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本編
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伯父とはもともと、明日会う予定だった。渡す書類はもう作成済みで、先にメールで先方へ送ってある。
情報漏洩の点から、外で取引先の書類を広げる気にはならない。となれば勉強でもするかと、夏休みが明ける直前の図書館に足を運んだ。
企業の顧問弁護士であるため、経営についても知っておいた方が何かと話がしやすい。士業ともなれば勉強するのも仕事の内だ。落ち着いて机に向き合える場所があればそれも叶う。
閲覧コーナーで机に向き合って一日を過ごす。
カフェなどに行ってもいいのだが、図書館の空気は落ち着く。
空間を共有しているのに、誰もが息を潜め、互いに接触することのない場所。
疲れると少し席を立ち、本の背表紙を眺めたりもした。
冬彦が読むのは専門書や実用書が主で、せいぜい新書止まりだ。小説やエッセイの類は全く手に取ったことがないが、国語教師でもあるあゆみの本棚には逆に、その手の本が多く並んでいたのを思い出す。
あゆみに伝えようとするときにも、母に伝えようとするときにも、自分の気持ちはうまく言葉にならなかった。伝えたいという気持ちはあったが、どう伝わったかは分からない。
あゆみが冬彦の意図を受けとろうとしてくれていた一方、母にその意欲は感じられなかった。コミュニケーションは互いの思いやりの上に成り立つものだと、分かっているつもりだったことを改めて思い知る。
母に、冬彦の言葉はどう伝わったのだろう。
ーー母さんよりも、大切にしたい人ができたんだ。
口をついて出た言葉には、自分でも驚いた。
マザコンのつもりはない。
だが確かに、今までの冬彦は、喜ばせようとする対象を母と置いていたように思う。
思考を通さずに口から出た言葉は本音に近い。
とは、仕事の経験上からも知っている。
自分にとって、母とは何なのか。父とは何なのか。
あゆみと共にいたいと、切実に願うこの気持ちは何なのか。
冬彦は後ろ頭に手をやりながら、深々と息を吐き出した。
閉館前に、冬彦は図書館を出た。
またしても駅前の電気屋へ足を運ぶ。
今夜はどこで過ごしたものかーー
思っていると、スマホが鳴った。
あゆみからのメッセージだ。
【今、どうしてる?】
時計は午後5時をさしている。
冬彦はただ一言、駅前、と返事をした。
あゆみからは次いで電話が来た。
冬彦は邪魔にならないところに寄り、スマホを耳に当てる。
『もしもし?』
あゆみの声に、胸中を安堵感が満たす。
つくづく彼女を支えにしている自分に気づいて苦笑した。
「もしもし。まだ仕事じゃないの?」
『今会議終わって……あと1時間くらいしたら帰る』
あゆみは周りを気にしたのか、少し移動したようだった。
『家出はまだ継続中?』
「うん」
『宿泊先は決まったの?』
「ううん」
『あ、そうーー』
一瞬の間。
あゆみは少し言葉に迷ったようだったが、
『夕飯』
「は?」
『夕飯、作ってくれる人、いないかなぁ』
「……今日?」
『さ、最近、外食続きだったんだよねー』
あゆみは言って、言葉に迷ったように黙る。
ただ泊まれと言わないのは、きっと冬彦の性格を分かってのことだ。
その優しさを察しながら、冬彦は苦笑した。
『……それとも、他に……アテがある?』
あるといえば、いくらでもある。
一泊二泊、頼めば泊めてくれる友人はいた。
その一方、ないといえばない。
あゆみの近く以上に、安心できる場所など。
「……いいの?」
静かに聞くと、あゆみが頷く気配がした。
『……鍵、渡しとけばよかったかなって』
その言葉に、冬彦はあきれる。
「防犯意識が低すぎるぞ」
『えっ。だ、だって知った人じゃない』
「見知った男こそ気をつけるべきだ。多くの性犯罪は知った顔の犯行だぞ」
『だ、だって……』
あゆみは声を小さくした。
『いやがること、しないって言ったじゃない』
冬彦は黙る。
(まあ、そうだけど)
頬が赤く染まったことを自覚した。
きっと電話の向こうで、あゆみも同じように頬を染めているのだろう。
経験の豊富さなどすっかり棚に上げた反応に、我ながら苦笑する。
「……クーラー見てるけど」
『えっ? あ、うん?』
「適当に見繕ってもいい? 資料、持ってく」
『え……え、ーと……うん……』
あゆみは頷いてから、
『……やっぱり、合い鍵渡せってことじゃない』
「嫌がることしないから、いいんだろ」
冬彦が言うと、あゆみが噴き出した。
『誰でもいいわけじゃないよ』
その先の言葉は、周りを気遣かったように飲み込む。
『……夕飯、楽しみにしてます』
「何がいい?」
『え、何でもいい』
「じゃオムライス」
冬彦の冗談にあゆみが笑う。
『ま、美味しかったからそれでもいいけどね』
二人で笑って、電話を切った。
そうは言っても、調理時間はあゆみが帰ってからのスタートだ。腹も減っているだろう。手早く調理できるものがいい。
