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.第6章 大学1年、前期
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夕飯を食べ終えてお風呂に入り、部屋に戻ると、スマホに連絡があった。見てみると慶次郎からだ。
【この映画観た?】
送られて来たのは、邦画のURLだった。小説が原作のヒューマンミステリーだ。有名な若手俳優が出ていて、結構評判がいいやつ。
【観てない】
返事を打って送ろうとしたとき、ふと気づく。
もしかしてこれって、一緒に行こう、って流れ?
昼に慶次郎が口にした、デートという単語が頭の中をぐるぐるしている。
送信をためらっていたとき、部屋のドアをノックする音がした。ぎくりと身を震わせた瞬間、思わず送信ボタンを押してしまった。
「あぁっ!」
「なんだ、どうした!?」
健人兄の声がしてドアが開く。
「い、いや、何でもない……」
私が言うと、健人兄は「なんだよ」と、呆れたようなほっとしたようなため息をついた。
「礼奈、ゴールデンウィーク、鎌倉行かないんだって?」
「行かないっていうか行けない。……健人兄は?」
スマホを机に置いて問うと、健人兄は「俺も始まりだけちょっといて、すぐバイトだな」と答えた。
私は思わず呆れる。
「バイトばっかりじゃん。いいの? そんなで」
「そんなって、仕方ないだろ。今貯めておかないと、留学中は大してバイトできないし」
それを聞いて、どきりとする。
そういえばそんなことも言ってたけど、すっかり忘れかけていた。
「……本気なんだね、留学」
「そりゃそうだろ」
当然のような顔で健人兄が言う。ずかずかと部屋に入ると、勝手に椅子に腰かけた。
私はそれを見て、ベッドに腰掛ける。
健人兄はにやりと笑った。
「さすがに留学中はお前たちのお節介もやけないからな。自分たちでどうにかしろよ」
「……いいよ、今だってやかなくても」
私が半眼になると、健人兄はへらへらと手を振る。
「まあまあ、それはそれ、趣味みたいなもんだから」
うあ、言ったよ。完全にやじ馬のノリじゃん。
内心イラっとしながら兄を睨む。
とそのとき、机の上に置いていたスマホが揺れた。
「ん? 誰?」
「あっ、いや別にっーー」
健人兄は画面をひょいと覗き込んで、にやりとする。
その横から慌ててスマホを回収したけれど、送信者の名前はしっかり見られてしまっていたらしい。
「へぇ。慶次郎って、あの子だろ? こないだの」
「い、いや、あのっーー」
「なに、もしかしてつき合い始めた?」
私はうろたえて、目を泳がせる。健人兄は頬杖をついて言った。
「なんだよ、まだ迷ってんの? いいじゃん、つき合っちゃえば。別に栄太兄がお前のこと、予約してるわけでもないし」
栄太兄。
そういえば、来るって言ってたんだっけ、ゴールデンウィークの鎌倉。
私は会えないけど、健人兄は会うんだろうな。
だったら……
「……言っといた方がいいのかな……」
ついぽろっと口から出た言葉に、健人兄が驚いたようにまばたきする。
「--やっぱ、もうつき合ってんの?」
「えっ、あっ、えぇと」
言うべきか、言わざるべきか。
でも、言わないっていうのも、どうなんだろう。
なんとなく、フェアじゃない気もする。
--なんておろおろしていたら、結局、鋭い健人兄には気づかれてしまうだろう。
ならばと腹をくくって、ため息混じりに頷いた。
健人兄はちょっと意外そうな顔をして、「へぇ」と椅子の背に身体を預けた。
……何、その反応。
さんざん人を煽っていたわりには、あまりにそっけない反応だ。
「あー、いや。ちょっと意外だったから。……あ、そう……」
健人兄は、まるで自分を納得させるように、「へぇー、そうなんだ。つき合い始めたんだ、ふぅん」と何度か頷いて、立ち上がった。
「んじゃ、栄太兄にもそれ言っとくわ」
「えっ!? な、何で!?」
「言うべきか言わざるべきか、で悩んでたんでしょ。言っといたらいいじゃん。つき合い始めました、って。んで、その子の方が一緒にいて楽しくなったら、そのまま栄太兄とはフェードアウトしたっていいんだし」
「で、でも……!」
「いいんだよ、それで」
健人兄は勝手に合点して、ドアに向かった。私はわたわたと立ち上がり、兄の背中を追う。
追いすがる私に、健人兄は笑った。
「栄太兄が言ったんだろ、色々経験して、男ともつき合ってみろって。だったら、栄太兄がショック受けたり怒ったりする筋合いはないんだから、いいじゃん」
「そ……そうかもしれないけど……」
私はうつむく。
そもそも、そんな風にーーショックを受けたり怒ったり、してくれるんだろうか。
「まあ、たぶんへこむけど」
「えっ!?」
ぼそっとつけ加えられた一言に、私は思わずどきりとする。
「いや、あの人ちょっとこう……ロマンチストって言うか……そういうとこあるからさ」
「ちょっ……だ、だったらやっぱり、つき合うとか、しない方が……!」
「いや、それはいいんだよ。そろそろ栄太兄も現実ってものを見るべきだ。礼奈は一人の女で、他の男とそういう仲になることだってあるんだ、って」
うんうんと、健人兄が頷く。私はそれを何とも言えない表情で見つめる。
「で、でも……慶次郎とは、約束してるんだよ」
「約束?」
「うん」
私は頷いて、おずおずと口を開いた。
「……私の二十歳の誕生日に、関係をひと区切りすることと……えっと……何て言うか、その、変なことはしないって」
私に都合の良すぎる、例の約束。
健人兄はどんな顔をするだろう。笑うだろうか。それとも、呆れる?
