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第二章 彦星前線停滞中(阿久津視点)
04 星の下
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「よぉ、阿久津」
現れたのはにやりと笑うマーシーだった。ちょうどランチタイムに入ったところだ。
俺は舌打ちしつつ、目を反らす。マーシーは無遠慮に俺のデスクまで来て肩に手を置いた。周りの社員がちらちらと彼を気にしているが、いつものことだ。何をしても、どこにいても、こいつは目立つ。ーー自然、その連れも。
それを面倒がっている後輩もいるが、このことについて俺のキャリアは入社歴とイコールか、それより長いくらいだ。もはや動じることもない。
「彩乃から聞いたぜ」
言う声は弾んでいる。俺は肩に置かれた手を、力づくで外しにかかった。
「何を」
「朝の出来事」
「だから、何を」
マーシーはようやく俺の肩から手を話すと、腕を組んで笑った。
「お前からの開示は、互いにとって有益だと思うぞ」
「何をだ」
「アイツの話はどこまで事実でどこから妄想か分からない。ここで全部、アイツが言った通りに話しても俺は差し支えないがーー」
俺はデスクを叩くようにして立ち上がった。表情には、全力で嫌悪感を現しながら。
「マーシー」
「何だ?」
「ランチ、お前のおごりな」
マーシーは楽しげに笑って頷いた。
マーシーと俺はチェーンの定食屋に入った。俺は鯖の味噌煮定食。マーシーはからあげ定食。
身体のことを気にして、徐々に控えるようになった油物を、コイツは平気で摂るのか。小さい苛立ちを感じながら、定食をつつく。
「で、どういうことなんだ? 今朝お前を襲った災難は」
言われて俺は手を止めた。災難。マーシーは穏やかな微笑みで俺を見返して来る。
ーーてめぇ。その顔、絶対ぇ女に向けんなよ。
心中で毒づきながら、俺は深々と嘆息した。
「確かに災難だな」
「心中お察しする」
マーシーは神妙に言って、にやりとした。
「だがまあ、経験すると分かるだろ」
そこまで聞いて、俺は彼の機嫌がいい理由を薄々察した。つまりーー仲間意識、というやつか。
「彩乃は可愛い子だったって言ってたけどな。女の可愛いほどアテにならないものはない」
「それは同意する」
男の可愛い、は単純にその容姿に起因するが、女の可愛い、はその言動に起因することが多い。基準がズレている上、女が可愛いと思う言動は男にとって大して魅力に感じられない。女にとってはやり過ぎだと思うようなーーいわゆる、ぶりっ子というやつーー言動の方が、男にはわかりやすい。
「でもなぁ。どんなに可愛いったって、いきなり『私の彦星様』じゃなぁ」
マーシーの呟きに、俺は肩の荷が楽になるような不思議な感覚を覚えてその顔をうかがい見た。マーシーは何も言わずに椀を手に持ち、箸を口元に運んでいる。
「お前さぁ」
俺は不意に浮かんだ疑問を、あえて口にしてみた。
「今まで、意図的に誰かを魅了しようと思ったことってあんの?」
マーシーは口の中に含んだ飯を咀嚼していた動きを一瞬止め、また再開して嚥下すると、小さく息を吐いた。
「どうだろな」
わずかに目を反らし、考えながら口元にお茶を運ぶ。
「強いて言うなら彩乃だけど」
俺は眉を寄せた。
「いや、どう考えてもお前がその気になる前になびいてるだろ、あれは」
「やっぱり、そう言うだろ?」
俺の答えは想定していたらしい。マーシーは笑った。
「人に好意を持たれるのってさ」
マーシーはからあげにレモンを絞りながら言う。
「いいことだと思われがちだけど、そうとも言いきれない」
俺は黙って膳を口に運びつつ、その言葉を聞いていた。
「よほど図太い人間じゃなければ、多数の人からの好意なんて受け止め切れない。一方で、そんな自分が嫌になってくるーーまあ、ほどほどに好かれて、ほどほどに嫌われて、後は適当に、空気みたいに扱われるのが、一番気楽だわな」
俺は口の中に入ったものを飲み込んだ。渋い表情になっていることが分かる。
「どうしたよ」
マーシーがキョトンとして聞いてきた。
「いや。ーーそれ、お前が言うと結構重い」
マーシーは噴き出した。
「あ、そう? そういや、今まで誰にもこんな話したことなかったわ」
軽やかに言いながら、マーシーは箸を進める。
その箸使いすら、彼の動きはそつがない。
「お前も、お前なりに苦労してんだな」
知っていたはずのことだが、初めて実感として言葉になった。
マーシーはちょっと驚いてからまた笑う。
「まあ、俺はそういう星の下に生まれてるんだと諦めてるけどな」
ーー星。
また見ず知らずの女を思い出し、俺は眉を寄せた。マーシーが喉の奥でくつくつと笑う。
「わざとか」
「そりゃそうだろ」
毒づく言葉を飲み込んだ代わりに、楽しげな同期の膳から、からあげを一つ拝借して口中に放り込む。
「あ、また」
「ああ?」
「前も取ったろ」
「そうだったか?」
首を傾げる俺に、マーシーは向きになって頷く。
「そうだよ。九州いたとき」
「って七年も前のことだろ。まだ覚えてんのかよ」
彼の少年じみた部分を見つけて、俺は笑う。ふて腐れた大きな少年は、唇を尖らせて言った。
「食べ物の恨みは怖いって言うだろ」
「からあげ一つ取られたくらい、なんてことないだろ」
俺はお茶を飲みながら答えた。
「俺は好きな女取られたんだ、大目に見ろよ」
