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.第5章 春休み
111 卒業旅行(6)
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翌日はホテルで朝食を摂ってから奈良へ向かった。
その途中、お守りの一つを返そうと宇治にも立ち寄った。降りたことのない駅だからと、ついでに近くを散策したけれど、京都からひと足離れたそこはのどかな空気が漂っていて気持ちがよかった。
「なんとなく、静かでいいね」
「宇治十帖、の宇治だからな。少し喧騒から遠いんだろ」
兄に言われて「ああ」と頷く。
源氏物語に関係する博物館もあったりしたから、町のウリの一つなんだろう。
「……牛車とかで来ると、京都からどれくらいかかるのかな」
「さあ。半日とか、一日とかかかるんじゃない? 分かんないけど」
はぁ、と私は頷く。京都からわざわざここまで、通ってきたとなればなかなか大変そうだ。
「宇治十帖、って誰だっけ。光源氏の息子?」
「孫だろ。--おいおい、文系の受験生がそれでいいのか?」
「もう受験生じゃないもん。試験が終わったらすっぽ抜けたの」
だいたい、宇治十帖の主役が誰か、なんて問題出ないし。
--なんて言ったら、叔母の香子さんに笑われちゃうかな。
「……香子さんは国文学だったよね」
「そうだったな。朝子ちゃんも」
「2人とここに来たら、もっといろいろ聞けたかな」
私が言うと、健人兄は笑った。
「それは楽しそうだな。そのうち企画するか」
「あ、いいね。みんなの得意な話、いろいろ聞かせてもらうの、楽しそう」
それぞれ関心のある分野が違うイトコたちだ。そう言って笑った後で、ふと健人兄ともども真顔になった。
「……翔太くんの話は、いくら聞いても理解できない自信があるぞ」
「うん、私も今そう思った」
悠人兄と比べて一緒に過ごす時間が少ない健人兄だけれど、不思議と感覚は近しいのである。
一通り、宇治を散策した後で、私たちはまた電車に乗り、奈良へと向かった。
***
「あらー! 礼奈ちゃん、久しぶり。すっかりお姉さんね!!」
奈良駅の改札の先に待っていたのは、伯母の和歌子さんだった。私よりも十センチほど身長が高くて、相変わらずすらりとした体型をしている。
「和歌子さん、髪切ったんですね」
「うん、そうよ。昔は長かったものね」
その笑顔は快活でエネルギッシュだ。
電話口で話していた声を目の前で聞けて、なんだか嬉しくなる。
「ご無沙汰してます。お元気そうで」
「あらぁ、健人くんもすっかり男前になっちゃって。--でもなんか、政人に似てきたわね?」
腕を組み、怪訝そうに首を傾げる姿に笑う。
和歌子さんは相当父を”教育”していたらしいから、父似なのを見るとついつい厳しくなるんだろう。
健人兄は苦笑して肩をすくめた。
「いやぁ、まだまだ父には及びません。どうぞお手柔らかに」
「やぁね、人さまの息子さんを手厳しくしつけてる余裕はないわよ」
和歌子さんは笑ってひらりと手を振る。
それはつまり、栄太兄はビシバシしつける、ってことなんだろうか。
そう思って思わず笑っていたら、優しい目に見下ろされた。
「さあ、行きましょ。家が分からないんじゃないかと思って迎えに来たの。礼奈ちゃんなんて、全然覚えてないでしょう?」
言いながら歩き出した和歌子さんに従う。
後ろを、ボストンバッグを手にした健人兄がついてきた。その姿を見て、和歌子さんが笑った。
「いい荷物持ちだわね」
「あ、そうなんです。自分で立候補してきたので」
「それなら遠慮なく使えるわね」
ふふふ、といたずらっぽく笑う和歌子さんに、健人兄も笑う。
「今回、栄太兄も誘ったんですけど、仕事を休むのは厳しいって言うんで。残念でした」
「あー、あー、いいのよ。あの不肖の息子はね。もう向こうにやっちゃったと思ってるから」
和歌子さんはひらひらと手を振った。
言葉とは裏腹に、その目は優しい母の色を宿している。
「で、どうしてる? 栄太郎。ちゃんと生きてる?」
「生きてます、生きてます。仕事に生きてるって感じですけど」
「嫌ぁね。何か趣味とかないの?」
「趣味っつったら、礼奈の心配くらいですかね」
いきなり名前を出されて、私はむくれて兄を睨みつける。健人兄と和歌子さんは笑った。
「それは高尚な趣味だわ」
「ですかね。でも、受験も終わったから、今度は何を心配するのかな」
「何か心配してるのが趣味って、どうなの……」
私が半眼になると、健人兄は笑った。
「まあ、冗談はさておき。ちゃんと家事もやってるし、食事も摂ってるし、運動ーーつっても家で筋トレしたりはしてるし、心配ないですよ」
「あら、そう? 健人くん、ちょこちょこ顔出してくれてるんですってね。助かるわ」
「迷惑がられてるんじゃないかって、父さんたちには呆れられてるんですけどね」
「そんなことないわよ。栄太郎ってばほら、寂しがり屋だから」
2人の話を聴きながら、そんなこと、花火大会のときも聞いたな、なんて思い出す。
花火大会の日ーーそういえば、あれ以降、栄太兄には会ってない。
「2人とも、食べられないものは何もなかったわよね? 好き嫌いとか」
「あ、ないです、全然。すみません、夕飯準備していただいて」
「ぜーんぜん。って言っても、大したもの用意してないけどね。いつも一人で食べてて味気ないし、たまのお客さんは嬉しいよ」
