伝手だったそうだ」
「夫人……ですか? オリサシアン様の乳母を務めた?」
「ああ、ベーサは知っているのだったな。夫人はあのオーギアン出身なんだ」
「ええ!?」

 知りませんでした! サヌザンドは完全に閉ざしている訳ではありませんが、エント王国以外とはろくな付き合いがない国です。

 なのに、迷宮のあるオーギアンから輿入れなさっていたなんて……

「珍しい話ではあるが、当時エント王国の侯爵家が仲介をしたらしい」
「まあ」

 確かに、エント王国とオーギアン王国とは国交があるようですから、そういった話もない訳ではないのでしょうけれど。

 ちょっと、色々勘ぐりたくなる話ですね。

「ちなみにその侯爵家だが、とある商家と懇意だそうでな」
「商家」

 そう聞くと、真っ先に思い浮かぶのはカルさんなのですけど。彼の実家はエントの豪商という話でしたし。

 ただ、父君の後妻が性悪で、あのまま実家にいたら殺されかねなかったという事でしたが。

 まさか……ね?

「その商家、今は没落の危機あるそうだ。ついでに、仲介をした侯爵家もな」
「何か、あったんですか?」
「商家の汚職に、侯爵家が巻き込まれたらしい。もっとも、侯爵家には政敵が山のようにいたそうだから、どこかの家に嵌められたのかもな」

 黒の君……そんな楽しそうに仰らなくても。



 冤罪の真相、それに魅了の腕輪の入手先、入手した人物などがわかり、大分頭の中がすっきりしてきました。

 ですが、やはり今でもわからない事があります。

「オリサシアン様は……やはり王位を望まれていたのでしょうか?」

 陛下や黒の君を見ていると、権力を持つのは生やさしい事ではないと思うのです。あの甘ったれなオリサシアン様が、果たしてそんな地位を本当に望まれたのでしょうか?

「……さあな。今のあいつには、何も答える事が出来ん」

 黒の君は、苦い顔で仰いました。

 腕輪を行使していた当人であるオリサシアン様は、一番腕輪の影響を受けていたようです。

 あの時見た、痩せ細った姿。腕輪が解呪される際に、ご本人の肌をも焼いた事実。

 今もあの火傷跡は腕に残っているそうです。そして……

「オリサシアンは、幼子に戻ったようだ」

 重々しい陛下の声が、寝所に響きました。オリサシアン様は、まるで言葉を話し始めた頃の幼子のような行動を取るそうです。

 それが長く腕輪を嵌めていた影響なのか、それとも別の原因があるのかはわかりません。

 それでも、今は王都の外れにある離宮で、心穏やかに過ごされているのだとか。

「あれは、余の子に生まれてこなければ良かったのかもしれん」
「父上……」

 王族に、正妃の子に生まれたから、誕生のその時から否応なく兄弟と争わされる。確かに、心の弱いところがあるあの方には、過酷だったかもしれません。

 ですが、人は生まれ落ちた場所で生きる以外、道はありません。その場で自分に出来る精一杯の事をして、生きなければならないのです。

 例え当人にとって、地獄に等しい場所だったとしても。



 奥宮を辞し、王宮内を歩いている間にニカ様のお姿を目にしました。

「ニカ様!」
「まあ、ベーサ。……今日だったのね」
「はい」

 何も言わずとも、奥宮での事をご存知のようです。おそらく、私に聞かせる前にニカ様にもお話しがあったのでしょう。

 ニカ様も王族として王宮に戻り、やっと平穏な生活が送れているようです。狩猟用の服もお似合いでしたが、やはりニカ様には王宮でのドレス姿の方が似合います。

「少し、話せないかしら?」

 もちろん、私に否やはありません。両親には先に帰ってもらい、私はニカ様と共に王族の生活空間である中之宮に来ました。

 奥宮とはまた違い、静かではありますが華々しさのある空間です。こちらは、女性も多くお住まいですからね。

 中之宮にある一角が、ニカ様の居住場所です。中之宮でも端の方で、何となく寂しげに感じます。

「こちらは、人が少ないのですね」
「ええ、使用人も数を絞ってもらってるの。人が多くなると、煩わしい事も多いから」

 王宮内の使用人の間でも、ニカ様の母君の身分の低さが問題になっているのでしょうか。だとしたら、大問題なのですけれど。

 密かに憤慨していたら、雰囲気で察したらしいニカ様が苦笑なさいました。

「別に彼等に陰口をたたかれる訳ではないのよ。ただ、人が大勢側にいる事に、私が慣れていないだけ」

 母君がいらっしゃった頃から、あまり周囲に人を置かなかったというのは、いつかの雑談の折りに聞いた事があります。

 居心地のいい居間に通され、ちょっと恐縮していると年配の使用人がお茶を置いていきました。聞けば、母君がいらした頃から仕えてくれている、数少ない者の一人だとか。

「彼女の淹れるお茶はおいしいのよ」
「いただきます」

 口に含んだお茶は、確かに渋みが薄く、ほのかな甘みを感じるおいしいものでした。腕がいいのですね。

「……兄上からは、どこまで聞いたの?」

 唐突な言葉でした。

「……オリサシアン様に腕輪を渡した人物の名前と、彼等のその後、それと入手経路と産出場所、オリサシアン様の現在のご様子、ですね」
「驚いたわよね? まさか、私達が上っていたあの塔だなんて」

 ええ、本当に。思わず陛下の前だというのを忘れて、声を大きくしてしまった程です。

「何だか、迷宮に踊らされつづけていた気分だわ」

 呟くように仰るニカ様は、苦い笑みを浮かべていました。
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