明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第6章 大学1年、前期

145 報告

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 夕飯を食べ終えてお風呂に入り、部屋に戻ると、スマホに連絡があった。見てみると慶次郎からだ。

【この映画観た?】

 送られて来たのは、邦画のURLだった。小説が原作のヒューマンミステリーだ。有名な若手俳優が出ていて、結構評判がいいやつ。

【観てない】

 返事を打って送ろうとしたとき、ふと気づく。
 もしかしてこれって、一緒に行こう、って流れ?
 昼に慶次郎が口にした、デートという単語が頭の中をぐるぐるしている。
 送信をためらっていたとき、部屋のドアをノックする音がした。ぎくりと身を震わせた瞬間、思わず送信ボタンを押してしまった。

「あぁっ!」
「なんだ、どうした!?」

 健人兄の声がしてドアが開く。

「い、いや、何でもない……」

 私が言うと、健人兄は「なんだよ」と、呆れたようなほっとしたようなため息をついた。

「礼奈、ゴールデンウィーク、鎌倉行かないんだって?」
「行かないっていうか行けない。……健人兄は?」

 スマホを机に置いて問うと、健人兄は「俺も始まりだけちょっといて、すぐバイトだな」と答えた。
 私は思わず呆れる。

「バイトばっかりじゃん。いいの? そんなで」
「そんなって、仕方ないだろ。今貯めておかないと、留学中は大してバイトできないし」

 それを聞いて、どきりとする。
 そういえばそんなことも言ってたけど、すっかり忘れかけていた。

「……本気なんだね、留学」
「そりゃそうだろ」

 当然のような顔で健人兄が言う。ずかずかと部屋に入ると、勝手に椅子に腰かけた。
 私はそれを見て、ベッドに腰掛ける。
 健人兄はにやりと笑った。

「さすがに留学中はお前たちのお節介もやけないからな。自分たちでどうにかしろよ」
「……いいよ、今だってやかなくても」

 私が半眼になると、健人兄はへらへらと手を振る。

「まあまあ、それはそれ、趣味みたいなもんだから」

 うあ、言ったよ。完全にやじ馬のノリじゃん。
 内心イラっとしながら兄を睨む。
 とそのとき、机の上に置いていたスマホが揺れた。

「ん? 誰?」
「あっ、いや別にっーー」

 健人兄は画面をひょいと覗き込んで、にやりとする。
 その横から慌ててスマホを回収したけれど、送信者の名前はしっかり見られてしまっていたらしい。

「へぇ。慶次郎って、あの子だろ? こないだの」
「い、いや、あのっーー」
「なに、もしかしてつき合い始めた?」

 私はうろたえて、目を泳がせる。健人兄は頬杖をついて言った。

「なんだよ、まだ迷ってんの? いいじゃん、つき合っちゃえば。別に栄太兄がお前のこと、予約してるわけでもないし」

 栄太兄。
 そういえば、来るって言ってたんだっけ、ゴールデンウィークの鎌倉。
 私は会えないけど、健人兄は会うんだろうな。
 だったら……

「……言っといた方がいいのかな……」

 ついぽろっと口から出た言葉に、健人兄が驚いたようにまばたきする。

「--やっぱ、もうつき合ってんの?」
「えっ、あっ、えぇと」

 言うべきか、言わざるべきか。
 でも、言わないっていうのも、どうなんだろう。
 なんとなく、フェアじゃない気もする。
 --なんておろおろしていたら、結局、鋭い健人兄には気づかれてしまうだろう。
 ならばと腹をくくって、ため息混じりに頷いた。
 健人兄はちょっと意外そうな顔をして、「へぇ」と椅子の背に身体を預けた。
 ……何、その反応。
 さんざん人を煽っていたわりには、あまりにそっけない反応だ。

「あー、いや。ちょっと意外だったから。……あ、そう……」

 健人兄は、まるで自分を納得させるように、「へぇー、そうなんだ。つき合い始めたんだ、ふぅん」と何度か頷いて、立ち上がった。

「んじゃ、栄太兄にもそれ言っとくわ」
「えっ!? な、何で!?」
「言うべきか言わざるべきか、で悩んでたんでしょ。言っといたらいいじゃん。つき合い始めました、って。んで、その子の方が一緒にいて楽しくなったら、そのまま栄太兄とはフェードアウトしたっていいんだし」
「で、でも……!」
「いいんだよ、それで」

 健人兄は勝手に合点して、ドアに向かった。私はわたわたと立ち上がり、兄の背中を追う。
 追いすがる私に、健人兄は笑った。

「栄太兄が言ったんだろ、色々経験して、男ともつき合ってみろって。だったら、栄太兄がショック受けたり怒ったりする筋合いはないんだから、いいじゃん」
「そ……そうかもしれないけど……」

 私はうつむく。
 そもそも、そんな風にーーショックを受けたり怒ったり、してくれるんだろうか。

「まあ、たぶんへこむけど」
「えっ!?」

 ぼそっとつけ加えられた一言に、私は思わずどきりとする。

「いや、あの人ちょっとこう……ロマンチストって言うか……そういうとこあるからさ」
「ちょっ……だ、だったらやっぱり、つき合うとか、しない方が……!」
「いや、それはいいんだよ。そろそろ栄太兄も現実ってものを見るべきだ。礼奈は一人の女で、他の男とそういう仲になることだってあるんだ、って」

 うんうんと、健人兄が頷く。私はそれを何とも言えない表情で見つめる。

「で、でも……慶次郎とは、約束してるんだよ」
「約束?」
「うん」

 私は頷いて、おずおずと口を開いた。

「……私の二十歳の誕生日に、関係をひと区切りすることと……えっと……何て言うか、その、変なことはしないって」

 私に都合の良すぎる、例の約束。
 健人兄はどんな顔をするだろう。笑うだろうか。それとも、呆れる?
 そう思ったけど、何も言わない。
 沈黙に耐えかねて見上げれば、そこにはまた微妙な表情をした兄の顔があった。

「……あの、健人兄?」
「うん」

 健人兄は考えるように顔を逸らす。その目が若干、遠いところを見ているように見えて戸惑う。

「ば、バカにしてる……?」
「いや。彼に同情してる」

 私は思わず肩をすくめた。
 ……そう、だよね。

「私だけに、都合よすぎる話だってことは分かってるんだけど……慶次郎が、それでもいいって言ってくれて」
「うん、そうなんだろうな」

 健人兄はため息をついて、腕を組んだ。

「お前も栄太兄も、無自覚に残酷なことするなぁ、と思っただけ。--まあ、それも含めて二人らしいけど」

 私は思わず動きを止める。健人兄は、気持ちを改めたように肩をすくめた。

「でも、それでもいいって言うんだからいいんだろ。あんま気にすんな」

 言って、私の頭をぽんぽん叩き、部屋を出ていく。

「じゃ、栄太兄には俺からテキトーに言っとくよ。任せとけ」
「……うん……」

 テキトーにって。
 あんまり安心して任せられないけど、とりあえずそう答える。

「あ、そだ。ヨーコさんの連絡先、教えとこっか。俺のいない間、何かあったら、相談すれば? たぶん、ヨーコさんも喜ぶよ」
「えっ、う、うんっ」

 わ、わ、それは嬉しい。

「じゃ、後で連絡先送るよ。おやすみ」
「おやすみ」

 健人兄が出ていって、部屋のドアが閉まると、私は細く長く、ため息をついた。
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