8 / 99
第一章 こちふかば
07 さくやこの花
しおりを挟む
すっかり不動産屋さんの集団と一緒くたの宴会を楽しんでいるとき、私はふと気になっていたことを口にした。
「さくや……って、なんかありませんでしたっけ、さくやこの花~って」
酒の入った紙コップを口にしつつ首を傾げると、
「百人一首の序歌だろ。えーと……“ 難波津に咲くやこの花冬籠り今を春辺と咲くやこの花 “」
神崎さんが、さらり、と読み上げる。
「……神崎さん……」
「あ?」
思わぬ博識な一面に、周りの女子の目がハートになっているのだが本人は全くの無自覚である。
アヤさーん。あなたがいないところで、ダーリンが女子を魅了してますよー。
内心で彼の妻に呼びかけつつ、静かに嘆息した。
「……いや、何で覚えてるんですか?」
「中学のとき校内大会があってな。姉貴の練習につき合わされたからいくつか覚えた。最初にこれ覚えろって言われてーー考えてみたら札にない歌だから関係ないんだけどな」
どうだ、見直したかという目で私を見てくる。が、その前に自分が撒き散らしているフェロモンの有害さに気付け。
こういうとき、そのフェロモンにやられない自分を少し誇らしく思う。流されない女、江原あきらですから。ふふん。
「でも、春の訪れを感じる歌なんですね。今日にピッタリじゃないですか」
「どうかなぁ。当時、花って言ったら桜じゃなくてーー」
神崎さんが始めたご高説の最後に、
「梅だから」
咲也くんの声が綺麗に重なった。
神崎さんが咲也くんを見やると、咲也くんは照れ臭そうに微笑んでいる。二人の目が合う様が、不思議とドラマのワンシーンのように見えた。
ーーこれが二人の出会いだった。みたいな。
脳内のナレーションに、おいおいと首を振る。そんな月九ドラマみたいな。男同士だっていうのに。しかも片方既婚者だっていうのに。
「さすがに自分の名前が入った歌は感心持つよね」
神崎さんが笑って咲也くんの肩を叩き、コップを一つ渡す。
「何も飲んでないけど、飲めないの?」
「いえ、飲めます。さっきようやく乾杯のビールを空けたところで」
「ビールは苦手?なら何飲む?」
「神崎さん、でしたっけ。は、何飲まれてるんですか?」
「俺?ハイボール」
神崎さんは昔っからハイボール好きなのだ。子どもたちも、父親に合わせてあげているのか、よく口にする炭酸がそれだからか、嬉しそうにジンジャーエールを飲んでいる。咲也くんは笑って、
「じゃあ、同じもので」
「俺、結構濃いめだけどいいの?」
「はい。大丈夫です」
二人のやりとりを見ながら、何となくそわそわする。何だろう。神崎さんはいつも通りで変哲はない。咲也くんも一見何も変哲はないように見える。
「ーーうわ、ほんと濃いめですね」
「だろ。もうちょい薄める?」
「ちびちび飲むんで大丈夫です。美味しい」
「無理しなくていいよ」
二人は自然な会話を続けている。その会話に耳を傾けながら、私は黙って焼酎をあおる。咲也くんはふふ、と笑った。
「優しいんですね、神崎さん」
神崎さんは一瞬驚いてから苦笑した。
「そうかな。ありがとう」
優しい。神崎さんにとっては褒め言葉だけで終わらない。彼の優しさは色んな人を翻弄してきたと、誰より彼自身がよく知っている。
「その、神崎さんっての」
神崎さんは紙コップに入ったハイボールを飲みながら言った。
「最近あんまり呼ばれ慣れないから、マーシーか政人でいいよ」
「え?」
「戸籍上は橘だから。妻側の姓」
咲也くんは紙コップを持つ神崎さんの左手の薬指を見た。シンプルなプラチナリングは彼のすんなりと長い指を美しく見せている。咲也くんは微笑んだ。
「愛してるんですね。奥様のこと」
呟くような咲也くんの言葉に、ハイボールを口にした神崎さんは盛大にむせた。
