明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第3章 高校2年、後期

63 修学旅行(8)

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 それから、ヒカルさんは織物工場の中を案内してくれた。
 作業工程を見ながら、織物の歴史や機械の仕組みなども説明してくれる。
 自分は携わっていない、と言っていたけれど、知識はしっかり備わっているらしい。知らなかった世界に知的好奇心をくすぐられた小夏は、あれこれ遠慮なく質問をしていたけれど、ヒカルさんからは的確な答えが返ってきた。
 小夏とは違って、私はそういうときに質問できないタイプなので、ただ薫くんと手を繋いであいづちを打つばかりだった。

「車の中でも少し話したけど、神崎さんと一緒に仕事をしたのは、私の祖父でね」

 ヒカルさんがそう言ったのは、工場の一画にあるサンプル品の陳列を前にしたときだ。
 定番品の着物の帯や鞄、ネクタイや財布などの小物が並んだ中に、大きめの商品が並んでいる。
 その1つは、こじゃれたスツール状の椅子だった。座面に美しい布地が張られたそれは、上品で使い勝手もよさそうだ。
 その横には、製作年が書かれたポップがあった。
 今から約20年前ーー
 それを黙読して、ヒカルさんの横顔をうかがう。

「神崎さんがこっちに来るよりずぅっと前、一度他の人たちと似たような試みをしようとしたことがあったんだけど、トラブルがあってうまく行かなかったらしいの。祖父にとってはそれがずいぶん手痛い経験でね。神崎さんたちが話を持ってきたときも、もう二度と一緒にはやらないって突っぱねたらしいのよ。それがまあ……いろいろあって、一緒にやることになって、こうしていい商品が出来上がったってわけ」

 そうですか、と頷きかけたとき、「はっはっは」と快活な笑い声が聞こえた。小夏と2人、驚いて振り向く。
 そこにはひとりの老人が立っていた。見たところ、私の祖父より年上だろうけれど、かくしゃくとしていて、やや年齢不詳でもあった。

「懐かしいことを話しよるな。人たらしの神崎さん、やからね」
「おじいちゃん……」

 ヒカルさんが苦笑した。

「失礼なことは言わないでよ」
「はっはっは」

 この人が父と一緒に仕事をした「元社長」ということだろう。ヒカルさんの言葉に元社長は笑い、私と小夏を見比べた。

「で、神崎さんの娘さんはどっちかね」

 威圧感すらある元社長のエネルギーに圧倒され、一瞬返事に詰まる。
 私は小夏と顔を見合わせてから、そろりと手をあげた。

「あの……私です。父がお世話に……」
「おお、そうか、あんたか」

 ぎらりと目が輝いたような気がして、私は思わずうろたえた。威圧感のある男性、というのに日頃接し慣れていないので、どう反応していいのか分からない。
 いかにも昔ながらの経営者、といった印象だ。
 それでも元社長は、たぶん本人なりに気さくな態度で話しかけてくれた。

「神崎さんは元気か?」
「え、えと、あの、はい……」
「神崎さんにはねぇ、まあお世話にもなったけど、うまくしてやられたわ。まさか孫娘から陥落させられるとは思わなんでな」
「おじいちゃん」

 ヒカルさんはたしなめるように言うと、私に苦笑を向けた。

「ごめんなさいね。年寄りだから何でも言っていいと思ってるところがあって」

 ずいぶんお元気なご老人だ。父が少し心配していたけれど、この様子なら安心だろう。
 私は笑って、元社長を見上げた。

「父は、どんな風だったんですか?」
「どんな……そうなぁ」

 元社長はふむと腕組みをして、

「最初はどうせ、東京の軟弱もんやろうと思っとったけどな。少しやりとりしてみれば、まあ、それなりに骨のある男でーーこれよりよっぽどいい男やったね」

 と、ヒカルさんの夫であろう男性の肩をぱんぱん叩く。眉を寄せたヒカルさんが「おじいちゃん!」と本腰で叱ったけれど、旦那さんの方は苦笑して不要だと手で制した。

「神崎さんがいい男なのも、俺が敵わないのもよう分かっとうけん」
「そういう問題じゃないでしょ……!」

 まったくもう、とヒカルさんが憤慨する。私はどう反応してよいやら分からず苦笑した。
 そんなやりとりも気にせず、元社長が再び、力のある目を私に向ける。自然と私の背筋が伸びた。

「神崎さんとこは、男の子もおったね?」
「あ、はい。兄が二人います」
「そうか」

 元社長が大きく頷いて、ヒカルさんの夫の肩を再び叩く。

「ほら、やっぱりもう一人くらいはがんばらないかんぞ」
「あああもう! おじーちゃんっっ!!」

 ヒカルさんの批難の声が響いたとき、おっとりした声がかかった。

「まぁまぁ、そんなところで喧嘩しなさんな。お客さんも困るやろうに。こんにちは、お嬢さん方。お茶を入れましたからよければどうぞ」

 にこにこ笑顔の小柄なおばあさんが手で事務所の方を示した。少し、鎌倉の祖母に似ているような気がする。
 ほっと和んだ私の手から離れた薫くんが「ひーばぁ」と駆け寄った。その小さな手を、皺のあるおばあさんの手が握る。

「そうね、そうしましょ」

 ヒカルさんもため息ながらに頷いた。薫くんとおばあさんは手を繋いで歩きはじめている。
 ヒカルさんが微笑んだ。

「もしよければどうぞ。まだ時間大丈夫よね?」
「ありがとうございます」

 お礼を言って頭を下げた。みんなでぞろぞろとおばあさんの背を追う。
 思わず、口元に笑いが浮かんだ。たった数分話しただけだけれど、それぞれの性格が垣間見えたし、元気で仲良く過ごしているのだということがよーく分かった。
 家に帰って、父に話せば喜ぶだろう。

 事務所の応接室に通され、出されたお茶はすごく美味しかった。目を輝かせて誉めると、「親子やねぇ」とおばあさんは笑い、奥から茶葉の袋を持ってきてくれた。

「神崎さんも好きやったからねぇ。少しやけど持って行き」

 おばあさんがくれたのはこの茶葉と、端布で作ったというキーホルダーだ。

「これは売り物やなくて、趣味で作っただけやから。あんまり人に言わんでね」

 といたずらっぽく微笑まれて頷いた。
 少しして、ヒカルさんが「そろそろ時間ね」と席を立った。私と小夏も立ち上がる。

「ありがとうございました」

 頭を下げて車へ向かう私たちをみんなで見送ってくれた。

「気をつけて」
「神崎さんによろしくな」
「またおいで」

 それぞれの言葉に頷き返して、私と小夏は車に乗り込む。

 初めて会ったはずなのに、なんだか不思議と居心地のいい場所だった。
 まるで遠縁の親戚の家に来たような。
 それは父がいい関係を築いてくれたからなのだろう。

「じゃあ、送ってくるね」

 ヒカルさんがそう言って、エンジンをかける。
 元社長たちは、車が見えなくなるまで玄関先から手を振ってくれた。
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