そう思ったけど、何も言わない。
沈黙に耐えかねて見上げれば、そこにはまた微妙な表情をした兄の顔があった。
「……あの、健人兄?」
「うん」
健人兄は考えるように顔を逸らす。その目が若干、遠いところを見ているように見えて戸惑う。
「ば、バカにしてる……?」
「いや。彼に同情してる」
私は思わず肩をすくめた。
……そう、だよね。
「私だけに、都合よすぎる話だってことは分かってるんだけど……慶次郎が、それでもいいって言ってくれて」
「うん、そうなんだろうな」
健人兄はため息をついて、腕を組んだ。
「お前も栄太兄も、無自覚に残酷なことするなぁ、と思っただけ。--まあ、それも含めて二人らしいけど」
私は思わず動きを止める。健人兄は、気持ちを改めたように肩をすくめた。
「でも、それでもいいって言うんだからいいんだろ。あんま気にすんな」
言って、私の頭をぽんぽん叩き、部屋を出ていく。
「じゃ、栄太兄には俺からテキトーに言っとくよ。任せとけ」
「……うん……」
テキトーにって。
あんまり安心して任せられないけど、とりあえずそう答える。
「あ、そだ。ヨーコさんの連絡先、教えとこっか。俺のいない間、何かあったら、相談すれば? たぶん、ヨーコさんも喜ぶよ」
「えっ、う、うんっ」
わ、わ、それは嬉しい。
「じゃ、後で連絡先送るよ。おやすみ」
「おやすみ」
健人兄が出ていって、部屋のドアが閉まると、私は細く長く、ため息をついた。
【この映画観た?】
送られて来たのは、邦画のURLだった。小説が原作のヒューマンミステリーだ。有名な若手俳優が出ていて、結構評判がいいやつ。
【観てない】
返事を打って送ろうとしたとき、ふと気づく。
もしかしてこれって、一緒に行こう、って流れ?
昼に慶次郎が口にした、デートという単語が頭の中をぐるぐるしている。
送信をためらっていたとき、部屋のドアをノックする音がした。ぎくりと身を震わせた瞬間、思わず送信ボタンを押してしまった。
「あぁっ!」
「なんだ、どうした!?」
健人兄の声がしてドアが開く。
「い、いや、何でもない……」
私が言うと、健人兄は「なんだよ」と、呆れたようなほっとしたようなため息をついた。
「礼奈、ゴールデンウィーク、鎌倉行かないんだって?」
「行かないっていうか行けない。……健人兄は?」
スマホを机に置いて問うと、健人兄は「俺も始まりだけちょっといて、すぐバイトだな」と答えた。
私は思わず呆れる。
「バイトばっかりじゃん。いいの? そんなで」
「そんなって、仕方ないだろ。今貯めておかないと、留学中は大してバイトできないし」
それを聞いて、どきりとする。
そういえばそんなことも言ってたけど、すっかり忘れかけていた。
「……本気なんだね、留学」
「そりゃそうだろ」
当然のような顔で健人兄が言う。ずかずかと部屋に入ると、勝手に椅子に腰かけた。
私はそれを見て、ベッドに腰掛ける。
健人兄はにやりと笑った。
「さすがに留学中はお前たちのお節介もやけないからな。自分たちでどうにかしろよ」
「……いいよ、今だってやかなくても」
私が半眼になると、健人兄はへらへらと手を振る。
「まあまあ、それはそれ、趣味みたいなもんだから」
うあ、言ったよ。完全にやじ馬のノリじゃん。
内心イラっとしながら兄を睨む。
とそのとき、机の上に置いていたスマホが揺れた。
「ん? 誰?」
「あっ、いや別にっーー」
健人兄は画面をひょいと覗き込んで、にやりとする。
その横から慌ててスマホを回収したけれど、送信者の名前はしっかり見られてしまっていたらしい。
「へぇ。慶次郎って、あの子だろ? こないだの」
「い、いや、あのっーー」
「なに、もしかしてつき合い始めた?」
私はうろたえて、目を泳がせる。健人兄は頬杖をついて言った。
「なんだよ、まだ迷ってんの? いいじゃん、つき合っちゃえば。別に栄太兄がお前のこと、予約してるわけでもないし」
栄太兄。
そういえば、来るって言ってたんだっけ、ゴールデンウィークの鎌倉。
私は会えないけど、健人兄は会うんだろうな。
だったら……
「……言っといた方がいいのかな……」
ついぽろっと口から出た言葉に、健人兄が驚いたようにまばたきする。
「--やっぱ、もうつき合ってんの?」
「えっ、あっ、えぇと」
言うべきか、言わざるべきか。
でも、言わないっていうのも、どうなんだろう。
なんとなく、フェアじゃない気もする。
--なんておろおろしていたら、結局、鋭い健人兄には気づかれてしまうだろう。
ならばと腹をくくって、ため息混じりに頷いた。
健人兄はちょっと意外そうな顔をして、「へぇ」と椅子の背に身体を預けた。
……何、その反応。
さんざん人を煽っていたわりには、あまりにそっけない反応だ。
「あー、いや。ちょっと意外だったから。……あ、そう……」
健人兄は、まるで自分を納得させるように、「へぇー、そうなんだ。つき合い始めたんだ、ふぅん」と何度か頷いて、立ち上がった。
「んじゃ、栄太兄にもそれ言っとくわ」
「えっ!? な、何で!?」
「言うべきか言わざるべきか、で悩んでたんでしょ。言っといたらいいじゃん。つき合い始めました、って。んで、その子の方が一緒にいて楽しくなったら、そのまま栄太兄とはフェードアウトしたっていいんだし」
「で、でも……!」
「いいんだよ、それで」
健人兄は勝手に合点して、ドアに向かった。私はわたわたと立ち上がり、兄の背中を追う。
追いすがる私に、健人兄は笑った。
「栄太兄が言ったんだろ、色々経験して、男ともつき合ってみろって。だったら、栄太兄がショック受けたり怒ったりする筋合いはないんだから、いいじゃん」
「そ……そうかもしれないけど……」
私はうつむく。
そもそも、そんな風にーーショックを受けたり怒ったり、してくれるんだろうか。
「まあ、たぶんへこむけど」
「えっ!?」
ぼそっとつけ加えられた一言に、私は思わずどきりとする。
「いや、あの人ちょっとこう……ロマンチストって言うか……そういうとこあるからさ」
「ちょっ……だ、だったらやっぱり、つき合うとか、しない方が……!」
「いや、それはいいんだよ。そろそろ栄太兄も現実ってものを見るべきだ。礼奈は一人の女で、他の男とそういう仲になることだってあるんだ、って」
うんうんと、健人兄が頷く。私はそれを何とも言えない表情で見つめる。
「で、でも……慶次郎とは、約束してるんだよ」
「約束?」
「うん」
私は頷いて、おずおずと口を開いた。
「……私の二十歳の誕生日に、関係をひと区切りすることと……えっと……何て言うか、その、変なことはしないって」
私に都合の良すぎる、例の約束。
健人兄はどんな顔をするだろう。笑うだろうか。それとも、呆れる?
そう思ったけど、何も言わない。
沈黙に耐えかねて見上げれば、そこにはまた微妙な表情をした兄の顔があった。
「……あの、健人兄?」
「うん」
健人兄は考えるように顔を逸らす。その目が若干、遠いところを見ているように見えて戸惑う。
「ば、バカにしてる……?」
「いや。彼に同情してる」
私は思わず肩をすくめた。
……そう、だよね。
「私だけに、都合よすぎる話だってことは分かってるんだけど……慶次郎が、それでもいいって言ってくれて」
「うん、そうなんだろうな」
健人兄はため息をついて、腕を組んだ。
「お前も栄太兄も、無自覚に残酷なことするなぁ、と思っただけ。--まあ、それも含めて二人らしいけど」
私は思わず動きを止める。健人兄は、気持ちを改めたように肩をすくめた。
「でも、それでもいいって言うんだからいいんだろ。あんま気にすんな」
言って、私の頭をぽんぽん叩き、部屋を出ていく。
「じゃ、栄太兄には俺からテキトーに言っとくよ。任せとけ」
「……うん……」
テキトーにって。
あんまり安心して任せられないけど、とりあえずそう答える。
「あ、そだ。ヨーコさんの連絡先、教えとこっか。俺のいない間、何かあったら、相談すれば? たぶん、ヨーコさんも喜ぶよ」
「えっ、う、うんっ」
わ、わ、それは嬉しい。
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