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本編
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父と母の間が他の夫婦と比べてよそよそしいと、気づいたのはいつだっただろう。
それは物心をつく前後だったかもしれないし、思春期の間に感じたのかもしれない。
家庭を一番身近な場所として置いていた頃はそういうものだと思っていたのだが、他の家族と比べたときに、その違いを感じはじめた。
小野田家では両親の喧嘩もない。
ただ淡々と、互いが生活に必要な仕事を担う。
そんな夫婦。
喧嘩がない、ということを羨ましがられたときもあったが、そのうち冬彦は気づき始めた。
ないのは喧嘩だけではないと。
温もりも、愛情も、感じられなかった。
家族を養うのが、父の仕事だった。
息子を育てるのが、母の仕事だった。
冬彦はそんな中で、父と母の期待を背負った。
二人にとって誇れる息子であるようにと。
恥ずかしくない息子であるようにと。
小さいときには冬彦の行動で、夫婦が和やかに会話をすることも多かった。
「母さんの育て方がいいんだな」
「それもお父さんが仕事してくれているからよ」
そんな会話に、ほっとした幼少期。
気付けばそれも失われた。
冬彦のできが良くなればなるほど、両親は冬彦を誇るよりも世間体を気にするようになった。
ハズカシクナイヨウニ。
ーーみっともない。
母の吐き捨てるような言葉を思い出す。
病院の前であゆみを抱きしめた姿を見たのは、他の誰でもない母だったのだろうと、あの言葉を聞いたとき冬彦は直感した。
何故、病院の前にいたのかも、ああいう行動に出たのかも、相手がどういう女性なのかも、考えず。
ただ、世間の目で息子の行動を捕らえ、切り捨てたのだ。
母の目で見ることなく。
冬彦はまた街中をさ迷っていた。
あゆみはまだ仕事中だ。合い鍵をもらった訳ではないので勝手に家で待っていることもできない。
そういえばエアコンだけでも見ていようか。
そんなことを思いながら、駅前の電気屋へと向かう。
賑やかな店内に入ったとき、ポケットのスマホが揺れていることに気づき、通話ボタンを押した。
伯父からだ。
『冬彦、どうかしたか?』
「どうかしたって、どういうことです」
気の知れた伯父だが雇い主だ。冬彦が応じると、伯父が苦笑する気配がした。
『例の見合い、どうなったって聞いたらすごい剣幕でさ。兄さんには関係ないだのなんだのーー』
「……伯父さんも知ってたの」
ついふてくされて地が出ると、伯父は笑った。
『相手は俺の会社の取引先に勤めてるんだろ。律儀なお前の父親が、何も言わない訳がない』
冬彦は苛立ちと共に息を吐き出す。
伯父は店内のざわめきを聞き取ったようだ。
『なんだ、今外か?』
「……ええ、まあ」
『もしかして、ようやく家を出る気になったとか』
「……」
冬彦のだんまりを肯定と取って、伯父が笑う。
『ようやくお前も踏ん切りがついたか』
「……遅いくらいですけどね」
『何言ってんだ。まだ三十そこそこのガキだろう』
伯父は歯切れのいい口調で笑うと、ふと声のトーンを落とした。
『で、アテはあるのか?』
冬彦は黙る。伯父の性格を考えれば、しばらく同居させてもらうことはできるだろうが、あまり気が進まなかった。かといって、このままあゆみの部屋に転がり込むのもなんとなく気が引ける。
そんな冬彦の心境を察したのだろう。伯父はまた笑うと、まあいい、と自己完結したようだった。
『家借りるにも、保証人が必要だろ。いつでも言え、名前くらいいくらでも書いてやる』
冬彦は苦笑した。お礼を述べるべきかと思いつつも、頷いたきり黙る。
『少しはお灸を据えてやれ。秋政もこれで清々するだろう』
「……お灸って」
確かに、両親は親としてどこか欠けていた。
子どもとして、それは分かる。
しかしそれが、何か罰を受けるほどのことなのかと、冬彦は思ったのだ。
『ああいう夫婦になったのも二人の選択だったからだ。それにお前ら兄弟がつきあわされたのが不憫だがな』
冬彦は黙った。思いつく節がなくはない。
父のスーツから漂った香水の香り。
それは忘れた頃に、何度か嗅いだーーそしてどれも、同じ香りだった。
『ま、詳しいことは当人から聞け。言う気はないかもしれないがな』
冬彦が黙っていると、伯父は言って息を吐いた。
『二つに一つだと思っていたよ』
冬彦は伯父の言葉に耳を澄ませる。伯父は一人ごちるように続けた。
『お前の生きる道はさ。家を断ち切って、自分の生き方を貫くか、それとも、お前の親父のコピーになるか』
冬彦は喉奥につまる何かを感じた。伯父は冬彦が黙っているのも気にせず笑う。
『おおかた、コピーとしての生き方を選んだんだろうと思ってたが、ここに来てどんでん返しとはな。何かあったか?』
問われて、口元に苦笑じみた笑みが浮かんだ。
「まあ……そんなとこ」
目を閉じて、息を吐き出す。
まぶたの裏に、花田とあゆみの顔が浮かんだ。
(二人とも、ぼちぼち新学期か)
テストがあると言っていたのを思い出す。
しばらくばたばたするのだろう。
その間に、こちらも目処がつくかどうか。
「伯父さん。どうなるかわかんないけど、父さんと母さんのこと、よろしく頼むね」
伯父は電話口で一瞬言葉を失い、噴き出した。
『ああ見えてあいつらも図太いから、気にすんな。つっても気になるんだろうけどな』
