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.第5章 春休み

109 卒業旅行(4)

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 ホテルへ向かって歩く途上、夕飯を食べようとお店に入った。
 京のおばんざいをお手軽に食べたいと選んだお店は、外観も内装も木目が多い和の雰囲気。でも古びた感じはなくて、若者も入り易い。
 まだ時間は6時を回ったところだからか、賑やかな宴会もない。私はまだ未成年だから、酔っ払いと隣り合って食事するのは気が引けた。ほっとしながら席につくと、健人兄がふぅと息をつく。

「結構歩いたね」
「歩いたなぁ。大学入ってから運動不足だから疲れた」
「私も。でも、こういうときってついつい歩数が行っちゃうよね」

 話しながら兄がメニューを横向きに広げる。
 自分も相手も見えるようにしているのだけれど、こういうのも女子的にはポイント高いだろうな。

「こういうとき、飲めたら楽しいんだろうな」
「旅行先のお酒とか?」
「そーそー」

 言いながらも、「お茶もらお」と呟く。私も便乗して頷いた。

「飲んでもいいよ」
「いいよ、別に。一人で飲んでも楽しくないし」
「でも、結構外で飲んでるんでしょ?」
「そんなことないよ。飲まなくてもついていけるし」
「……それは分かる気がする」

 どこまでも自分でテンションを上げられる人なのだ。
 ーーというか、素面でも酔ってるようなもんだし。
 そう思っていたら、「お前今失礼なこと考えたろ」と半眼で言われた。「何のこと」としれっと返す。

「まあ、たまに栄太兄につき合ったりするけど」
「ええ!?」

 思わず渋面になると、健人兄は笑った。

「よっぽどじゃなければ勧めて来ることないけどな。家飲みすると寝ちゃうんだもん、栄太兄。残った酒、もったいないじゃん」

 ああ、そういうことか。
 呆れてため息をつく。それもそれであり得そうだ、と思ったけれど、栄太兄の寝顔なんて私は見たことがない。
 お泊り、か。いいなぁ。
 ……私が同性だったら、そういうこともできたのになぁ。
 兄が「注文決まったよな?」と問うてきた。頷くと手を挙げて、店員を呼んでくれる。
 手早く注文を済ませると、サービスのほうじ茶で乾杯した。

「ふはー。生き返る」
「おっさんか」

 一口お茶を飲んだ私がまったり言うと、健人兄が笑った。その顔を見ながら、ふと思い出す。

「そういえば、健人兄。悠人兄の進路、相談受けてたの?」

 父の誕生日以降、ちょっと気になっていたのだ。
 家族の中で、悠人兄に直接将来のことを聞いていたのは、健人兄だけだったみたいだから。

「あー、いや。相談受けたわけじゃないよ。栄太兄が口滑らせたっつーか、俺が口割らせたっつーか」

 これまた父と同じようなことを言っている。健人兄は笑った。

「つっても、兄さんもいるときね。栄太兄の誕生日祝いで集まったときだったかな。兄さんも別に隠す気はなかったみたいだから、自然とそういう話になったかな」
「ふぅん」

 男には男同士の信頼関係があるんだろう。まあ、健人兄も必要とあらばいくらでも口が堅くなるから、その点は分からなくもないけど。

「で、反対したの?」
「したね」
「……ちょっと意外」

 私が言うと、健人兄はちらりと私を見て、お茶をすすった。

「意外か。……そうかもな」

 お茶を置くと、ふ、と笑って頬杖をつき、私を見る。

「父さんも母さんも、反対できないだろうと思ったからさ。俺だけでも反対しとこう、って思ったのもある。だって、あの兄さんが、人が死ぬとこ目の当たりにして前向きにいられる気がしないし」

 それは分かる、と私も頷く。兄は続けた。

「それに、俺が反対した程度で考えを変えるんなら、それまでだろ。……まあ、そうはならないと思ったし、実際決意は固いみたいだけど」

 そのとき、前菜代わりに数種のおばんざいが運ばれてきた。
 小鉢に少しずつ入ったおかずが美味しそうだ。

「健人兄は? 将来何になるとか、考えてるの?」
「んー? まあ、ぼちぼち」

 健人兄は笑って、「でもその前に留学だな」と箸を持ち上げ手を合わせた。私も手を合わせてから箸を手にする。

「留学するの?」
「そのつもり。せっかく語学やってんだし、行っとくか、みたいな」
「……いつから?」
「今年の夏かなぁ。父さんには言ってある。1年ーーは無理かもしんないけど、せめて半年」

 私は「そっか」と呟いて、料理を口に運んだ。
 兄たちもみんな、少しずつ家から離れていく。
 今でも、ただでさえ5人そろうことは少なくなっているのに、この先どんどんその機会が減るのだ。
 そう思うと、なんだか寂しく思えた。

「なんだ、おにーさまがいないのは寂しいか?」
「うーん。まあ……そうかな」

 私が頷くと、兄は「お、珍しく素直だな」と笑う。私は苦笑した。

「だって、せっかく大学っていう共通の話題ができるのかな、って思ったら、もうみんな次のステップに行っちゃうんだなーって。いっつもそうだよ。私は置いてきぼり」

 口にした言葉は、昔から抱いていた気持ちだった。末っ子だからと可愛がられてはいるけれど、私はずっと蚊帳の外なのだ。
 健人兄は「ああ、確かになぁ」と目を丸くした。

「俺らなんかが礼奈見てると、まだ楽しいことばっかだよな、いいなーとかって思うけど。確かにそうかもな。イトコもみんな上だし」
「そうだよ。集まったときもさ、私だけ話題についていけないもん。悔しいっていうか、寂しいっていうか」
「ふぅん。仲間外れみたいな? そんなこと思ってたんだ、知らなかった」

 そういう話題になったら、私にできるのは適当なあいづちを打つことくらいだったのだから、気づきそうなものだけど。
 どうせ私に関心なんてなかったんだろう。そう思っていたら、

「むしろ俺からしたら、礼奈がいるときはみんな礼奈中心にしてるっつーか、末っ子って強ぇなーって思ってたけどね」
「え? なにそれ」
「だってそうじゃん」

 健人兄は言いながら料理を口に運んでいく。

「学校の様子聞いたりさ、笑わせたり甘やかしたり。礼奈ちゃんはどうしてる、部活は楽しんでるか、今授業で何やってんの、勉強大変? ……みたいなさ。みんなそれぞれ、礼奈に話題振るじゃん。俺なんてそんなん聞かれないし、上手いこと話してないとそれこそ孤独よ?」

 私は思わず絶句した。兄がちらと目を上げる。

「……何、その反応」
「いや……」

 私はあまりの衝撃に、料理を口に運ぶ手も止めて真剣な顔で言葉を探した。

「健人兄も、そうやって、人をうらやむことがあるんだなと……」
「何を今さら」

 健人兄は軽やかに笑った。細めた目がいたずらっぽく私を見ている。

「優秀な兄と誰にでも愛される妹に囲まれて、俺も俺なりにがんばってんの。これだから困るよな、無自覚に、存分に愛を受け取ってる末っ子は」

 そう言われると言葉もない。私はちょっと唇を尖らせて、黙って箸を動かし始めた。
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