初恋旅行に出かけます

松丹子

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第四部

02 学業成就の神様

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「うひゃあ。すごい人」
 駅から太宰府へ続く通りは、綺麗に舗装された小洒落た商店街だ。
 みっちりと人込みに覆われた道は、大学の友達と行った鎌倉の通りにも似ている。
「初めての太宰府が三が日って、間違いだったかなぁ」
 人ごみとざわめきの中、隣を歩く山ちゃんに言う。人が多くてほとんど叫ぶようになった。
 山ちゃんは苦笑も浮かべず、前を向いていた。
「すごい人やね」
 ぽつりと呟くように言って、一応本人なりに私をかばいながら進んでくれているのが分かる。
 これだけの人ごみなら、はぐれないようにするのは不可避だ。恥ずかしさを感じる余地もなく、当然のように手を繋ぐ。
「大丈夫?」
「うんーー」
 互いに声を掛け合いながら、ずるずると道を進んでいく。太宰府の境内は広いけど、どこも人でみっちりしていた。
 牛の銅像、御手水その他、人がいすぎていてよくわからない。
「これ、手を合わせて帰るだけで疲れちゃうね」
 言うと、山ちゃんは頷きながら後ろを気にしている。
「どうしたの?」
「……帰り、あれ食べよう」
 示したのは梅ヶ枝餅だ。太宰府がまつる菅原道真が和歌に歌った梅は境内に植えられている他、いたるところで使われている。
 餅の中にあんこが入ったそれも、梅の焼き印が入っている。通りでも食べながら歩いている人がたくさんいて、いい臭いが漂っていた。
「そうだね」
 言っていた私たちだけど、参拝を終えたらもう疲れきってしまって、到底買いに並ぶ気力はなくなってしまった。
「また今度にしよう。もう三が日には来たくない……」
 私の言葉に、山ちゃんは苦笑しつつ頷いた。

 電車で太宰府に行くには、一度路線を乗り換える必要がある。
 疲れた私と山ちゃんは、中継駅の周辺でお茶をすることにした。
「はぁ……疲れた」
 みんな考えることは同じなのだろう。やっぱりお店も人が多かったけど、どうにか二人分の席を確保して腰掛けた私はぐったりした。
「車借りて、宗像大社とかでもよかったかも……」
「あそこも多いやろ」
「そうかもしれないけど……太宰府よりマシかもって」
 菅原道真といえば、学問の神様で有名だ。初詣となれば受験を控えた学生やその家族が参拝する。
 不意に、山ちゃんが白い包みを差し出した。
「はい」
「え? 何?」
 私はそれを手にして、首を傾げる。
 太宰府の印が入った白い封筒。
「お守り?」
 言いながら開けると、学業成就のお守りだった。
「いつの間に……」
「ぐっちゃんがトイレ行ってるとき」
 そういえば、トイレから戻ってきたら山ちゃんが見当たらなくて焦ったのだった。すぐに戻ってきたからよかったけれど。
 私は思わず笑って山ちゃんを見上げる。
「なんで学業成就? 私、受験とかしないよ」
「留学するやろ」
 山ちゃんはあっさり言った。私は一瞬、言葉を失う。
「これもやる」
 差し出したのは関西にある北野天満宮の封筒だ。これまた菅原道真をまつった神社。
「ふたつも揃っちゃったらご利益すごそう」
「がんばらんな、て思うやろ」
「さぼったら怒られちゃいそう」
「だって、勉強しに行くんやろ。遊びに行くんやないやろ」
 山ちゃんは言って、顔を逸らした。
「……俺にはそれくらいしかできんけん」
 少し寂しそうなその横顔に、ちょっとだけ胸がぎゅっとなる。
 山ちゃんは私の留学について、何も言ったことはない。だけど、一年間日本を離れると聞いて、どこか不安そうなのは確かだった。
 大人はみんな「たかが一年」と言うけど、私たちにとっての一年は長い。
 帰国子女ではない場合、相当勉強しないと授業についていけない、と聞いた。帰国するひまなどないと言う先輩が大半だ。
 でも、山ちゃんの性格から考えると、多分一人で渡英してくることはないだろう。だから、私が渡英する一年は、そのまま山ちゃんと会えない期間を意味する。
 せっかくなんだし、遊びに来ればいいのに、と思わなくもないけど、そういう思い切りは持てない人だと知っている。彼にとっては東京大阪間を行き来するだけでも冒険なのだろうと思う。
 それでも毎年行き来してくれているのだから、感謝しないといけない。

