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.第3章 高校2年、後期

58 修学旅行(3)

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 初日の日程は、クラス単位でバス観光だ。
 行き先は当然のごとく、勉強の神様とされる菅原道真を祀った大宰府。来年は受験だから、まずは拝んでおけということだろう。
 学年全員で行動すると人数が多すぎるから、併設した博物館を見るクラスと参拝するクラスに分かれて行動する。
 参拝した後、神の使いだという牛の銅像を撫で、ほとんどの生徒が「せっかくだから」と学業成就のお守りを買いに社務所に並んだ。
 平日なので観光客は少ないのだろうけれど、私たちのような修学旅行生がいればそれだけで相当な混雑だ。
 その上、みんな考えることは同じだから、社務所の前は長蛇の列。
 小夏と最後尾に並んでいたら、知った声に「礼ちゃん」と呼ばれた。振り向くとナルナルが微笑んでいる。

「ここ、最後尾?」
「あ、うん、多分」

 頷くと、ナルナルは「そっか」と私たちの後ろに並んだ。遥か前方でお守りを購入する人たちを覗き込みつつ、

「結構時間かかるかな」
「どうかなぁ。みんな目的のものは決まってるだろうから、モタモタすることはなさそうだけど」

 ナルナルに答えて私も前を見たけれど、私の前にいた小夏が私越しにずずいとナルナルの前に顔を出した。

「あーれぇ? 神頼みなんて、学年首位の成田さんには不要なんじゃないですかー?」

 小夏の表情は敵意に満ちている。見たこともない険悪な表情に、私は戸惑いながら小夏とナルナルを見比べた。
 ナルナルはちょっと驚いた顔をした後で、ふわりと笑う。

「うん、まあそうかもしれないけど……実力はそれとして、良問に出会えるかどうかは神頼みしてもいいかなと思ってるよ」

 少しも力むところなく、さらりと言われた言葉に、私は思わず絶句した。

 実力はそれとして、ね……。

 多少なりとも、成績優秀を自負しているからこその言葉だろう。私のような凡人には到底言えない台詞だ。
 小夏が「けっ」と嫌そうな顔をする。ナルナルは例の耳障りのいい声音でくつくつ笑った。

「ナルナル、最後尾ぃ?」
「あ、うん。そうだよ」

 吹奏楽部の仲間が後ろから声をかけてきて、ナルナルはそちらと話し始めた。
 これ以上は、小夏といさかうこともないだろう。私は内心ほっとする。
 それでも、小夏は今にも噛みつきそうな顔でナルナルを睨み続けていた。私はその袖をちょいちょいと引く。

「小夏……前から思ってたけど、なんだかずいぶんナルナルのこと敵視するね?」

 気になってはいたけれど、気のせいかなとも思っていた。ナルナルが人に恨まれるようなことをするようには思えないし、そもそもナルナルの方は小夏をなんとも思っていないようだから。

「敵視ィ? そりゃーするよ」

 小夏は唸り声のような低音で答えた。

「中学の頃から、あいつとは通ってる塾の系列が一緒なの。そして高校受験の模試からこの方、一度もあいつに勝ったことがないのよ……」

 キィー、と歯軋りする小夏に苦笑する。
 聞くのが怖くて具体的な順位を聞いたことはないけど、やっぱり小夏も相当に優秀なのだろう。私の順位を聞いたら白目を剥きそうだ。
 小夏は「そういえば」とふと気づいたように私の肩に手を置いた。

「菅原道真って学業の神様でもあるけど、呪いの神様でもあるよね……」
「え? あー、うーん……まあ、そういうとこもあるかも」

 呪いの神様っていうと語弊がありそうな気はするけれど。怨みで祟った、とはよく聞く話だ。
 小夏は唇の端を引き上げ、悪辣な笑みを浮かべた。

「次の定期テストで成田がポカミスする呪いをかけておこう……解答欄がズレるとか名前書き忘れるとか……」

 なにやらブツブツいい始めた小夏から、ふふふふふ、と不穏な笑い声が聞こえてくる。
 内容こそ子どもじみているけれど、小夏に似合わない陰湿な考えに、私はひきつった笑顔を浮かべた。

「そんな勝ち方しても納得しない癖に……」
「いや、勝ちは勝ちだね。相手のミスを誘うのも作戦のうち」

 据わった目で言う小夏には、今なにを言っても通じないだろう。私は適当なあいづちを打ち、気づかれないようにこっそりため息をついた。
 そのとき、小夏が「あ」と声を挙げる。

「慶ちゃん。お守り買うの?」
「ん。あー、まあ」

 参拝を終えたらしい慶次郎が、最後尾を探して歩いているのを見つけたのだ。

「ついでだから一緒に買ったげようか? 学業成就?」
「あー……」

 気を利かせた小夏に、慶次郎は視線を泳がせる。どこか気まずげな様子を見て取り、小夏が首を傾げた。

「あれ。違うの?」
「いや……違わないけど」

 慶次郎は泳がせた視線をまた小夏の顔にとめて、「自分で買うから、いい」と答えた。

「なんつーか、自分で買わないと利益なさそうだし」
「はぁ?」

 最後尾に向かう背の高い後ろ姿を見ながら、小夏が首を傾げる。

「変なのー。いっつも、並ぶの嫌がる合理主義者なのに。効果がどうとか、ナンセンス」

 小夏が呟いたとき、列がぐぐっと前に進んだ。

「小夏、前」
「あ、うん」

 隙間を詰めながら、もう一歩のところに並ぶお守りを眺める。

 学業成就。家庭円満。交通安全。ーー恋愛成就。

 ふと目に入った最後のお守りに、あーちゃんのことを思い出す。
 そういえば、修学旅行に行く前、半ば強引に二人が話す時間を作ったけれどーーどんな話をしたのかな。

「お次の方、どうぞ」
「あ、はい」

 小夏と私が進み出る。
 急に列の進みがはやくなったのは、社務所の神主さんと巫女さんの人数が増えたようだ。
 小夏と2人、それぞれお守りを買う。次の人に場所を譲りつつ、小夏に話しかけた。

「小夏、お守り2つ買ったんだね」
「うん。弟が今度受験だからさ」
「あ、そっか。第一希望は? うちの学校?」
「どうかなー。合格するまで言いたがらないタイプだから分かんない」

 社務所から離れながらそう話していると、後ろからナルナルたちがお守りを求める声が聞こえる。次いで、慶次郎の声が耳に届いた。

「これ、2つください」

 ーー2つ?

 私は思わず振り返った。慶次郎はもうお守りを受け取って、袋ごと鞄にしまうところだった。

 ……もしかして。

 予想が脳裏をよぎる。
 私の様子に気づいた小夏が私の肩をつついた。

「礼奈? どうかした?」
「あ、ううん。なんでもない」

 私は笑って、軽く首を傾げた。

「私もあれかな、お兄ちゃんたちに買ってあげればよかったかな」
「学業成就? いやー、要らないでしょ。受験があるわけでもないし、優秀なお二人なんだし」

 半分本気だった私の言葉を冗談だと思ったのだろう、小夏が笑ってそう言う。
 私は「それもそうだね」と答えながら、ちらりとまた慶次郎の横顔をうかがい見た。
 慶次郎はもうお守りを鞄にしまい終え、何食わぬ顔で歩いている。見ていたら目が合ったけど、私はふいとそっぽを向いた。

 別に、慶次郎が誰になにを買おうと、私には関係ないはずだ。
 なのに、図らずも聞いてしまった「2つ」という声が、なぜか頭の中にぐるぐるこだましているのだった。
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