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.第10章 インターン
253 初めての出張(2)
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「一週間、お疲れさまー!」
「お疲れさまです」
ガチン、と合わせたジョッキは生ビール。「美味しい居酒屋があるの」と連れて行かれた先は、よくドラマなんかで見かけるような、カウンター席がメインの小さなお店だった。
思わず、「ここ、一人で来られるんですか」と聞いてしまって、千草さんがふふっと笑う。
「最近はね。ちょっと前までは、ここを教えてくれた先輩と一緒によく来てたんだけど」
その横顔がどこか切なさを帯びて見えて戸惑う。不意に、ああこの人も一人の女性なんだな、と当たり前のことを思い出した。
あえてなのか性格なのか、千草さんの振る舞いはテキパキしていて中性的だ。淡々として見えるから女性であることを忘れがちなのだけど、ビジネスだとそれでも問題ない――むしろその方が周りも働きやすいんだろうなと、一週間で気づいた。
社員の中にもフェミニンな服装を好む社員はいるし、逆にほとんど男性みたいに振る舞う人もいたけれど、どっちもやりすぎな気がして私でも気になったくらいだ。
私なら、千草さんみたいな人と一緒に仕事をしたい。性別で媚びを売ることも、女性性を卑下することもなく、淡々と実力を積み重ねて行くような人――
「でも、橘さん、結構根性あるね。どんどん吸収するからびっくり」
「えっ、え? そ、そうですか?」
お世辞だろうと分かりながらも、思わず嬉しくなってしまう。
「山下さんもいい子だけど、私きっとイライラしちゃうな。自分でも駄目だなと思ってるんだけどね、気が短いからテキパキやってくれないとどうもテンポが合わなくて」
それを聞いて、ついつい笑ってしまった。
「何となく、分かります、それ」
「ほんと? あ、橘さんにイライラしたりしてないから大丈夫よ」
「ふふ、はい」
仕事中とは違う気さくさが嬉しくて、私も少しずつ肩の力が抜けて行く。
「ほんとだったら、インターンの子とサシ飲みなんて行く気なかったんだけどね。橘さん話し易いし、行っちゃうか、って思って。来週は少し、他の部署も行ってもらうから、私と二人っていうのもしばらくないからね」
「あ、そうなんですか」
ありがたいけど、ちょっと残念だ。ようやく、千草さんと少し仲良くなれた気がしたのに。
「月曜は、山下さんと同じ庶務課。後はこないだ説明してくれた課長さんのとことか。雑用いっぱい作っといてください、ってお願いしといたから、覚悟しておいてね」
にやりと笑われて、「えー」と形だけ嫌がって返す。千草さんは笑った。
「私以外の人の仕事のやり方も見ておくといいよ。みんなそれぞれ、工夫したりしてなかったり、いろいろだから」
「そういうもんですか」
普通、工夫しながらやるもんだと思っていたけど、そうではないらしい。千草さんはビール片手に頷いた。
「来週の金曜も、みんなで飲みに行く予定だからもしよければ」
「あ、嬉しいです」
顔をほころばせると、千草さんは「いいね、素直な子は好きよ」と笑った。
「橘さんは、仕事ずっと続けたいタイプ? それとも、結婚して子どもできたら辞めたい?」
「あ、ずっと続けたいです。……というか、続けるもんだと思ってました。母もそうなので」
「お母さま、共働き?」
「はい。父と同じ会社で……同期らしいんですけど」
「ふぅん、そうなんだ。じゃ、職場結婚か」
「はい」
私が頷くと、千草さんは目を細める。
「うちも結構多いよ、職場結婚。でも、大体女性が辞めちゃうかなぁ。別に社内恋愛を禁止してるわけじゃないんだけど、昔結構、いざこざが多かったらしくて」
「いざこざ?」
「社内不倫がバレて修羅場とか」
私はビールを手にしたまま動きを止める。
そういうこと、ホントにあるんだ。
千草さんは苦笑した。
「学生さんにこんな話するのもよくないかな。まあ、でも、女子は知っといた方がいいよね、自衛のために」
言いながらビールを口に運ぶ。そして、頼んだつまみを一口食べた。
「社員同士が仲良くなるのは、分からなくもないけどね。だって、家族よりも長い間一緒にいることになるんだから、互いの性格も気質も分かるし、居心地がいい人もいるじゃない。――でも、不倫はマズいよねぇ」
若干遠い目をしながら、千草さんが言う。私は肩をすくめた。
「そういう話って、どこでもあるんですかね? やっぱり」
「あるんじゃないかなぁ。だから、気を付けてね」
「え?」
千草さんが切れ長の目を細める。
「橘さんみたいに可愛くて素直な子、既婚者でも遠慮なく誘ってくるかもよ。橘さんはちゃんと断れると思うけど、勘違いしたようなオジサンもいるからさ」
思わず眉を寄せると、千草さんは笑った。
「だから、彼氏いないし結婚してないのにココに指輪してる子もいるよ。特に派遣の子とか」
千草さんは言いながら、左手の薬指を撫でた。「まあそれでも、背徳的な恋愛したい男は近寄って来るみたいだけどね」とまたビールを手にする。
「……なんか、めんどくさいですね、そういうの」
