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.第1章 高校2年、前期
01 吹奏楽部
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放課後の教室に夕日が差し込む。
吹き込んだ風が、柔らかく頬を撫でていった。
手にしたトランペットに反射する光が目に眩しい。
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ……
単調に時を刻むメトロノームの音が、教室に響く。
そのリズムに合わせて息を吸い、マウスピースに唇を押し当てた。
ぷわーーーーーーーーーーーーーーー
空気が振動する。音がビリビリと共鳴している。
基礎練の定番、ロングトーン。
単調だからつまらないと嫌う人も多いけど、初心者だった私には、1年前と比べて自分の上達が分かる練習でもある。
綺麗に長く維持できるようになってくると、どんな音も操れるような気がしてくる。
ぷぇ、ぷぁーーーーーーーー
切り替わるタイミングで、まだ不慣れな1年生がちょっと音を外した。
そうそう、私も去年はああだった。
一所懸命楽器に向き合うその子を見ながら目を細める。1年生は3人。そのうち高校からの初心者は一人だ。
ついつい、同級生で唯一、初心者だった自分と重ね合わせる。
ーー焦らないで大丈夫だよ。
心で言いながら、また息を吸って次の音に移った。
パート練習の時間に私たちが使うのは、だいたい3階の端にあるこの空き教室だ。
昔は生徒が多く、各学年10クラスずつあったらしいこの学校も、少子化の影響か、8クラスずつになっている。必然的に各階で2教室ずつ空きができるから、今は倉庫や特別教室として利用されている。
ロングトーンを終えると、次は音階の練習。
ーーなのだけれど、楽器を下ろすなり、トランペットで唯一の男子、ナーガが「くはー」とため息をついた。
「休憩しよーよ、きゅーけー」
「ナーガ。またすぐそうやって……」
「だって、1年生たち疲れちゃうよ。ねー。疲れるよねー」
1年生たちは困った顔をした。私がそれを見て苦笑する。
「そうかもね。私も去年必死だった」
「でも、礼ちゃんついて来てたじゃん」
副部長兼パートリーダーのはしもっちゃんが困惑する。
この学校では、3年になると同時に部活を卒業するから、必然的に部長やパートリーダーは2年生が担う。
「ついてってたかなぁ。騙し騙しだった気がするよ」
「礼ちゃん、意外と根性あるもんね」
笑って私を評したのはコアラ。某お菓子のキャラクターに似ているからと中学時代についた呼び名だそうだ。
音楽系の部活は一風変わったあだ名をつけるよね、とは、合唱サークルに所属していた叔母とも話した「あるあるネタ」だろう。
他人から見て意外かどうかはともかく、中学時代に運動部だった私は、それなりに負けず嫌いな自覚がある。父に言わせるとその気質は母譲りだそうだけど、母ほど筋金入りのつもりはない。
はしもっちゃんがため息をついて、スマホを取り出した。
「じゃ、5分休憩ね。その後続きやるよー」
「うへぇー短けー」
スマホのストップウォッチ機能を作動させたはしもっちゃんは、ナーガにその画面をつきつけた。
「はい、5分」
「きっびしー」
ナーガはへらへらしながらトイレへ向かった。その背を見て、はしもっちゃんがため息をつく。
「ったくもー。県大、行く気あんのかなー、ナーガってば」
半ばぼやきのようなその言葉を耳にして、私は肩をすくめた。はしもっちゃんの呟きは続く。
「ナルナル結構やる気だし、ナルナルいれば行ける気がするんだけど。みんなにそのつもりがないなら難しいよね……」
「え、意外」
私は思わず目を丸くした。
ナルナルは2年で指揮者を担当している男子だ。いつも穏やかでにこにこしている。
「ナルナル、結構負けず嫌いなところあるんだね。知らなかった」
素直な気持ちを口にしたのだけれど、コアラとはしもっちゃんは、むしろ私の言葉に驚いたようだ。互いに顔を見合わせ、どちらからともなく噴き出す。
「そりゃ、負けず嫌いだと思うよ。そうじゃなかったら、うちの学校であんな成績ーー」