言い終えると、じゃあなと軽く笑いつつ電話を切る。
冬彦は息を吐き出した。
それは物心をつく前後だったかもしれないし、思春期の間に感じたのかもしれない。
家庭を一番身近な場所として置いていた頃はそういうものだと思っていたのだが、他の家族と比べたときに、その違いを感じはじめた。
小野田家では両親の喧嘩もない。
ただ淡々と、互いが生活に必要な仕事を担う。
そんな夫婦。
喧嘩がない、ということを羨ましがられたときもあったが、そのうち冬彦は気づき始めた。
ないのは喧嘩だけではないと。
温もりも、愛情も、感じられなかった。
家族を養うのが、父の仕事だった。
息子を育てるのが、母の仕事だった。
冬彦はそんな中で、父と母の期待を背負った。
二人にとって誇れる息子であるようにと。
恥ずかしくない息子であるようにと。
小さいときには冬彦の行動で、夫婦が和やかに会話をすることも多かった。
「母さんの育て方がいいんだな」
「それもお父さんが仕事してくれているからよ」
そんな会話に、ほっとした幼少期。
気付けばそれも失われた。
冬彦のできが良くなればなるほど、両親は冬彦を誇るよりも世間体を気にするようになった。
ハズカシクナイヨウニ。
ーーみっともない。
母の吐き捨てるような言葉を思い出す。
病院の前であゆみを抱きしめた姿を見たのは、他の誰でもない母だったのだろうと、あの言葉を聞いたとき冬彦は直感した。
何故、病院の前にいたのかも、ああいう行動に出たのかも、相手がどういう女性なのかも、考えず。
ただ、世間の目で息子の行動を捕らえ、切り捨てたのだ。
母の目で見ることなく。
冬彦はまた街中をさ迷っていた。
あゆみはまだ仕事中だ。合い鍵をもらった訳ではないので勝手に家で待っていることもできない。
そういえばエアコンだけでも見ていようか。
そんなことを思いながら、駅前の電気屋へと向かう。
賑やかな店内に入ったとき、ポケットのスマホが揺れていることに気づき、通話ボタンを押した。
伯父からだ。
『冬彦、どうかしたか?』
「どうかしたって、どういうことです」
気の知れた伯父だが雇い主だ。冬彦が応じると、伯父が苦笑する気配がした。
『例の見合い、どうなったって聞いたらすごい剣幕でさ。兄さんには関係ないだのなんだのーー』
「……伯父さんも知ってたの」
ついふてくされて地が出ると、伯父は笑った。
『相手は俺の会社の取引先に勤めてるんだろ。律儀なお前の父親が、何も言わない訳がない』
冬彦は苛立ちと共に息を吐き出す。
伯父は店内のざわめきを聞き取ったようだ。
『なんだ、今外か?』
「……ええ、まあ」
『もしかして、ようやく家を出る気になったとか』
「……」
冬彦のだんまりを肯定と取って、伯父が笑う。
『ようやくお前も踏ん切りがついたか』
「……遅いくらいですけどね」
『何言ってんだ。まだ三十そこそこのガキだろう』
伯父は歯切れのいい口調で笑うと、ふと声のトーンを落とした。
『で、アテはあるのか?』
冬彦は黙る。伯父の性格を考えれば、しばらく同居させてもらうことはできるだろうが、あまり気が進まなかった。かといって、このままあゆみの部屋に転がり込むのもなんとなく気が引ける。
そんな冬彦の心境を察したのだろう。伯父はまた笑うと、まあいい、と自己完結したようだった。
『家借りるにも、保証人が必要だろ。いつでも言え、名前くらいいくらでも書いてやる』
冬彦は苦笑した。お礼を述べるべきかと思いつつも、頷いたきり黙る。
『少しはお灸を据えてやれ。秋政もこれで清々するだろう』
「……お灸って」
確かに、両親は親としてどこか欠けていた。
子どもとして、それは分かる。
しかしそれが、何か罰を受けるほどのことなのかと、冬彦は思ったのだ。
『ああいう夫婦になったのも二人の選択だったからだ。それにお前ら兄弟がつきあわされたのが不憫だがな』
冬彦は黙った。思いつく節がなくはない。
父のスーツから漂った香水の香り。
それは忘れた頃に、何度か嗅いだーーそしてどれも、同じ香りだった。
『ま、詳しいことは当人から聞け。言う気はないかもしれないがな』
冬彦が黙っていると、伯父は言って息を吐いた。
『二つに一つだと思っていたよ』
冬彦は伯父の言葉に耳を澄ませる。伯父は一人ごちるように続けた。
『お前の生きる道はさ。家を断ち切って、自分の生き方を貫くか、それとも、お前の親父のコピーになるか』
冬彦は喉奥につまる何かを感じた。伯父は冬彦が黙っているのも気にせず笑う。
『おおかた、コピーとしての生き方を選んだんだろうと思ってたが、ここに来てどんでん返しとはな。何かあったか?』
問われて、口元に苦笑じみた笑みが浮かんだ。
「まあ……そんなとこ」
目を閉じて、息を吐き出す。
まぶたの裏に、花田とあゆみの顔が浮かんだ。
(二人とも、ぼちぼち新学期か)
テストがあると言っていたのを思い出す。
しばらくばたばたするのだろう。
その間に、こちらも目処がつくかどうか。
「伯父さん。どうなるかわかんないけど、父さんと母さんのこと、よろしく頼むね」
伯父は電話口で一瞬言葉を失い、噴き出した。
『ああ見えてあいつらも図太いから、気にすんな。つっても気になるんだろうけどな』
言い終えると、じゃあなと軽く笑いつつ電話を切る。
冬彦は息を吐き出した。
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