そんな算段をする自分が、すっかり主夫にでもなったようだ。しかしそれも悪くないなと一人ごちた。
情報漏洩の点から、外で取引先の書類を広げる気にはならない。となれば勉強でもするかと、夏休みが明ける直前の図書館に足を運んだ。
企業の顧問弁護士であるため、経営についても知っておいた方が何かと話がしやすい。士業ともなれば勉強するのも仕事の内だ。落ち着いて机に向き合える場所があればそれも叶う。
閲覧コーナーで机に向き合って一日を過ごす。
カフェなどに行ってもいいのだが、図書館の空気は落ち着く。
空間を共有しているのに、誰もが息を潜め、互いに接触することのない場所。
疲れると少し席を立ち、本の背表紙を眺めたりもした。
冬彦が読むのは専門書や実用書が主で、せいぜい新書止まりだ。小説やエッセイの類は全く手に取ったことがないが、国語教師でもあるあゆみの本棚には逆に、その手の本が多く並んでいたのを思い出す。
あゆみに伝えようとするときにも、母に伝えようとするときにも、自分の気持ちはうまく言葉にならなかった。伝えたいという気持ちはあったが、どう伝わったかは分からない。
あゆみが冬彦の意図を受けとろうとしてくれていた一方、母にその意欲は感じられなかった。コミュニケーションは互いの思いやりの上に成り立つものだと、分かっているつもりだったことを改めて思い知る。
母に、冬彦の言葉はどう伝わったのだろう。
ーー母さんよりも、大切にしたい人ができたんだ。
口をついて出た言葉には、自分でも驚いた。
マザコンのつもりはない。
だが確かに、今までの冬彦は、喜ばせようとする対象を母と置いていたように思う。
思考を通さずに口から出た言葉は本音に近い。
とは、仕事の経験上からも知っている。
自分にとって、母とは何なのか。父とは何なのか。
あゆみと共にいたいと、切実に願うこの気持ちは何なのか。
冬彦は後ろ頭に手をやりながら、深々と息を吐き出した。
閉館前に、冬彦は図書館を出た。
またしても駅前の電気屋へ足を運ぶ。
今夜はどこで過ごしたものかーー
思っていると、スマホが鳴った。
あゆみからのメッセージだ。
【今、どうしてる?】
時計は午後5時をさしている。
冬彦はただ一言、駅前、と返事をした。
あゆみからは次いで電話が来た。
冬彦は邪魔にならないところに寄り、スマホを耳に当てる。
『もしもし?』
あゆみの声に、胸中を安堵感が満たす。
つくづく彼女を支えにしている自分に気づいて苦笑した。
「もしもし。まだ仕事じゃないの?」
『今会議終わって……あと1時間くらいしたら帰る』
あゆみは周りを気にしたのか、少し移動したようだった。
『家出はまだ継続中?』
「うん」
『宿泊先は決まったの?』
「ううん」
『あ、そうーー』
一瞬の間。
あゆみは少し言葉に迷ったようだったが、
『夕飯』
「は?」
『夕飯、作ってくれる人、いないかなぁ』
「……今日?」
『さ、最近、外食続きだったんだよねー』
あゆみは言って、言葉に迷ったように黙る。
ただ泊まれと言わないのは、きっと冬彦の性格を分かってのことだ。
その優しさを察しながら、冬彦は苦笑した。
『……それとも、他に……アテがある?』
あるといえば、いくらでもある。
一泊二泊、頼めば泊めてくれる友人はいた。
その一方、ないといえばない。
あゆみの近く以上に、安心できる場所など。
「……いいの?」
静かに聞くと、あゆみが頷く気配がした。
『……鍵、渡しとけばよかったかなって』
その言葉に、冬彦はあきれる。
「防犯意識が低すぎるぞ」
『えっ。だ、だって知った人じゃない』
「見知った男こそ気をつけるべきだ。多くの性犯罪は知った顔の犯行だぞ」
『だ、だって……』
あゆみは声を小さくした。
『いやがること、しないって言ったじゃない』
冬彦は黙る。
(まあ、そうだけど)
頬が赤く染まったことを自覚した。
きっと電話の向こうで、あゆみも同じように頬を染めているのだろう。
経験の豊富さなどすっかり棚に上げた反応に、我ながら苦笑する。
「……クーラー見てるけど」
『えっ? あ、うん?』
「適当に見繕ってもいい? 資料、持ってく」
『え……え、ーと……うん……』
あゆみは頷いてから、
『……やっぱり、合い鍵渡せってことじゃない』
「嫌がることしないから、いいんだろ」
冬彦が言うと、あゆみが噴き出した。
『誰でもいいわけじゃないよ』
その先の言葉は、周りを気遣かったように飲み込む。
『……夕飯、楽しみにしてます』
「何がいい?」
『え、何でもいい』
「じゃオムライス」
冬彦の冗談にあゆみが笑う。
『ま、美味しかったからそれでもいいけどね』
二人で笑って、電話を切った。
そうは言っても、調理時間はあゆみが帰ってからのスタートだ。腹も減っているだろう。手早く調理できるものがいい。
そんな算段をする自分が、すっかり主夫にでもなったようだ。しかしそれも悪くないなと一人ごちた。
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