はしもっちゃんが話している横で、コアラが「おとこはオオカミなのぉよぉ」とフリ付きで歌い始めた。はしもっちゃんはそれがツボに入ったらしく、何か言いかけた途中で噴き出す。
「や、やめてよコアラ!」
「きをつけなさぁいぃ」
「……何の歌?」
「え、礼ちゃん知らないのー!? ジェネレーションギャップ!」
「同い年のはずだけど……?」
眉を寄せた私の横を素通りして、コアラが1年生たちに近づく。「ねぇねぇこの曲知ってるぅ?」と気さくに話しかける背中を見ながら苦笑した。
また、教室を風が抜けていく。ナーガが廊下へ続くドアを開けたままにしたから、先ほどよりも勢いがいい。
窓を少し閉めようと手を伸ばしたとき、校舎の外をランニングしている女子の集団が見えた。
その中に、仲のいいクラスメイトの姿。ーーということは女子バスケ部か。
今日は外練だったらしい。
気づくかなー。
手を振ってみたけれど、気づかなかったようだ。体育館沿いに曲がって、見えなくなってしまった。残念。
手を引っ込めようとしたとき、体育館から一人の男子が出てきた。体育館外の水道に足を向けかけ、思い出したようにこちらを見る。
ーー馬場慶次郎。
私が手を振ったって素直に応えてくれるような奴じゃないけど、試みに手を挙げてみた。
さっき気づかれなかったのがちょっと寂しかったから。
慶次郎は驚いたような顔をし、確認するように周囲を軽く見渡す。
なによー。私が挨拶したらおかしいっての?
ふて腐れかけたとき、慶次郎がまた私を見上げた。引き結んだ唇には、ちょっと力が入っているように見える。
慶次郎は申し訳程度に右手を挙げてから、また体育館に戻って行った。
あれ? 水、飲みに出て来たんじゃないの?
不思議に思ったとき、調子っぱずれな鼻歌と共にナーガが戻ってきた。
それを見たコアラがはっとする。
「あっ、私もトイレー」
「え、あと1分だよ」
「がんばる」
「間に合ったら男子並じゃね」
コアラが入れ違いに教室を出ていく。悪びれもしない二人の様子に、私は笑ってしまったけれど、はしもっちゃんは脱力している。
「ほんとマイペースな人たち……」
「お疲れ、パーリー」
私は笑って、はしもっちゃんの肩をたたく。1年生も顔を見合わせて笑っていた。
吹き込んだ風が、柔らかく頬を撫でていった。
手にしたトランペットに反射する光が目に眩しい。
カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ……
単調に時を刻むメトロノームの音が、教室に響く。
そのリズムに合わせて息を吸い、マウスピースに唇を押し当てた。
ぷわーーーーーーーーーーーーーーー
空気が振動する。音がビリビリと共鳴している。
基礎練の定番、ロングトーン。
単調だからつまらないと嫌う人も多いけど、初心者だった私には、1年前と比べて自分の上達が分かる練習でもある。
綺麗に長く維持できるようになってくると、どんな音も操れるような気がしてくる。
ぷぇ、ぷぁーーーーーーーー
切り替わるタイミングで、まだ不慣れな1年生がちょっと音を外した。
そうそう、私も去年はああだった。
一所懸命楽器に向き合うその子を見ながら目を細める。1年生は3人。そのうち高校からの初心者は一人だ。
ついつい、同級生で唯一、初心者だった自分と重ね合わせる。
ーー焦らないで大丈夫だよ。
心で言いながら、また息を吸って次の音に移った。
パート練習の時間に私たちが使うのは、だいたい3階の端にあるこの空き教室だ。
昔は生徒が多く、各学年10クラスずつあったらしいこの学校も、少子化の影響か、8クラスずつになっている。必然的に各階で2教室ずつ空きができるから、今は倉庫や特別教室として利用されている。
ロングトーンを終えると、次は音階の練習。
ーーなのだけれど、楽器を下ろすなり、トランペットで唯一の男子、ナーガが「くはー」とため息をついた。
「休憩しよーよ、きゅーけー」
「ナーガ。またすぐそうやって……」
「だって、1年生たち疲れちゃうよ。ねー。疲れるよねー」
1年生たちは困った顔をした。私がそれを見て苦笑する。
「そうかもね。私も去年必死だった」
「でも、礼ちゃんついて来てたじゃん」
副部長兼パートリーダーのはしもっちゃんが困惑する。
