明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第11章 祖父母と孫

294 奈良帰省(5)

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 新幹線の中で、栄太兄はお手洗いに席を立った。戻って来たら私も行こうと待っていたら、なかなか戻って来ない。
 ちらちら時計を見て、何かあったのかと心配になっていたら、ようやくドアが開いて栄太兄が戻って来た。

「結構、時間かかったね。混んでた?」
「いや、ちゃうねん」

 栄太兄は苦笑しながら、スマホをひらひらさせる。

「母さんから電話。――夕飯は要るんかて」
「ああ……」

 そっか、そういう連絡、ちゃんとしなくちゃいけなかった。
 一人、ふむふむと反省していると、栄太兄が私の顔を覗き込んで来た。
 急に近づいた距離にどきりとする。

「で、観光せんで行くわ、言うたら、『嘘でしょ』て呆れててん」

 優しく弓なりに細められた切れ長の目が私を見つめる。私は「でも」と言ったけど、栄太兄は笑って私の頭を撫でた。

「せやから、お遣い頼まれてんで。祇園に寄って、母さんのお気に入りの和菓子買うてきてって」
「和菓子……?」
「せや。あと、何やったかな。ハンドクリーム? よう分からんけど、店の場所とか送るて言われたわ」

 私が困惑していると、栄太兄は笑いながら隣の椅子に腰かけた。シートは繋がっているからふわりと沈んで、一瞬栄太兄の方に身体が傾く。

「……逆に、気使わせちゃったかな」
「ま、あんま気負わんでええってことやな」

 栄太兄はそう言って、また私の頭を撫でた。子ども扱いされてむっとして、口を開きかけたとき、小さな声で告げられた。

「それに、全然デートらしいデートしてへんで、俺ら。――いい機会やん、な?」

 その笑顔は嬉しそうで、そんな風に言われたら、私も文句が言えなくなる。赤くなった顔をごまかすように、「私もトイレ行ってくる」と立ち上がった。通りやすいように、栄太兄が立ち上がってくれる。

「こっちが近いで」
「うん、ありがと――」

 そのとき、ちょうどカーブにさしかかったのか、新幹線がぐらりと揺れた。慌ててどこかにつかまろうとした手を、栄太兄に掴まれる。栄太兄は半身を座席の背に押し付けて私を受け止め、揺れが落ち着いたところでほっと息をついた。

「ついて行かんでも平気か?」
「だ、大丈夫だよ……」

 心配そうに覗き込まれて、私は眉を寄せて顔を逸らす。
 ほんと、子ども扱いばっかり。
 そう思うのに、栄太兄の腕の中は居心地がよくて、ずっとこのままでいたいくらいで。
 だけど、その胸に手を押し当てるようにして、自力で立った。

「もう、大人なんだから。……一人で平気」

 栄太兄は私を見下ろして、「それもそうやな」と笑った。

 ***

 京都に着いたのはお昼時だ。「祇園はあんまり食べ物屋がないから」と言われて、京都駅周辺で昼食を済ませ、在来線に乗り換えて祇園へ向かった。
 途中で一度乗り換えても、祇園へは15分くらいだ。駅のロッカーに手荷物を預けて、身軽に街を散策する。
 考えてみれば、中学の修学旅行でも京都には訪れたけれど、祇園には来たことがなかった。
 クラスメイトの中には舞妓体験をした子もいたけど、私は似合いそうな気がしなかったから興味も持たなかったのだ。
 そんなことを思い出して話すと、栄太兄を見上げた。

「栄太兄は? 修学旅行とか、どこ行ったの?」
「んー? そうやなぁ。中学は九州、高校は北海道やったかな」
「九州? そうなんだ」

 私は高校で行ったよ、と言うと、栄太兄が微笑む。

「せやったら、あそこ、行ったか? 長崎のグラバー園とか……夜景とか」
「うん、行った行った。ドレスも着たよ。栄太兄も着た?」
「俺ぇ? いや、誘われはしたけど逃げたわ。中坊やし、庭なんか見ても面白ないわー言うて……花にカマキリいてはるの見つけて追いかけてた記憶しかないわ」
「何それ」

 旅行先でカマキリを追いかけるだなんて、子どもっぽいけど栄太兄ならやりかねない。「ガキやったもんなぁ、俺」とひとりごちる栄太兄に笑いながら、手を繋いで街を歩いて行く。
 祇園も、京都駅周辺と同じように、道はだいたい碁盤の目のようになっている。メインの通りの賑やかさは、どこか祖父母の住む鎌倉の商店の並びと雰囲気が似ていた。
 それでもやっぱり地元とは違う空気に、すぐにわくわくしてきてしまって、私はあちこち見ながら、「あのお店可愛い」「うわぁ、おしゃれ」「あっ、舞妓さんかな?」「どっかで三味線弾いてる」と栄太兄に話しかけた。
 栄太兄は、浮足立つ私に呆れもせず、急かすことも焦れることもなく、「せやな」「見てみるか?」「これ似合いそうやん」と穏やかにあいづちを打ってくれる。
 なんだか少しだけ、不思議な気分だった。
 滅多に2人でお出かけなんてしないのに、なんだかいつも一緒に歩いているみたいな気分になってくるのだ。やりとりがあまりに自然すぎて、何度も一緒に旅行をしたことがあるような気分になる。
 そう思っているのは私の自意識過剰かと、探るような目で栄太兄を見上げると、栄太兄も穏やかに微笑んで返してくれた。
 胸がぎゅうっと掴まれたような気分になって、切ないようなその感覚に耐えるように、握った手に力をこめる。

「ほんま、礼奈見てると飽きへんわ」
「え?」

 見上げると、栄太兄は優しく微笑む。

「楽しいことは楽しいて、はっきり顔に出るもんな。――いろんなとこ、連れて行きたくなるわ」

 栄太兄の言葉に、思わず赤面する。
 分かり易い、ってことだろうか。
 そう思っていたら、栄太兄は「なるほどなぁ、そういうことか」と物思うような顔をする。

「って、何が?」
「いや……」

 栄太兄は苦笑した。

「昔、つき合った子に言われてん。ここに連れて行きたいとか、これを一緒に見たいとか、思わへんのか、て。そんときは、『何やそれ』て思てたけど……なるほどな。今なら分かる気ぃするわ」

 栄太兄はそう言って、私の頭をぽんぽんと撫でた。私は困惑しながら見上げる。

「礼奈やったら、どんな顔するやろ、て思うもんな。そんで、連れて行きたくなんねん。元カノも、そういう気持ちが欲しかったてことやろな」

 その話を聞きながら、ちょっとだけ、元カノさんの気持ちが分かるような気がした。
 栄太兄は、優しい。
 誰にでも優しいから、不安になるんだ。
 自分が本当に、特別な存在なのか――
 それを確認したくなって、繋ぎとめておきたくなる。
 でも、それは栄太兄を苦しめることになって、彼女自身もそんな自分が嫌になって、結局、うまく行かなくなるんだろう。

「……礼奈、何や神妙な顔してるな」
「え? そう?」
「……もしかして、元カノに同情してはる?」

 気まずそうに訊かれて、私は思わず笑った。

「うん、そうかも」

 栄太兄はなんとも言えない顔で黙り込んだ。
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