「そうねぇ。でも、大学も一緒っちゃ一緒でしょ。男と女の話はどこも、一筋縄じゃ行かないよね」
あんまり巻き込まれたくない世界だなぁ、と思いながら、おいしそうなホッケをほぐし始めた。
「お疲れさまです」
ガチン、と合わせたジョッキは生ビール。「美味しい居酒屋があるの」と連れて行かれた先は、よくドラマなんかで見かけるような、カウンター席がメインの小さなお店だった。
思わず、「ここ、一人で来られるんですか」と聞いてしまって、千草さんがふふっと笑う。
「最近はね。ちょっと前までは、ここを教えてくれた先輩と一緒によく来てたんだけど」
その横顔がどこか切なさを帯びて見えて戸惑う。不意に、ああこの人も一人の女性なんだな、と当たり前のことを思い出した。
あえてなのか性格なのか、千草さんの振る舞いはテキパキしていて中性的だ。淡々として見えるから女性であることを忘れがちなのだけど、ビジネスだとそれでも問題ない――むしろその方が周りも働きやすいんだろうなと、一週間で気づいた。
社員の中にもフェミニンな服装を好む社員はいるし、逆にほとんど男性みたいに振る舞う人もいたけれど、どっちもやりすぎな気がして私でも気になったくらいだ。
私なら、千草さんみたいな人と一緒に仕事をしたい。性別で媚びを売ることも、女性性を卑下することもなく、淡々と実力を積み重ねて行くような人――
「でも、橘さん、結構根性あるね。どんどん吸収するからびっくり」
「えっ、え? そ、そうですか?」
お世辞だろうと分かりながらも、思わず嬉しくなってしまう。
「山下さんもいい子だけど、私きっとイライラしちゃうな。自分でも駄目だなと思ってるんだけどね、気が短いからテキパキやってくれないとどうもテンポが合わなくて」
それを聞いて、ついつい笑ってしまった。
「何となく、分かります、それ」
「ほんと? あ、橘さんにイライラしたりしてないから大丈夫よ」
「ふふ、はい」
仕事中とは違う気さくさが嬉しくて、私も少しずつ肩の力が抜けて行く。
「ほんとだったら、インターンの子とサシ飲みなんて行く気なかったんだけどね。橘さん話し易いし、行っちゃうか、って思って。来週は少し、他の部署も行ってもらうから、私と二人っていうのもしばらくないからね」
「あ、そうなんですか」
ありがたいけど、ちょっと残念だ。ようやく、千草さんと少し仲良くなれた気がしたのに。
「月曜は、山下さんと同じ庶務課。後はこないだ説明してくれた課長さんのとことか。雑用いっぱい作っといてください、ってお願いしといたから、覚悟しておいてね」
にやりと笑われて、「えー」と形だけ嫌がって返す。千草さんは笑った。
「私以外の人の仕事のやり方も見ておくといいよ。みんなそれぞれ、工夫したりしてなかったり、いろいろだから」
「そういうもんですか」
普通、工夫しながらやるもんだと思っていたけど、そうではないらしい。千草さんはビール片手に頷いた。
「来週の金曜も、みんなで飲みに行く予定だからもしよければ」
「あ、嬉しいです」
顔をほころばせると、千草さんは「いいね、素直な子は好きよ」と笑った。
「橘さんは、仕事ずっと続けたいタイプ? それとも、結婚して子どもできたら辞めたい?」
「あ、ずっと続けたいです。……というか、続けるもんだと思ってました。母もそうなので」
「お母さま、共働き?」
「はい。父と同じ会社で……同期らしいんですけど」
「ふぅん、そうなんだ。じゃ、職場結婚か」
「はい」
私が頷くと、千草さんは目を細める。
「うちも結構多いよ、職場結婚。でも、大体女性が辞めちゃうかなぁ。別に社内恋愛を禁止してるわけじゃないんだけど、昔結構、いざこざが多かったらしくて」
「いざこざ?」
「社内不倫がバレて修羅場とか」
私はビールを手にしたまま動きを止める。
そういうこと、ホントにあるんだ。
千草さんは苦笑した。
「学生さんにこんな話するのもよくないかな。まあ、でも、女子は知っといた方がいいよね、自衛のために」
言いながらビールを口に運ぶ。そして、頼んだつまみを一口食べた。
「社員同士が仲良くなるのは、分からなくもないけどね。だって、家族よりも長い間一緒にいることになるんだから、互いの性格も気質も分かるし、居心地がいい人もいるじゃない。――でも、不倫はマズいよねぇ」
若干遠い目をしながら、千草さんが言う。私は肩をすくめた。
「そういう話って、どこでもあるんですかね? やっぱり」
「あるんじゃないかなぁ。だから、気を付けてね」
「え?」
千草さんが切れ長の目を細める。
「橘さんみたいに可愛くて素直な子、既婚者でも遠慮なく誘ってくるかもよ。橘さんはちゃんと断れると思うけど、勘違いしたようなオジサンもいるからさ」
思わず眉を寄せると、千草さんは笑った。
「だから、彼氏いないし結婚してないのにココに指輪してる子もいるよ。特に派遣の子とか」
千草さんは言いながら、左手の薬指を撫でた。「まあそれでも、背徳的な恋愛したい男は近寄って来るみたいだけどね」とまたビールを手にする。
「……なんか、めんどくさいですね、そういうの」
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