 高校生だったときよりも、私たちの世界は一回り広くなった。
 でも、まだまだ世界はその先にも広がっている。

 それは楽しみでもあるし、ちょっと怖くもある。どこか思いきれない気持ちはわからなくもなかった。 
「ありがとう」
 私はできるだけ丁寧にお礼を言って、頭を下げた。
 お守りをくれたことじゃない。私を心配して、それでも黙って見送ってくれようとしていること。そして、自分にできることを何かしようと、山ちゃんなりに考えてくれていること。
 温かい気持ちが胸に広がって、少し照れ臭くなった。
「うん」
 山ちゃんは小さく頷いただけだった。下げた頭を上げて彼を見ると、そっぽを向いて、少しだけあごを突き出すようにしている。
 照れているのだ。
 そう見て取って笑いが込み上げた。噛み殺そうとしたのに、うまく噛み殺せずに噴き出した。山ちゃんは照れを不満げな顔でごまかして、唇を尖らせる。私はその顔を見ながら笑って、お腹を抱えて目尻を押さえた。
 涙が出てきた。
 けどそれは、本当は笑ったからじゃない。
 胸いっぱいに広がった温かさが、目から溢れてきたのだ。
 でも彼にはそうと分からないよう、笑いにまぎらわせて目を拭う。
「笑いすぎやろ」
 しばらくして、山ちゃんが小さく反意を唱えた。
 私は呼吸をして落ち着くと、ごめん、と謝った。

 山ちゃん。ありがと。
 私のこと、好きでいてくれて、ありがと。
 好きなことさせてくれて、ありがと。
 見守って、支えてくれてーーありがと。

 きっと口にしたら彼が照れるだろうからと、心の中で呟いた言葉は、私の想いを膨らませた。また泣きそうな自分に気づき、はぁ、と大袈裟に息を吐き出すことでごまかす。
「落ち着いた。こんなに笑ったの久しぶり」
「ああ、そう?」
 ふてくされる山ちゃんは、むすっとしてそっぽを向いている。
 私はまたくすりと笑って、コーヒーカップに添えられたその手にそっと手を伸ばす。山ちゃんの指に指を絡めると、山ちゃんもカップから手を離した。指を互い違いにして、きゅっと力を込める。
「……山ちゃん」
 彼の大きな手の温もりを感じながら、呼びかけた。
「なんね」
 つっけんどんな言いぶりだけど、彼の優しさは誰よりも知っている。
 私はもう片方の手を、その上にさらに重ねた。
「待っててね。私が帰ってくるまで」
 言葉が自然に出てきて、びっくりした。
 こんな……自分勝手と思われそうなことを、口にする日が来るなんて。
 私らしくないと笑うだろうか。驚くだろうか。
 そう思って山ちゃんを見上げると、山ちゃんは一瞬だけ驚いた後、ふわりと笑った。
「そっちこそ、俺が待ってるの忘れんなよ」
 山ちゃんのもう片方の手が伸びてきて、私の頭を乱暴に混ぜる。
 大学に入る頃切ってから、ずっとそのままのボブショート。
「あ、もう! やめてよー」
 唇を尖らせて、頭の上にある彼の手を両手でのける。
 山ちゃんは楽しそうに笑った。
 私もつられて笑った。
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