毎日いたらそれはそれで面倒だけどね、と歯に衣着せない笑顔に、私と健人兄も笑った。
その途中、お守りの一つを返そうと宇治にも立ち寄った。降りたことのない駅だからと、ついでに近くを散策したけれど、京都からひと足離れたそこはのどかな空気が漂っていて気持ちがよかった。
「なんとなく、静かでいいね」
「宇治十帖、の宇治だからな。少し喧騒から遠いんだろ」
兄に言われて「ああ」と頷く。
源氏物語に関係する博物館もあったりしたから、町のウリの一つなんだろう。
「……牛車とかで来ると、京都からどれくらいかかるのかな」
「さあ。半日とか、一日とかかかるんじゃない? 分かんないけど」
はぁ、と私は頷く。京都からわざわざここまで、通ってきたとなればなかなか大変そうだ。
「宇治十帖、って誰だっけ。光源氏の息子?」
「孫だろ。--おいおい、文系の受験生がそれでいいのか?」
「もう受験生じゃないもん。試験が終わったらすっぽ抜けたの」
だいたい、宇治十帖の主役が誰か、なんて問題出ないし。
--なんて言ったら、叔母の香子さんに笑われちゃうかな。
「……香子さんは国文学だったよね」
「そうだったな。朝子ちゃんも」
「2人とここに来たら、もっといろいろ聞けたかな」
私が言うと、健人兄は笑った。
「それは楽しそうだな。そのうち企画するか」
「あ、いいね。みんなの得意な話、いろいろ聞かせてもらうの、楽しそう」
それぞれ関心のある分野が違うイトコたちだ。そう言って笑った後で、ふと健人兄ともども真顔になった。
「……翔太くんの話は、いくら聞いても理解できない自信があるぞ」
「うん、私も今そう思った」
悠人兄と比べて一緒に過ごす時間が少ない健人兄だけれど、不思議と感覚は近しいのである。
一通り、宇治を散策した後で、私たちはまた電車に乗り、奈良へと向かった。
***
「あらー! 礼奈ちゃん、久しぶり。すっかりお姉さんね!!」
奈良駅の改札の先に待っていたのは、伯母の和歌子さんだった。私よりも十センチほど身長が高くて、相変わらずすらりとした体型をしている。
「和歌子さん、髪切ったんですね」
「うん、そうよ。昔は長かったものね」
その笑顔は快活でエネルギッシュだ。
電話口で話していた声を目の前で聞けて、なんだか嬉しくなる。
「ご無沙汰してます。お元気そうで」
「あらぁ、健人くんもすっかり男前になっちゃって。--でもなんか、政人に似てきたわね?」
腕を組み、怪訝そうに首を傾げる姿に笑う。
和歌子さんは相当父を”教育”していたらしいから、父似なのを見るとついつい厳しくなるんだろう。
健人兄は苦笑して肩をすくめた。
「いやぁ、まだまだ父には及びません。どうぞお手柔らかに」
「やぁね、人さまの息子さんを手厳しくしつけてる余裕はないわよ」
和歌子さんは笑ってひらりと手を振る。
それはつまり、栄太兄はビシバシしつける、ってことなんだろうか。
そう思って思わず笑っていたら、優しい目に見下ろされた。
「さあ、行きましょ。家が分からないんじゃないかと思って迎えに来たの。礼奈ちゃんなんて、全然覚えてないでしょう?」
言いながら歩き出した和歌子さんに従う。
後ろを、ボストンバッグを手にした健人兄がついてきた。その姿を見て、和歌子さんが笑った。
「いい荷物持ちだわね」
「あ、そうなんです。自分で立候補してきたので」
「それなら遠慮なく使えるわね」
ふふふ、といたずらっぽく笑う和歌子さんに、健人兄も笑う。
「今回、栄太兄も誘ったんですけど、仕事を休むのは厳しいって言うんで。残念でした」
「あー、あー、いいのよ。あの不肖の息子はね。もう向こうにやっちゃったと思ってるから」
和歌子さんはひらひらと手を振った。
言葉とは裏腹に、その目は優しい母の色を宿している。
「で、どうしてる? 栄太郎。ちゃんと生きてる?」
「生きてます、生きてます。仕事に生きてるって感じですけど」
「嫌ぁね。何か趣味とかないの?」
「趣味っつったら、礼奈の心配くらいですかね」
いきなり名前を出されて、私はむくれて兄を睨みつける。健人兄と和歌子さんは笑った。
「それは高尚な趣味だわ」
「ですかね。でも、受験も終わったから、今度は何を心配するのかな」
「何か心配してるのが趣味って、どうなの……」
私が半眼になると、健人兄は笑った。
「まあ、冗談はさておき。ちゃんと家事もやってるし、食事も摂ってるし、運動ーーつっても家で筋トレしたりはしてるし、心配ないですよ」
「あら、そう? 健人くん、ちょこちょこ顔出してくれてるんですってね。助かるわ」
「迷惑がられてるんじゃないかって、父さんたちには呆れられてるんですけどね」
「そんなことないわよ。栄太郎ってばほら、寂しがり屋だから」
2人の話を聴きながら、そんなこと、花火大会のときも聞いたな、なんて思い出す。
花火大会の日ーーそういえば、あれ以降、栄太兄には会ってない。
「2人とも、食べられないものは何もなかったわよね? 好き嫌いとか」
「あ、ないです、全然。すみません、夕飯準備していただいて」
「ぜーんぜん。って言っても、大したもの用意してないけどね。いつも一人で食べてて味気ないし、たまのお客さんは嬉しいよ」
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