明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

文字の大きさ
69 / 368
.第3章 高校2年、後期

66 修学旅行(11)

しおりを挟む
 その日は予定通り、長崎まで移動して市内で1泊した。翌3日目は長崎市内の自由観光だ。
 これは班別ではなくて、各人でテーマを決めての現地学習。……と言ってももちろん名目上のことで、みんな大体、仲のいい友達と相談し合ってテーマや行く場所を決めている。小夏が一番楽しみにしていたのがこの3日目だった。

 ずらりと並んだ色とりどりのドレスを前に、小夏が目を輝かせている。

「ドレス、赤も可愛いー」
「ほんとだ。その色似合いそう」

 長崎は、江戸時代に異人居留地が置かれていたから、レトロな建物や特有の風情のあるものが多い。
 中でも、異国風の庭園があるグラバー園は、観光スポットの定番だ。園内には貸衣裳屋さんがあって、明治レトロなドレスなどを着ることができる。
 小夏は、このドレスを着て写真を撮るのを楽しみにしていたのだ。

「うーん。迷う。形はこっちがいいけど、色は青がかわいいなー」
「ふふふ。ゆっくり選んでいいよ」

 急ぎ足の観光はもったいないから、一カ所ごとの滞在時間は多めに取ってある。2着のドレスを手に、眉を寄せて悩む小夏はいつもより数割増に女の子らしく見えた。
 可愛い姿に、思わず口元がほころぶ。

「小夏、ずいぶん悩むねー。ウエディングドレス選ぶときも大変そうだね」
「いやー、そもそもそんなの、着れたらいいけどね」

 からりと陰のない笑顔が返ってきたから、「きっと着れるよ」とためらいもなく返す。冗談と取ったらしい小夏はからから笑った。

「礼奈は? 決まったの?」
「うん。私はこれ」
「水色? 可愛いね」

 頷くと、「じゃあ先に着て待ってましょうか」とお店の人に促された。薄手のTシャツの上からドレスをまとう。靴はスニーカーのままだけど、ドレスの裾で隠れるから問題なし。

「あ。これ、裾で隠れなかったらスニーカー見えちゃうね」
「うあ! そっか、丈で選ぶ!」

 私の言葉に小夏がすかさず反応したから、お店の人とくすくす笑った。確かに、身長の高い小夏にとっては大切な着眼点かもしれない。
 私は水色、小夏は紫色のドレスになった。その場でお店の人が数枚写真を撮ってくれて、「園内、自由に散策して撮影してきていいですよ」と見送られる。
 体育祭のチアダンスに続き、これも一種のコスプレ体験だ。気恥ずかしいけど、旅の恥はかき捨て。観光の醍醐味と思って楽しむことにする。

「あ、礼ちゃん可愛いー! 写真撮らせてー!」

 園内で、部活仲間のはしもっちゃんと、そのクラスメイトに会った。一緒に並んで写真を撮る。

「やっぱり私らも着ようよー」
「えー、でも恥ずかしいし……」

 はしもっちゃんとクラスメイトがそう話しているのを聞いていたら、はしもっちゃんが不意に「あっ!」と目を輝かせた。

「ナルナル! こっちこっちー!!」

 私の背後に向かって手を振る。振り向けばそこには確かにナルナルがいて、驚いたようにまばたきしていた。
 女子はともかく、男子に見られるのはさすがにちょっと気恥ずかしい。
 ちょっとたじろいだ私だったけれど、ナルナルはいつもの穏やかな笑顔で近づいてきた。はしもっちゃんがにやにやしながら「お邪魔虫はたいさーん。どうぞごゆっくり」といそいそその場を離れる。
 近づいてくるナルナルを見て、小夏が「ちっ」と舌打ちしたのが聞こえた。
 例によって例のごとく、敵意丸出しの様子に苦笑する。

