明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

文字の大きさ
4 / 368
.第1章 高校2年、前期

01 吹奏楽部

しおりを挟む
 放課後の教室に夕日が差し込む。
 吹き込んだ風が、柔らかく頬を撫でていった。
 手にしたトランペットに反射する光が目に眩しい。

 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ……

 単調に時を刻むメトロノームの音が、教室に響く。
 そのリズムに合わせて息を吸い、マウスピースに唇を押し当てた。

 ぷわーーーーーーーーーーーーーーー

 空気が振動する。音がビリビリと共鳴している。
 基礎練の定番、ロングトーン。
 単調だからつまらないと嫌う人も多いけど、初心者だった私には、1年前と比べて自分の上達が分かる練習でもある。
 綺麗に長く維持できるようになってくると、どんな音も操れるような気がしてくる。

 ぷぇ、ぷぁーーーーーーーー

 切り替わるタイミングで、まだ不慣れな1年生がちょっと音を外した。
 そうそう、私も去年はああだった。
 一所懸命楽器に向き合うその子を見ながら目を細める。1年生は3人。そのうち高校からの初心者は一人だ。
 ついつい、同級生で唯一、初心者だった自分と重ね合わせる。

 ーー焦らないで大丈夫だよ。

 心で言いながら、また息を吸って次の音に移った。
 パート練習の時間に私たちが使うのは、だいたい3階の端にあるこの空き教室だ。
 昔は生徒が多く、各学年10クラスずつあったらしいこの学校も、少子化の影響か、8クラスずつになっている。必然的に各階で2教室ずつ空きができるから、今は倉庫や特別教室として利用されている。
 ロングトーンを終えると、次は音階の練習。
 ーーなのだけれど、楽器を下ろすなり、トランペットで唯一の男子、ナーガが「くはー」とため息をついた。

「休憩しよーよ、きゅーけー」
「ナーガ。またすぐそうやって……」
「だって、1年生たち疲れちゃうよ。ねー。疲れるよねー」

 1年生たちは困った顔をした。私がそれを見て苦笑する。

「そうかもね。私も去年必死だった」
「でも、礼ちゃんついて来てたじゃん」

 副部長兼パートリーダーのはしもっちゃんが困惑する。
 この学校では、3年になると同時に部活を卒業するから、必然的に部長やパートリーダーは2年生が担う。

「ついてってたかなぁ。騙し騙しだった気がするよ」
「礼ちゃん、意外と根性あるもんね」

 笑って私を評したのはコアラ。某お菓子のキャラクターに似ているからと中学時代についた呼び名だそうだ。
 音楽系の部活は一風変わったあだ名をつけるよね、とは、合唱サークルに所属していた叔母とも話した「あるあるネタ」だろう。
 他人から見て意外かどうかはともかく、中学時代に運動部だった私は、それなりに負けず嫌いな自覚がある。父に言わせるとその気質は母譲りだそうだけど、母ほど筋金入りのつもりはない。
 はしもっちゃんがため息をついて、スマホを取り出した。

「じゃ、5分休憩ね。その後続きやるよー」
「うへぇー短けー」

 スマホのストップウォッチ機能を作動させたはしもっちゃんは、ナーガにその画面をつきつけた。

「はい、5分」
「きっびしー」

 ナーガはへらへらしながらトイレへ向かった。その背を見て、はしもっちゃんがため息をつく。

「ったくもー。県大、行く気あんのかなー、ナーガってば」

 半ばぼやきのようなその言葉を耳にして、私は肩をすくめた。はしもっちゃんの呟きは続く。

「ナルナル結構やる気だし、ナルナルいれば行ける気がするんだけど。みんなにそのつもりがないなら難しいよね……」
「え、意外」

 私は思わず目を丸くした。
 ナルナルは2年で指揮者を担当している男子だ。いつも穏やかでにこにこしている。

「ナルナル、結構負けず嫌いなところあるんだね。知らなかった」

 素直な気持ちを口にしたのだけれど、コアラとはしもっちゃんは、むしろ私の言葉に驚いたようだ。互いに顔を見合わせ、どちらからともなく噴き出す。

「そりゃ、負けず嫌いだと思うよ。そうじゃなかったら、うちの学校であんな成績ーー」

 はしもっちゃんが話している横で、コアラが「おとこはオオカミなのぉよぉ」とフリ付きで歌い始めた。はしもっちゃんはそれがツボに入ったらしく、何か言いかけた途中で噴き出す。

「や、やめてよコアラ!」
「きをつけなさぁいぃ」
「……何の歌?」
「え、礼ちゃん知らないのー!? ジェネレーションギャップ!」
「同い年のはずだけど……?」

 眉を寄せた私の横を素通りして、コアラが1年生たちに近づく。「ねぇねぇこの曲知ってるぅ?」と気さくに話しかける背中を見ながら苦笑した。
 また、教室を風が抜けていく。ナーガが廊下へ続くドアを開けたままにしたから、先ほどよりも勢いがいい。
 窓を少し閉めようと手を伸ばしたとき、校舎の外をランニングしている女子の集団が見えた。
 その中に、仲のいいクラスメイトの姿。ーーということは女子バスケ部か。
 今日は外練だったらしい。

 気づくかなー。
 手を振ってみたけれど、気づかなかったようだ。体育館沿いに曲がって、見えなくなってしまった。残念。
 手を引っ込めようとしたとき、体育館から一人の男子が出てきた。体育館外の水道に足を向けかけ、思い出したようにこちらを見る。

 ーー馬場慶次郎。

 私が手を振ったって素直に応えてくれるような奴じゃないけど、試みに手を挙げてみた。
 さっき気づかれなかったのがちょっと寂しかったから。
 慶次郎は驚いたような顔をし、確認するように周囲を軽く見渡す。
 なによー。私が挨拶したらおかしいっての?
 ふて腐れかけたとき、慶次郎がまた私を見上げた。引き結んだ唇には、ちょっと力が入っているように見える。
 慶次郎は申し訳程度に右手を挙げてから、また体育館に戻って行った。

 あれ? 水、飲みに出て来たんじゃないの?

 不思議に思ったとき、調子っぱずれな鼻歌と共にナーガが戻ってきた。
 それを見たコアラがはっとする。

「あっ、私もトイレー」
「え、あと1分だよ」
「がんばる」
「間に合ったら男子並じゃね」

 コアラが入れ違いに教室を出ていく。悪びれもしない二人の様子に、私は笑ってしまったけれど、はしもっちゃんは脱力している。

「ほんとマイペースな人たち……」
「お疲れ、パーリー」

 私は笑って、はしもっちゃんの肩をたたく。1年生も顔を見合わせて笑っていた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

溺愛のフリから2年後は。

橘しづき
恋愛
 岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。    そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。    でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?

処理中です...