さくやこの

松丹子

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第一章 こちふかば

14 週明けの朝

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 花見の翌日、見事発熱でダウンした私は、その名残を残しつつ出社した。
 ありがたいと言うべきか否か、熱は一日で引いたが、喉の痛みがひどくてマスク姿なのである。一階ロビーを素通りしつつ、エレベーターに向かってぽてぽてと歩いていると、後ろから頭を小突かれた。不意打ちでこんなことをする人はあの人しかいない。
「うぉりゃ」
 ぶんと鞄を振り回すと、うぉっ、とスーツの男が鞄を盾にガードする。私はちっ、と舌打ちして睨みつけた。
「阿久津センパイ。おはよーございます!」
 出来うる限りの低い声で言うと、阿久津さんは楽しげに笑った。
 三白眼に厚い唇。神崎さんとは対照的な男くさい顔立ちだが、食った女の数を自慢してくるようなくだらない人だ。
 まあ、割り切ったつき合いなら、話題も豊富で楽しい人なので、これまた腐れ縁と思ってつき合っているけれど。
「なに、アキ。風邪?」
「誰かさんが来なかったからですよ」
「俺のせいじゃねぇだろ。そもそも一人でいいとかぬかしてた癖に」
 笑う阿久津さんはすっかり復活しているらしい。ちくしょー。風邪を伝染された訳でもないのに悔しさがこみ上げる。せめてもの仕返しに、マスクの下で舌を出した。
「あっかんべーとか、子どもかよ」
 うわ、バレた。最悪。
 悔しさに上塗りされた悔しさで、何も言えず目を反らす。阿久津さんの楽しげな笑い声が大変、大っ変、耳障りである。
 こういうときは他人の振りをするに限る。
 思ってすました顔で歩いていたのだが、前に知った顔を見つけた。
「おはよーございまぁす」
 声をかけると二人が振り返る。神崎さんと奥さんのアヤさんだ。
 私の顔に目をやると同時に神崎さんの顔が歪む。
「風邪?大丈夫かよ」
「あらー。可愛そうに」
 ああほら。この二人はちゃんと心配してくれる。
「阿久津さんに馬鹿にされましたー」
「馬鹿じゃないから風邪引いたんだろ。よかったじゃないか」
「一言くらい謝りなよ、阿久津」
 言うのはアヤさんだ。神崎さん夫妻と阿久津さんは同期だから遠慮ない。なんとなくアヤさんに弱い阿久津さんはーー本人には確認してないが、実は片思いだったんじゃないかと踏んでいるーー唇を尖らせた。
 私はその顔にはっとする。
「……阿久津さんって、すねても可愛くない」
「あーもう謝んねぇ。ぜってぇ謝んねぇ」
 私の言葉に即効で阿久津さんが怒り出した。神崎さん夫妻が呆れ返る。
「お前ら中学からやり直してきたら」
「やーねぇ。悠人でもこんな会話にはならないわよ」
「マジか。じゃ保育園か幼稚園からか」
 うわそれひどい。でも確かに悠人くんの方が私より大人な気がする。
「おはようさん。みんな朝から元気やなぁ」
 朝の色気は数割増しのヨーコさんの声がして振り向くと、その隣には安田さんが鞄持ちのようについていた。まあ実際鞄持ってるから比喩じゃないんだけど。
 低血圧らしいヨーコさんは、集まった面子を一人一人確認すると、少しテンションが上がったらしい。嬉しそうに微笑んだ。
「お揃いやなぁ。いいもの見せたる」
 スマホを取りだそうとするヨーコさんに、
「いやちょっと」
「待ってくださいよ名取さん」
 私と神崎さんの慌てた声が重なった。
 花見にいなかったアヤさんと阿久津さんの視線が合わさる。
「……なに、何があったの?」
「いや何でもないから」
「ほんと何でもないです」
「また江原が酔って面白いことしでかしたか」
「うーん、半分は当たり」
 答えたのは安田さんだ。神崎さんが低い声で、ジョーと呼ぶと笑っている。
「何したの」
「酔ったアキを襲った?」
「誰が襲うか!」
 神崎さんに集中砲火が向いている隙に、私は一足早くエレベーターへと駆け込む。
「あ、江原てめぇ!」
 神崎さんの声を背に聞きながらドアが閉まった。
 やれやれ。朝から痴話喧嘩に巻き込まれても困る。痴話喧嘩と言っても、結局アヤさんのヤキモチに神崎さんがほだされて、ラブラブいちゃいちゃで終わるんだからいただけない。今の私は体調不良なのだから、そんなことのダシにされても困るのだ。独身の私が弱った心身で見るには、甚だ毒な二人であるーー神崎さんたちも、安田夫妻も。
 先輩。私はドMではありません。
 阿久津さんに心の内でそう言って、自分のオフィスがあるフロアに運ばれて行った。
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