さくやこの

松丹子

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第一章 こちふかば

47 咲也の提案

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 終電間近の駅のホームに降り立ち、改札を抜けると咲也が待っていた。顔を見た瞬間膝から力が抜けそうになり、こらえる。
 ICカードを改札に当てて外へ出ると、ようやく人心地ついて息を吐き出したーー途端、崩折れる身体を咲也が支える。
「あきちゃん。大丈夫?」
 静かな声は間近でした。
 私はほう、っと息を吐きながら、咲也を見上げる。
「いやぁ」
 軽く笑い飛ばそうとしたが、できないことに気づいて目を反らした。
 いつもは笑い飛ばして隠している自分の暗闇が、ふつふつと身体から滲み出るような気分がして、気分が悪い。
「……怖いねぇ」
 呟くと、咲也は私の鞄を手に持った。
「行こうか。ーーでも明日、仕事でしょ。服、どうする?」
「うん、始発で一度帰る……」
 言いながら、とぼとぼと歩く。なんとなく情けなくて顔が上げられない。先ほどまで気丈に踏ん張っていた足も、なんだかガタガタしていた。まるで壊れかけの荷台みたいだ。ガタガタガタ、ガタガタガタ。
 歩きながら、考える。一見すれば、ただ、知人の男が、家の前に立っていただけだ。家を教えたのは私。付き纏われていると言える程ではないのかもしれない。
 だけど、どう考えても私は力で彼に勝てない。咄嗟に助けを呼べる時間でも場所でもない。相手の裁量次第で自分の身がどうとでもなるというのを直感的に察した。そして私の出方一つで、この男はどうとでもなることも。
 無視し続けていたからか、スマホへのメッセージはとっくに無くなっている。咲也と店に行って以来、晃さんとは会ってない。やり取りもしてない。迷惑です、ときちんと言うべきか。いや、普通の大人なら、私にその気がないことなど、充分分かっているはずだ。
 ーー晃さんと、寝なくてよかった。
 毎週のように会っていたときのことを思うと、気の迷いで一度くらい有り得たことだ。
 一人で自嘲の笑みを浮かべていると、咲也が神妙な顔で覗き込んで来た。
「こたえてるねぇ」
「こたえるよぉ」
 残業してくたくたになった身体に、本能的な悪寒と全力疾走。
「うん、お疲れさま」
 咲也は言って私の頭をぽんと叩いた。私はふにゃりと笑う。冷静さを保とうとしていた思考は一気に四散した。
「咲也」
「うん」
「こっわ、かったぁあ」
「だろうね」
 咲也は言って、私の手を握った。強く、強く。
 その手に握られて初めて、まだ自分の手が震えていたことに気づく。冷たく血の気を失った私の手に、咲也の手は痛いほど強く、温かかった。
「咲也」
 私はまた呼びかける。もう取り繕う気もなくした声は、子どものように震えてか細く、笑ってしまいそうなほどみっともなかった。
「なぁに」
 咲也の目は優しかったが、態度は比較的素っ気なかった。必要以上に近づかない彼の気遣いが、大人の殻を被っていた私から、幼くみっともない私を外へ引っ張り出す。
「私のこと、好きにならないでね」
 馬鹿みたいだ、と思いながら、私は取り繕うように笑った。ほとんど泣いてるみたいな顔だと自分で思ったけれど、それ以上の表情は浮かべられなかった。
 咲也は私の目を見据えて、また前を見た。
「それは、残念」
「え?」
「俺はもう、あきちゃんのこと好きだよ。ーー恋人の対象として、ではないけど」
 咲也の目は、彼のわずかないたずら心を告げていた。私は笑う。
「うん。それならよし」
 少しだけ、いつものペースを取り戻してきた自分に安堵した。
「じゃあ、今の、訂正する」
「訂正?」
 咲也が首を傾げた。私はうん、と頷く。
「咲也は、私が咲也を好きな以上に、私を好きにならないこと」
 咲也は笑った。
「なぁに、それ」
 私も笑う。
「いいの。変てこでも」
 笑いながら、涙が溢れてきた。
 恐怖を感じた後の安堵のせいだ、と私は思った。思い込もうとした。でも本当はちょっと違う気がした。そんな自分に気付かない振りをした。
 ーー私は強い女なんだから。
 一人で生きていけるだけの、経済力は身につけた。唯一の浪費は酒くらいなものだが、その実貯金はしっかりしている。仕事だって、できれば、死ぬまで何かしらしていたいと思っている。働くことは嫌いじゃない。
 全ての意味で自立したくて、親からも離れた。
 なのに、どうして、放っておいてもらえないのだろう。
「あきちゃん」
 咲也は私の涙に触れることなく、小さく言った。
「何」
 落ちる涙に気付かれているとわかっていながら、気付かれないように控えめな動きで頬を拭う。
「一緒に住もうか」
 ーーは。
 一瞬、思考が飛んだ。
 真っ白に。本当に綺麗に。
「何言ってるの?」
 私の問いに、咲也が困った笑顔を向ける。
「付き合ってる人がいる、っていう話ね」
 咲也は私の反応を確認するように話しはじめた。
「叔父に伝わって、母まで行っちゃって」
 私はぎくりと身をすくませる。
「母はーー俺のこと、ゲイじゃないか、って疑ってたから、大喜びしちゃって」
 咲也はうつむいて、細く息を吐き出した。
「あきちゃんも、何かと邪魔が入るでしょ。一人でいると」
 私はふ、と笑った。
 一人になりたいのに、一人でいると邪魔が入る。
 確かにその通りだった。
「自由でいたいけど安全も欲しい。一人でいたいけど不必要に縁を切るのもためらわれる。そんな俺とあきちゃんには、なかなか悪くない提案だと思うんだけど」
 どうかな、と私を見るその目は、どんな感情も写していない。
 だからこそ、素直に受け止められた。
「……考えてみる」
 咲也は唇を少し歪めて、笑顔を浮かべたつもりのようだった。
 私たちは何も言わず、咲也の家へと歩いて行った。
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