「さくや……って、なんかありませんでしたっけ、さくやこの花~って」
酒の入った紙コップを口にしつつ首を傾げると、
「百人一首の序歌だろ。えーと……“ 難波津に咲くやこの花冬籠り今を春辺と咲くやこの花 “」
神崎さんが、さらり、と読み上げる。
「……神崎さん……」
「あ?」
思わぬ博識な一面に、周りの女子の目がハートになっているのだが本人は全くの無自覚である。
アヤさーん。あなたがいないところで、ダーリンが女子を魅了してますよー。
内心で彼の妻に呼びかけつつ、静かに嘆息した。
「……いや、何で覚えてるんですか?」
「中学のとき校内大会があってな。姉貴の練習につき合わされたからいくつか覚えた。最初にこれ覚えろって言われてーー考えてみたら札にない歌だから関係ないんだけどな」
どうだ、見直したかという目で私を見てくる。が、その前に自分が撒き散らしているフェロモンの有害さに気付け。
こういうとき、そのフェロモンにやられない自分を少し誇らしく思う。流されない女、江原あきらですから。ふふん。
「でも、春の訪れを感じる歌なんですね。今日にピッタリじゃないですか」
「どうかなぁ。当時、花って言ったら桜じゃなくてーー」
神崎さんが始めたご高説の最後に、
「梅だから」
咲也くんの声が綺麗に重なった。
神崎さんが咲也くんを見やると、咲也くんは照れ臭そうに微笑んでいる。二人の目が合う様が、不思議とドラマのワンシーンのように見えた。
ーーこれが二人の出会いだった。みたいな。
脳内のナレーションに、おいおいと首を振る。そんな月九ドラマみたいな。男同士だっていうのに。しかも片方既婚者だっていうのに。
「さすがに自分の名前が入った歌は感心持つよね」
神崎さんが笑って咲也くんの肩を叩き、コップを一つ渡す。
「何も飲んでないけど、飲めないの?」
「いえ、飲めます。さっきようやく乾杯のビールを空けたところで」
「ビールは苦手?なら何飲む?」
「神崎さん、でしたっけ。は、何飲まれてるんですか?」
「俺?ハイボール」
神崎さんは昔っからハイボール好きなのだ。子どもたちも、父親に合わせてあげているのか、よく口にする炭酸がそれだからか、嬉しそうにジンジャーエールを飲んでいる。咲也くんは笑って、
「じゃあ、同じもので」
「俺、結構濃いめだけどいいの?」
「はい。大丈夫です」
二人のやりとりを見ながら、何となくそわそわする。何だろう。神崎さんはいつも通りで変哲はない。咲也くんも一見何も変哲はないように見える。
「ーーうわ、ほんと濃いめですね」
「だろ。もうちょい薄める?」
「ちびちび飲むんで大丈夫です。美味しい」
「無理しなくていいよ」
二人は自然な会話を続けている。その会話に耳を傾けながら、私は黙って焼酎をあおる。咲也くんはふふ、と笑った。
「優しいんですね、神崎さん」
神崎さんは一瞬驚いてから苦笑した。
「そうかな。ありがとう」
優しい。神崎さんにとっては褒め言葉だけで終わらない。彼の優しさは色んな人を翻弄してきたと、誰より彼自身がよく知っている。
「その、神崎さんっての」
神崎さんは紙コップに入ったハイボールを飲みながら言った。
「最近あんまり呼ばれ慣れないから、マーシーか政人でいいよ」
「え?」
「戸籍上は橘だから。妻側の姓」
咲也くんは紙コップを持つ神崎さんの左手の薬指を見た。シンプルなプラチナリングは彼のすんなりと長い指を美しく見せている。咲也くんは微笑んだ。
「愛してるんですね。奥様のこと」
呟くような咲也くんの言葉に、ハイボールを口にした神崎さんは盛大にむせた。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる