さくやこの

松丹子

文字の大きさ
28 / 99
第一章 こちふかば

27 夫婦のバランス

しおりを挟む
「とうとう江原も結婚かなぁ」
「はぁ?」
 咲也くんが手洗いに立ったとき、その背を見送った神崎さんが不意に呟いた。私は眉を寄せる。
「私、結婚願望ないし。彼氏とかいらないし」
「それ、前から言ってるよな」
 返って来たのは苦笑だが、
「でも悪くないんじゃないの、あいつ」
 と、咲也くんが去った方を親指で示す。言いたいことはあるけど口にはできない。私は大仰に嘆息して、何も言わずにグラスに口をつけた。
「どうだかねぇ。羊に見えて狼ということもある」
「狼はお前だろう」
 グラスを傾けながらの阿久津さんの言葉に、神崎さんが応じる。
「狼、いいんじゃないですか」
 私が言うと、神崎さんが半眼で私を見た。
「神崎さんだって、女に性欲がないだなんてお花畑なこと思ってるわけじゃないでしょ」
 当然のように言ってグラスをわずかに振る。氷が音を立てた。また神崎さんが微妙な顔をする。
「結婚願望なくたって、性欲はありますよ」
「……それ、セフレ希望ってこと?」
「あーまあざっくり言うとそうなるかも」
 グラスの飲み物がもう残りわずかだ。氷を伝って喉に落ちて来る焼酎を最後の一滴までという気概で口にしていると、神崎さんが店員さんに手で示し、もう一杯頼んでくれた。
 やっぱり、できる男は違うねぇ。
「でも病気伝染されたくないし、セフレ希望って女がおおっぴらに言うのもためらわれるじゃないですか。そんなリスク背負うくらいなら自分でどうにかします」
「なるほどなぁ」
 私の台詞に阿久津さんが笑い、自分も飲み物を追加で頼んでから残ったビールを飲み干した。
 神崎さんは物言いたげな目のまま、私と阿久津さんを交互に見る。
「……ずっと思ってたけどさ」
 言いにくそうに目を反らしつつ、
「二人がどうこう、てのはないの?」
「私と?阿久津さんが?」
 問いかけに、阿久津さんと私は目を合わせる。 
「……試してみます?」
 私はいいですよと不敵な笑みを浮かべるが、
「遠慮しとく」
 阿久津さんは微妙な表情で応じた。
 私はむっと唇を尖らせる。
「私じゃ勃たないって言うんですか」
「まあそうだな」
「失礼な!」
 不全なんじゃないですかと机を叩くと、ちゃんと機能すると返される。えげつない会話になる前に神崎さんが手で制した。
「分かった、分かったから。もうやめとけ。聞いた俺が悪かった」
 もともと育ちのいい人だ。えげつない会話はお好みでないと承知している。
 どんなに悪ぶったって、最終的には育った環境が物を言う。神崎さんたち夫婦も安田夫妻も、価値観や立ち振る舞いに落ち着きがある。
 羨んだってきっと私には手に入れられない。だからもう羨むことは諦めた。それでも楽しくいられれば充分じゃないかと思っている。
 そこに咲也くんが帰ってきた。私たちの顔を順番に見てーー最初と最後が神崎さんだったけどーー笑顔で首を傾げる。
「賑やかな感じでしたね。楽しい話でした?」
「阿久津さんが不全だっていう」
「江原黙れ」
「お前時々発言がR18指定な」
 神崎さんと阿久津さんが速攻で止めにかかる。いいじゃんよ別に。もうこのメンバーならセクハラとか考えなくてもいいでしょ。
 でも私は唇を尖らせて嘆息してみた。
「発言じゃなくて存在がR18になりたいです。ヨーコさんみたいなナイスバディ、溢れ出る色気」
「無理無理。絶対無理」
「それであれか、ジョーみたいな男ひっかけるか?」
 神崎さんが片肘で頬杖をつきながら笑う。
「安田さん重いから無理です」
「だろうな」
 神崎さんの笑顔が不意に穏やかになった。隣に座る咲也くんの目が奪われたのが分かる。
「でも、あれくらいの重さが必要なんだよ。名取さんには」
 ずいぶんと慈愛に満ちた声で呟いて、残っていたハイボールを飲み干した。喉仏が上下に大きく動く。それに目を奪われたままの咲也くんの足を少しだけ蹴った。はっとした咲也くんは私の方を振り向き、照れ笑いを寄越した。まったく。油断も隙もない。ーーってこういうときの言葉じゃないけど。
「夫婦って不思議だよな。それぞれのバランスがあって、多分他の組み合わせじゃうまく行かないんだ」
「そうでしょうね」
 私があっさりと頷くと、神崎さんは苦笑した。
「知った風に言うな」
「知ってますから。うちの親は、うまく行かなかったパターン」
 もう傷にすらならない事実を告げると、神崎さんの表情がわずかに強張る。何を言ったものかと目線が一瞬揺れ、ただ一言、
「そうか」
 私はその対応についつい口の端が歪むのを感じた。
 ーーなんて育ちのいい人。
 きっと幸せな家庭の中で、愛情を受けて育って来たんだろう。
 そしてそんな彼と寄り添うアヤさんもきっと、そういう育ち方をしてきたのだろう。
「何笑ってんだよ」
 気まずそうにこちらに目をやる神崎さんに、私は笑いながら首を振った。
「何でもないです。もう関係ないですよ。一人で生きていける力を身につけた私には」
 言って、ほとんどない胸をふんと張る。
「一人で生きていける女、江原あきらですから」
 神崎さんは私のその言葉に目を丸くして息を飲んだ後、
「ーーそれ、前にも聞いたわ」
「え、そうでしたっけ?」
 私が首を傾げると、神崎さんは複雑な笑顔で小さく頷いた。
「俺もハイボール追加しよ。咲也くんは?」
「あ、じゃあ俺も同じもので」
 神崎さんが手を挙げながら問うと、咲也くんが笑って応じた。神崎さんは微笑んで頷き、店員さんに飲み物の追加を注文した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

処理中です...