この学校では、3年になると同時に部活を卒業するから、必然的に部長やパートリーダーは2年生が担う。
「ついてってたかなぁ。騙し騙しだった気がするよ」
「礼ちゃん、意外と根性あるもんね」
笑って私を評したのはコアラ。某お菓子のキャラクターに似ているからと中学時代についた呼び名だそうだ。
音楽系の部活は一風変わったあだ名をつけるよね、とは、合唱サークルに所属していた叔母とも話した「あるあるネタ」だろう。
他人から見て意外かどうかはともかく、中学時代に運動部だった私は、それなりに負けず嫌いな自覚がある。父に言わせるとその気質は母譲りだそうだけど、母ほど筋金入りのつもりはない。
はしもっちゃんがため息をついて、スマホを取り出した。
「じゃ、5分休憩ね。その後続きやるよー」
「うへぇー短けー」
スマホのストップウォッチ機能を作動させたはしもっちゃんは、ナーガにその画面をつきつけた。
「はい、5分」
「きっびしー」
ナーガはへらへらしながらトイレへ向かった。その背を見て、はしもっちゃんがため息をつく。
「ったくもー。県大、行く気あんのかなー、ナーガってば」
半ばぼやきのようなその言葉を耳にして、私は肩をすくめた。はしもっちゃんの呟きは続く。
「ナルナル結構やる気だし、ナルナルいれば行ける気がするんだけど。みんなにそのつもりがないなら難しいよね……」
「え、意外」
私は思わず目を丸くした。
ナルナルは2年で指揮者を担当している男子だ。いつも穏やかでにこにこしている。
「ナルナル、結構負けず嫌いなところあるんだね。知らなかった」
素直な気持ちを口にしたのだけれど、コアラとはしもっちゃんは、むしろ私の言葉に驚いたようだ。互いに顔を見合わせ、どちらからともなく噴き出す。
「そりゃ、負けず嫌いだと思うよ。そうじゃなかったら、うちの学校であんな成績ーー」
はしもっちゃんが話している横で、コアラが「おとこはオオカミなのぉよぉ」とフリ付きで歌い始めた。はしもっちゃんはそれがツボに入ったらしく、何か言いかけた途中で噴き出す。
「や、やめてよコアラ!」
「きをつけなさぁいぃ」
「……何の歌?」
「え、礼ちゃん知らないのー!? ジェネレーションギャップ!」
「同い年のはずだけど……?」
眉を寄せた私の横を素通りして、コアラが1年生たちに近づく。「ねぇねぇこの曲知ってるぅ?」と気さくに話しかける背中を見ながら苦笑した。
また、教室を風が抜けていく。ナーガが廊下へ続くドアを開けたままにしたから、先ほどよりも勢いがいい。
窓を少し閉めようと手を伸ばしたとき、校舎の外をランニングしている女子の集団が見えた。
その中に、仲のいいクラスメイトの姿。ーーということは女子バスケ部か。
今日は外練だったらしい。
気づくかなー。
手を振ってみたけれど、気づかなかったようだ。体育館沿いに曲がって、見えなくなってしまった。残念。
手を引っ込めようとしたとき、体育館から一人の男子が出てきた。体育館外の水道に足を向けかけ、思い出したようにこちらを見る。
ーー馬場慶次郎。
私が手を振ったって素直に応えてくれるような奴じゃないけど、試みに手を挙げてみた。
さっき気づかれなかったのがちょっと寂しかったから。
慶次郎は驚いたような顔をし、確認するように周囲を軽く見渡す。
なによー。私が挨拶したらおかしいっての?
ふて腐れかけたとき、慶次郎がまた私を見上げた。引き結んだ唇には、ちょっと力が入っているように見える。
慶次郎は申し訳程度に右手を挙げてから、また体育館に戻って行った。
あれ? 水、飲みに出て来たんじゃないの?
不思議に思ったとき、調子っぱずれな鼻歌と共にナーガが戻ってきた。
それを見たコアラがはっとする。
「あっ、私もトイレー」
「え、あと1分だよ」
「がんばる」
「間に合ったら男子並じゃね」
コアラが入れ違いに教室を出ていく。悪びれもしない二人の様子に、私は笑ってしまったけれど、はしもっちゃんは脱力している。
「ほんとマイペースな人たち……」
「お疲れ、パーリー」
私は笑って、はしもっちゃんの肩をたたく。1年生も顔を見合わせて笑っていた。
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