「礼ちゃんも来てたんだね」

 ナルナルは目を細めて私に声をかけ、隣で無言の圧をかけている小夏に視線を向けた。

「二人ともよく似合ってるよ。本物のお姫様みたいだ」
「あーはいはい、礼奈は、の間違いでしょ」

 小夏はふんと鼻を鳴らすと、「ちょっとあっち見てくる」と私から離れた。私は苦笑してそれを見送る。

「すっかり嫌われてるね」
「うーん、勝手にライバル視してるだけだよ」

 私が言うと、ナルナルは困ったように笑った。ふと目が合うと、視線をさ迷わせ、照れ笑いを浮かべる。

「ほんと、似合ってるよ。だからなんか……ちょっと落ち着かないな」

 うつむきがちに呟かれて、私も身の置き所に困った。
 せっかく羞恥心を置いてきたつもりだったのに。周りの人に照れられると、こっちも照れるんですけど。

 思ったけれど口には出さず、ナルナルの視線を追うようにうつむいた。
 不意に、ナルナルが「そういえば」と足元の石を指差して口を開く。

「園内のどこかにね」

 その指の先からナルナルの顔へ視線を戻す。ナルナルの笑顔は、だいぶ平常に戻っていた。

「ハートの石があるんだって」

 私はまばたきする。

「ハートの石? 地面に?」

 女の子が好きそうな話だ。恋愛成就のおまじない、みたいなやつだろうか。
 ナルナルは頷き、笑みを強める。

「……俺と一緒に探してみる?」

 それがいつもと違って感じたのは、たぶん、囁くような音量だったからだ。
 その声が艶めいて聞こえて、私は思わず、息を飲んだ。

「あ、あの……えっと」

 ドキドキと心臓が高鳴る。ナルナルの目はいつも通り、穏やかに微笑んでいるーーはずなのに、眼鏡に差し込む光が、その本心を隠しているような気がした。

「わ、私……小夏と回るから……」

 その目から逃れるように、慌てて小夏の姿を探した。少し先の建物の前で写真を撮るドレスの後ろ姿を見つけ、近寄ろうと足を踏み出したとき、長いドレスの裾につんのめってたたらを踏んだ。

「あ!」
「おっと」

 ナルナルは咄嗟に私の肘に手を添えた。ドレス越しに触れた手から伝わってくる熱が、私の顔をかっと熱くする。

「大丈夫?」
「だ、大丈夫! ごめん!!」

 ナルナルは微笑んで、私の肘から手を離した。

「足元、気をつけて」
「う、うん……ありがと」

 ナルナルはにこりとして、ふふふと笑って歩いていく。
 その耳障りのいい笑い声が、私のお腹あたりを撫でていった。
 頬が熱く感じて手で押さえる。

 ……ドキドキした。
 ナルナルは華奢な印象があったけど、肘に触れた手は大きくて。
 ーーあれは確かに、男の人の手だった。

 高鳴る心臓はなかなか落ち着きそうにない。
 けれど一番戸惑っているのは、ただそれだけのことに動揺している自分に対してだった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

秋色のおくりもの

藤谷 郁
恋愛
私が恋した透さんは、ご近所のお兄さん。ある日、彼に見合い話が持ち上がって―― ※エブリスタさまにも投稿します

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

サクラブストーリー

桜庭かなめ
恋愛
 高校1年生の速水大輝には、桜井文香という同い年の幼馴染の女の子がいる。美人でクールなので、高校では人気のある生徒だ。幼稚園のときからよく遊んだり、お互いの家に泊まったりする仲。大輝は小学生のときからずっと文香に好意を抱いている。  しかし、中学2年生のときに友人からかわれた際に放った言葉で文香を傷つけ、彼女とは疎遠になってしまう。高校生になった今、挨拶したり、軽く話したりするようになったが、かつてのような関係には戻れていなかった。  桜も咲く1年生の修了式の日、大輝は文香が親の転勤を理由に、翌日に自分の家に引っ越してくることを知る。そのことに驚く大輝だが、同居をきっかけに文香と仲直りし、恋人として付き合えるように頑張ろうと決意する。大好物を作ってくれたり、バイトから帰るとおかえりと言ってくれたりと、同居生活を送る中で文香との距離を少しずつ縮めていく。甘くて温かな春の同居&学園青春ラブストーリー。  ※特別編8-お泊まり女子会編-が完結しました!(2025.6.17)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

処理中です...