マーシーは途端に微妙な顔つきになり、黙った。
現れたのはにやりと笑うマーシーだった。ちょうどランチタイムに入ったところだ。
俺は舌打ちしつつ、目を反らす。マーシーは無遠慮に俺のデスクまで来て肩に手を置いた。周りの社員がちらちらと彼を気にしているが、いつものことだ。何をしても、どこにいても、こいつは目立つ。ーー自然、その連れも。
それを面倒がっている後輩もいるが、このことについて俺のキャリアは入社歴とイコールか、それより長いくらいだ。もはや動じることもない。
「彩乃から聞いたぜ」
言う声は弾んでいる。俺は肩に置かれた手を、力づくで外しにかかった。
「何を」
「朝の出来事」
「だから、何を」
マーシーはようやく俺の肩から手を話すと、腕を組んで笑った。
「お前からの開示は、互いにとって有益だと思うぞ」
「何をだ」
「アイツの話はどこまで事実でどこから妄想か分からない。ここで全部、アイツが言った通りに話しても俺は差し支えないがーー」
俺はデスクを叩くようにして立ち上がった。表情には、全力で嫌悪感を現しながら。
「マーシー」
「何だ?」
「ランチ、お前のおごりな」
マーシーは楽しげに笑って頷いた。
マーシーと俺はチェーンの定食屋に入った。俺は鯖の味噌煮定食。マーシーはからあげ定食。
身体のことを気にして、徐々に控えるようになった油物を、コイツは平気で摂るのか。小さい苛立ちを感じながら、定食をつつく。
「で、どういうことなんだ? 今朝お前を襲った災難は」
言われて俺は手を止めた。災難。マーシーは穏やかな微笑みで俺を見返して来る。
ーーてめぇ。その顔、絶対ぇ女に向けんなよ。
心中で毒づきながら、俺は深々と嘆息した。
「確かに災難だな」
「心中お察しする」
マーシーは神妙に言って、にやりとした。
「だがまあ、経験すると分かるだろ」
そこまで聞いて、俺は彼の機嫌がいい理由を薄々察した。つまりーー仲間意識、というやつか。
「彩乃は可愛い子だったって言ってたけどな。女の可愛いほどアテにならないものはない」
「それは同意する」
男の可愛い、は単純にその容姿に起因するが、女の可愛い、はその言動に起因することが多い。基準がズレている上、女が可愛いと思う言動は男にとって大して魅力に感じられない。女にとってはやり過ぎだと思うようなーーいわゆる、ぶりっ子というやつーー言動の方が、男にはわかりやすい。
「でもなぁ。どんなに可愛いったって、いきなり『私の彦星様』じゃなぁ」
マーシーの呟きに、俺は肩の荷が楽になるような不思議な感覚を覚えてその顔をうかがい見た。マーシーは何も言わずに椀を手に持ち、箸を口元に運んでいる。
「お前さぁ」
俺は不意に浮かんだ疑問を、あえて口にしてみた。
「今まで、意図的に誰かを魅了しようと思ったことってあんの?」
マーシーは口の中に含んだ飯を咀嚼していた動きを一瞬止め、また再開して嚥下すると、小さく息を吐いた。
「どうだろな」
わずかに目を反らし、考えながら口元にお茶を運ぶ。
「強いて言うなら彩乃だけど」
俺は眉を寄せた。
「いや、どう考えてもお前がその気になる前になびいてるだろ、あれは」
「やっぱり、そう言うだろ?」
俺の答えは想定していたらしい。マーシーは笑った。
「人に好意を持たれるのってさ」
マーシーはからあげにレモンを絞りながら言う。
「いいことだと思われがちだけど、そうとも言いきれない」
俺は黙って膳を口に運びつつ、その言葉を聞いていた。
「よほど図太い人間じゃなければ、多数の人からの好意なんて受け止め切れない。一方で、そんな自分が嫌になってくるーーまあ、ほどほどに好かれて、ほどほどに嫌われて、後は適当に、空気みたいに扱われるのが、一番気楽だわな」
俺は口の中に入ったものを飲み込んだ。渋い表情になっていることが分かる。
「どうしたよ」
マーシーがキョトンとして聞いてきた。
「いや。ーーそれ、お前が言うと結構重い」
マーシーは噴き出した。
「あ、そう? そういや、今まで誰にもこんな話したことなかったわ」
軽やかに言いながら、マーシーは箸を進める。
その箸使いすら、彼の動きはそつがない。
「お前も、お前なりに苦労してんだな」
知っていたはずのことだが、初めて実感として言葉になった。
マーシーはちょっと驚いてからまた笑う。
「まあ、俺はそういう星の下に生まれてるんだと諦めてるけどな」
ーー星。
また見ず知らずの女を思い出し、俺は眉を寄せた。マーシーが喉の奥でくつくつと笑う。
「わざとか」
「そりゃそうだろ」
毒づく言葉を飲み込んだ代わりに、楽しげな同期の膳から、からあげを一つ拝借して口中に放り込む。
「あ、また」
「ああ?」
「前も取ったろ」
「そうだったか?」
首を傾げる俺に、マーシーは向きになって頷く。
「そうだよ。九州いたとき」
「って七年も前のことだろ。まだ覚えてんのかよ」
彼の少年じみた部分を見つけて、俺は笑う。ふて腐れた大きな少年は、唇を尖らせて言った。
「食べ物の恨みは怖いって言うだろ」
「からあげ一つ取られたくらい、なんてことないだろ」
俺はお茶を飲みながら答えた。
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マーシーは途端に微妙な顔つきになり、黙った。
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