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第2章 王子様は低空飛行
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その後、曽根から連絡はなかった。
なんとなく放心状態の私は、放置されたような寂しさと同時に、不思議な安堵を感じていた。会いたいのは確かだったけれど、自分の気持ちに折り合いがつかないことに苦しんでもいたからだ。
曽根は、私から離れていくのだろうか。
それならそれで、いいのかもしれない。
康広くんと美晴ちゃんから受けた衝撃は、また私に一つトラウマを植え付けた。
別れてから3年。
もう3年も経つのに、私がまだそのときの泥沼から抜け出し切れていないのだと、改めて気づかされて。
***
そんなとき、私をデートに誘ってくれたのは、意外にも純だった。
【こないだゆっくり話せなかったから、会えないかな。早めに言ってくれれば、有給取るよ!】
曽根に話したことを思い出し、純にも、名前を出さなければ話してしまっていいんじゃないか、とぼんやり思う。
美晴ちゃんが今後どうするつもりなのかは分からないけど、恋愛や結婚に対して抱いている不安をかき回されるのは辛いのだと、純には言っておいてもいいかもしれない。バランス感覚のいい純のことだ、うまいこと手を打ってくれる可能性もある。
そう思って、私は了解の旨返事をした。
純と約束したのは5月の連休中だった。仕事は繁忙期だけれど、その中にあった休暇で純と会う。
待ち合わせたのは地元の駅だ。純は実家に帰省していると言っていたから、高校時代によく寄り道した駅前をぶらつく。
「ごめんね、こないだは」
どう切り出したものかと思いながら私が言うと、純は「ううん」と首を振った。
「大丈夫だった? ごめんね、一緒に付き添えばよかったのに」
「ううん、大丈夫……だから」
純はじっと、私を見つめた。私はその視線から逃れるように目を逸らす。
ときどき二人で入ったチェーン系列のカフェが目に入った。
「お茶、しようか」
私が言うと、純はうんと頷いた。
***
それぞれクリームたっぷりの飲み物を頼むと、ソファ風の椅子に腰かける。クッションが予想以上に柔らかくて、机を挟んでソファに座った純が「めっちゃ沈むね、これ」と言い、私も同意して笑った。
ストローを口にして数口飲み、「一口頂戴」「私も」と交換し合ってどっちが美味しいとかなんとか話す。純がくつくつ笑った。
「なーんか、ウケる。愛里と会うと、高校んときに戻っちゃう」
「わっかる。私も純と会うと戻ってる感じあるわ」
不思議な高揚に笑いながら、本当に戻れればいいのに、と思う。
不意に視線の揺らいだ私を、また純がじっと見つめた。
「……愛里」
静かに、純が私に声をかける。
「……どうかしたの?」
私は息を吸い、口にすべき言葉を探して、見つからないまま吐き出した。
「な、なに、急に。真剣な顔して」
へらりと笑っても、純はじっと私を見つめてくるだけだ。
中学のときから同じ学校に通い続けていた純。じいっと、私を見つめてくる。
その視線に耐えられず、もぞもぞとソファに座りなおした。
「やだな。なんか、観察されてるみたい」
「してるもん」
純は言って、コーヒーを吸い上げる。それでもじっと、私を見つめているままだ。
いたたまれなくて、私は目を逸らす。他の話題を探す。あっ、と明るい声をあげて、純を見た。
「あの。芽衣ちゃん、どうだった? 春大会」
「……県大会銀賞」
「そっか、金賞取れなくて残念だったね」
「うん、夏の大会では勝つって言ってた」
淡々と応えられて、会話が続かない。
沈黙の中、次の話題を宙に探しても、見つかるわけもなく。
私はコーヒーを手にしたまま、うつむいた。
「愛里さ」
純も純で、言葉を探しているようだった。自分の手の中のコーヒーにクリームを混ぜ溶かしながら、ぽつりぽつりと言葉を出す。
「専門学校卒業してから、少し連絡取れないときあったじゃん。どうしたのかなって思ってたけど……そのとき、何かあった?」
私の喉奥がぐぅと鳴る。薄々、察していたのだろう。友人の鋭さにうろたえ、紛らわせるようにコップについた水滴を指で撫でる。
「別に、私に全部話す必要もないからさ。いいんだけど。でも、あのとき……あの前後で、愛里、ずいぶん変わったみたいに感じたから」
唇を引き結ぶ。ちらりと純を見る。
純は慈愛に満ちたような目で、私に微笑んでいた。
「愛里のいいところって、結構猪突猛進ていうかさ。これって思ったものに突き進んでいくところじゃん? そういうとこ、なくなったっていうか……大人になった、だけなのかもしれないけど」
純が言って、コーヒーを一口。
そういう風に見てたんだ、私のこと。
初めて聞く友人の評価に、不思議な安堵を感じる。
「私……愛里みたいにまっすぐに突き進むのってできないから。周り気にして、疑ったりもして、無難に道を整えて、それでようやく一歩ずつ進めるっていうか。だから愛里といると、心配でもあったし呆れたこともあるけど、いいなぁって、うらやましさもあった」
純は照れ臭そうに笑った。
「愛里のそういうとこ、真似できないよねって、みんなで話してたんだよ」
私は反応に困って、目を泳がせる。
子どものときの自分。疑いなくまっすぐに、突き進めていたあの頃。
「……子どもだったからだよ」
「そうかもしれないけど」
純は言う。そしてまた、言葉を探す。
「……でも、まだ愛里には、そういうところ、残ってると思う」
その声はなんだか優しかった。あたたかくて、胸にじんと痺れた。
「……そうかな」
私は呟く。
「そうだと……いいな」
