さくやこの

松丹子

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第一章 こちふかば

20 ひとつめのカミングアウト

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 起きると見知らぬ天井が見えた。
 ーーって、おいおいおいおい!
 がばりと上体を起こすと、そこは四畳ほどの部屋だった。ベッドと衣装掛けだけが置いてあって、窓からは明けたばかりの空の色が差し込んでいる。
 自分の身体にまとっている服は昨日と同じもので、何かあった形跡はない。あっても困るけど。とにかく動揺しながら頭を抱えた。
 ーーやっちまった。
 記憶を飛ばしたのはこれが三回目だ。一度は大学のとき、恋人の家で。一度は結婚後の神崎さんの家で飲んでいるとき。
 手繰り寄せられる記憶を必死で探る。安田夫妻が去った後、咲也くんと店を変えて飲み直した。互いの仕事や人生観の話になり、結構同意できるところもあって肩を組みながら三軒目を提案してーーこの頃にはもう帰る気などほとんどなくなっていたような気もするが、その辺りから記憶が怪しい。
 時計を見るとそろそろ始発が動き出す時間だ。ということは多分五時間も寝ていないのだろうが、いつも不思議と朝は日の出と共に目が覚めるのが特技である。野生の血かと阿久津さんに笑われたことがあるけど、自分では重宝しているので他人の評など気にしない。
 嘆息をするとそろりとベッドから足を降ろした。一度帰宅してシャワーと着替えを済ませよう。じゃないとヨーコさんにどう思われるかわからない。
 この家の間取りがどんな風かは分からないけど、まだ何かが動いている気配はない。早朝だから当然だろう。
 とりあえず一つだけあるドアをゆっくりと押し開けた。
 となりの部屋はダイニングキッチンのようだ。咲也くんはストレッチ用マットの上に寝袋で寝ている。うわー悪いことした。先ほど心中に押し込めた罪悪感が一気に胸いっぱいに広がる。
 起こすのは忍びないので、足音を立てないようにそろりそろりと近づく。横向きで転がる寝顔はやたらと幼く見えて困惑した。なんだかすごく悪いことをしている気になる。
 でもどうしよう。鍵を開けっ放しで出ていくわけにはいかないし、そもそもお礼くらい言うべきだ。記憶を失った私がどんな失態をやらかしたか分からないし、ここに来ることになった経緯は分からないけど、少なくとも彼は、自分が眠るべきベッドを私に提供して、自分はキッチンの横で眠ったのだ。
 ーー仕事、半休もらうか……。
 この際仕方ない。咲也くんが朝に強いかどうかなど、覚えている範囲では話題に出なかった。ある程度覚悟を決めてその場に体育座りをしたとき、咲也くんの寝顔が歪んだ。
 その表情が苦しそうで、息も荒くなる。
 ーー悪夢かなんか見てる?
 私は恐る恐る、咲也くんの肩を揺らした。
「咲也くん、咲也くん」
 ちょこっと控えめに、呼びかけてみる。
 私の声が届いたらしく、彼の目はわずかな瞬きを数度してからゆっくり開いた。焦点の合わない目が私の周りを見渡したかと思えば、数秒の後私の姿に目を留める。
 その瞬間、引き攣っていた表情が安堵に緩んだ。
「ーーあきちゃんか」
 起きぬけのかすれた声は、心底ほっとしたような言いようで私の名を呼んだ。そのことにまた戸惑う。
「ごめんね、朝早くに。うなされてるみたいだったから」
「ううん、ありがとう。助かった」
 咲也くんは微笑みながらゆっくりと上体を起こす。彼はさすがに昨日のスーツ姿ではなく、スウェット姿になっていた。
「眠れた?」
 問われて一瞬首を傾げかけた。自分のことを気にかけてくれたのだと気づき苦笑する。この青年はどこまで人がいいんだろう。
「うん、もうすっきり」
「すごいね、ほんとに勝手に目が覚めるんだ」
「あ、私何か言ってた?」
 早起きの自慢でもしていただろうかと頬をかくと、咲也くんは笑った。
「もしかして覚えてない?」
「三軒目……行ったよね?なんかその辺りから曖昧」
「ああ、よかった。あきちゃんも人の子だ」
 咲也くんはあぐらをかいて、楽な姿勢を取った。
「酒の精か何かかと思った」
「それ、いいなぁ。そうなりたいもんだわ」
 私が目を輝かせると、咲也くんがまた笑う。ひとしきり笑った後で、はっとして気まずそうな顔をした。
「ええと、そっか。一応言っておくね、俺手だししたりしてないからーー」
「ああうん、それは分かってる。対象外でしょ、私」
 私があっさり言うと、咲也くんは数度の瞬きの後、後ろ頭に手をやった。
「……それは、覚えてたんだ?」
「まあ、なんとなく」
 私は答える。というかそもそも私の方から結構直球な質問をしたように思う。
「でも、ゲイなのかバイなのかは覚えてない」
 私の言葉に、咲也くんは口元を押さえた。
「ゲイだよ」
 さらりと言われて、ふむ、と頷いた。私は腕を組む。
 今まで、この青年には何度も、不思議な居心地のよさを感じている。それはもしかして、私をそういう対象として見ていなかったからなのかもしれない、とひとり合点した。
「……咲也くん」
「何でしょう」
「ちょっと頭を撫でてもよろしいでしょうか」
「はぁ?」
 答えは聞かず、私は咲也くんの頭に手を伸ばした。
「ちなみにアルコールはもう飛んでます」
「そ、そうなの?あれだけ飲んでて……」
 ぽんぽんと頭を叩き叩かれながら、二人してくつくつと笑い出す。
「気持ち悪くないの?」
 咲也くんが問うた。
「何が?」
 私は返す。
「同性愛」
 咲也くんが端的に答えたとき、私は彼の両頬に手を添えて目を見つめた。
「ぜんぜん」
 一音一音、はっきりと言う。
 途端に、咲也くんの目が揺らいで見えた。
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