人を疑うこともなく。明るい、楽しい将来だけを思い描いて。
あのときみたいに、笑えたら。
なんとなく放心状態の私は、放置されたような寂しさと同時に、不思議な安堵を感じていた。会いたいのは確かだったけれど、自分の気持ちに折り合いがつかないことに苦しんでもいたからだ。
曽根は、私から離れていくのだろうか。
それならそれで、いいのかもしれない。
康広くんと美晴ちゃんから受けた衝撃は、また私に一つトラウマを植え付けた。
別れてから3年。
もう3年も経つのに、私がまだそのときの泥沼から抜け出し切れていないのだと、改めて気づかされて。
***
そんなとき、私をデートに誘ってくれたのは、意外にも純だった。
【こないだゆっくり話せなかったから、会えないかな。早めに言ってくれれば、有給取るよ!】
曽根に話したことを思い出し、純にも、名前を出さなければ話してしまっていいんじゃないか、とぼんやり思う。
美晴ちゃんが今後どうするつもりなのかは分からないけど、恋愛や結婚に対して抱いている不安をかき回されるのは辛いのだと、純には言っておいてもいいかもしれない。バランス感覚のいい純のことだ、うまいこと手を打ってくれる可能性もある。
そう思って、私は了解の旨返事をした。
純と約束したのは5月の連休中だった。仕事は繁忙期だけれど、その中にあった休暇で純と会う。
待ち合わせたのは地元の駅だ。純は実家に帰省していると言っていたから、高校時代によく寄り道した駅前をぶらつく。
「ごめんね、こないだは」
どう切り出したものかと思いながら私が言うと、純は「ううん」と首を振った。
「大丈夫だった? ごめんね、一緒に付き添えばよかったのに」
「ううん、大丈夫……だから」
純はじっと、私を見つめた。私はその視線から逃れるように目を逸らす。
ときどき二人で入ったチェーン系列のカフェが目に入った。
「お茶、しようか」
私が言うと、純はうんと頷いた。
***
それぞれクリームたっぷりの飲み物を頼むと、ソファ風の椅子に腰かける。クッションが予想以上に柔らかくて、机を挟んでソファに座った純が「めっちゃ沈むね、これ」と言い、私も同意して笑った。
ストローを口にして数口飲み、「一口頂戴」「私も」と交換し合ってどっちが美味しいとかなんとか話す。純がくつくつ笑った。
「なーんか、ウケる。愛里と会うと、高校んときに戻っちゃう」
「わっかる。私も純と会うと戻ってる感じあるわ」
不思議な高揚に笑いながら、本当に戻れればいいのに、と思う。
不意に視線の揺らいだ私を、また純がじっと見つめた。
「……愛里」
静かに、純が私に声をかける。
「……どうかしたの?」
私は息を吸い、口にすべき言葉を探して、見つからないまま吐き出した。
「な、なに、急に。真剣な顔して」
へらりと笑っても、純はじっと私を見つめてくるだけだ。
中学のときから同じ学校に通い続けていた純。じいっと、私を見つめてくる。
その視線に耐えられず、もぞもぞとソファに座りなおした。
「やだな。なんか、観察されてるみたい」
「してるもん」
純は言って、コーヒーを吸い上げる。それでもじっと、私を見つめているままだ。
いたたまれなくて、私は目を逸らす。他の話題を探す。あっ、と明るい声をあげて、純を見た。
「あの。芽衣ちゃん、どうだった? 春大会」
「……県大会銀賞」
「そっか、金賞取れなくて残念だったね」
「うん、夏の大会では勝つって言ってた」
淡々と応えられて、会話が続かない。
沈黙の中、次の話題を宙に探しても、見つかるわけもなく。
私はコーヒーを手にしたまま、うつむいた。
「愛里さ」
純も純で、言葉を探しているようだった。自分の手の中のコーヒーにクリームを混ぜ溶かしながら、ぽつりぽつりと言葉を出す。
「専門学校卒業してから、少し連絡取れないときあったじゃん。どうしたのかなって思ってたけど……そのとき、何かあった?」
私の喉奥がぐぅと鳴る。薄々、察していたのだろう。友人の鋭さにうろたえ、紛らわせるようにコップについた水滴を指で撫でる。
「別に、私に全部話す必要もないからさ。いいんだけど。でも、あのとき……あの前後で、愛里、ずいぶん変わったみたいに感じたから」
唇を引き結ぶ。ちらりと純を見る。
純は慈愛に満ちたような目で、私に微笑んでいた。
「愛里のいいところって、結構猪突猛進ていうかさ。これって思ったものに突き進んでいくところじゃん? そういうとこ、なくなったっていうか……大人になった、だけなのかもしれないけど」
純が言って、コーヒーを一口。
そういう風に見てたんだ、私のこと。
初めて聞く友人の評価に、不思議な安堵を感じる。
「私……愛里みたいにまっすぐに突き進むのってできないから。周り気にして、疑ったりもして、無難に道を整えて、それでようやく一歩ずつ進めるっていうか。だから愛里といると、心配でもあったし呆れたこともあるけど、いいなぁって、うらやましさもあった」
純は照れ臭そうに笑った。
「愛里のそういうとこ、真似できないよねって、みんなで話してたんだよ」
私は反応に困って、目を泳がせる。
子どものときの自分。疑いなくまっすぐに、突き進めていたあの頃。
「……子どもだったからだよ」
「そうかもしれないけど」
純は言う。そしてまた、言葉を探す。
「……でも、まだ愛里には、そういうところ、残ってると思う」
その声はなんだか優しかった。あたたかくて、胸にじんと痺れた。
「……そうかな」
私は呟く。
「そうだと……いいな」
人を疑うこともなく。明るい、楽しい将来だけを思い描いて。
あのときみたいに、笑えたら。
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