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.第11章 祖父母と孫
299 奈良帰省(10)
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翌日は、金田のおじいさんのお墓のお参りに出かけた。30日になると霊園が閉まってしまうからと、和歌子さんが車を出してくれた。
金田のおじいさんが眠っているのは、なだらかな山の中腹にある墓地だ。並んだ墓石の中に「金田家」の文字を見つけて、水で洗い流し、花を添え、手を合わせる。
「おじいちゃん。栄太郎が彼女連れて来たよ」
和歌子さんが墓石にそう声をかけて、私たちを振り返る。ちらっと見上げると、栄太兄が私を見て、ちょっと気恥ずかしそうに目を逸らした。
私は思わずくすりと笑って、その手に手を添えた。栄太兄はちょっと驚いた顔をしてから握り返してくれる。
和歌子さんは、繋いだ手を見て見ぬふりをしてくれた。線香立ての前にしゃがみながら、墓石を見つめる。
「会いたがってたもんね、栄太郎の彼女。――会えてよかったね」
穏やかなその横顔の切なさに、涙がこみ上げて来そうになってうつむいた。胸をじくじくと痛みが焼く。
身近な人の死――それが加齢からくる当然の別れであっても、私にはまだ、それを受け入れる覚悟はない。
けれど和歌子さんは、静かにそれを受け入れているのだ。改めてそう感じた。
栄太兄も、一歩前へと踏み出した。繋がれた手を引き寄せられ、隣に立つと、両肩に手を添えられる。
「じいちゃん。……遅くなって、見せられへんでごめんな」
肩に添えられた栄太兄の手指に、力がこもるのが分かった。小さく震えているのを感じて、栄太兄を見上げる。私を見下ろした栄太兄の目は、私から見て分かるほど潤んでいた。困ったように微笑んで、また視線を墓石に向ける。
「……気難し屋の、説教ばっかりのじいちゃんやったけどな。でも、俺のこと可愛がってくれてはったんやで。――礼奈はあんまり、覚えてへんと思うけど」
「うん……」
私は頷いた。物心をつくかどうかの頃、奈良に来たときに会ったはずだけれど、みんなの陰に隠れるようにしていた私はよく覚えていない。――印象として、厳しそうな人だな、と思った程度だ。
栄太兄が私の手を離してしゃがみ込む。私もその後ろに膝を折った。
「……お話、したかったな」
「せやな。……俺も、させてあげたかったわ」
冷たい風が、頬を撫でて墓前の花を揺らす。おじいちゃんが好きだったという白菊が揺れて、線香の煙がたなびいていった。
鼻をつく特有の香りに、懐かしさと切なさを感じる。それを胸の奥いっぱいに吸い込んで、一度息を止める。
手を合わせて目を閉じると、心の中で声をかける。
――金田のおじいさん、これからも、栄太兄と仲良く過ごしていきます。どうか、見守っていてください――
ゆっくりと目を開くと、斜め前にしゃがんでいた栄太兄が微笑んでいた。私の目が開いたことを確認して立ち上がると、手を差し出してくれる。私もその手を取って立ち上がった。
和歌子さんがふっと笑う。
「行こうか。――天気よくて、よかったわね」
「うん」
和歌子さんが歩き出し、私と栄太兄も後ろに従った。漂う煙と線香の匂いを感じていたら、切なさがこみ上げて、栄太兄の手を握る力を強めた。
「なあ、母さん」
不意に、栄太兄が和歌子さんに声をかけた。前を歩く和歌子さんは、振り返ることもなく「何?」と答える。
「――鎌倉のじいちゃんたちのこと、任せてな」
静かに、栄太兄は言った。和歌子さんは一瞬、目を栄太兄に向けたけれど、黙ったまま前を向く。
「母さんの代わりに、俺が最期を見届けたるから――」
「あのねぇ、馬鹿言ってんじゃないわよ」
栄太兄の声を遮って、和歌子さんが言った。
ふわりと、和歌子さんの長い髪がなびく。数歩前を歩いていた和歌子さんは立ち止まって振り向いた。
頭一つ上にある栄太兄の顔をまっすぐに見据えて、和歌子さんは笑った。
「あんたごときに私の代わりが務まると思ってんの? やめてよね」
そう言われて、栄太兄はうろたえた。和歌子さんはためらいもなく続ける。
「私の人生は、私が私の責任で終わらせるの。あんたの人生はあんたが、自分の責任で引き受けなさい。私の代わりだなんて、たとえ冗談でも二度と口にしないことね」
はっきりと言い切った母に、栄太兄は絶句した。
そして、ゆっくりと息を吸う。
「それで……死に目に会えないとしても?」
慎重に吐き出された言葉は、私の胸にちくりと刺さった。
けれど、和歌子さんは笑う。
少しの戸惑いもなく、爽やかなほどあっさりと。
「もちろん。覚悟はしてるわ」
栄太兄は半ば呆然として、和歌子さんを見つめていた。
「そんなの、とっくの昔に――奈良に嫁いで来ると決めたときに、覚悟してる」
それにね、と、和歌子さんは笑う。その笑顔の後ろには、青空が広がっている。
「あんたが都内の大学行くって聞いたときに、私の息子はもう死んだと思ってんのよ。好きに生きなさい。私たちも迷惑かけないから、あんたも私たちに迷惑かけないように頼むわ」
――ああ。本当に、この人は、強い人なんだ。――
身震いするほどに感動していながら、圧倒されて、涙すら浮かばなかった。胸を痛いほどに突くその意気は、私はもちろん、栄太兄にも、誰にも、文句を言わせないものなのだとはっきり分かった。
そうか。お父さんが言っていた、「文句を言わせない覚悟」って、こういうことなんだ。
二十歳の誕生日に父から聞いた言葉を思い出しながら、私は黙って、栄太兄と和歌子さんを見つめていた。
金田のおじいさんが眠っているのは、なだらかな山の中腹にある墓地だ。並んだ墓石の中に「金田家」の文字を見つけて、水で洗い流し、花を添え、手を合わせる。
「おじいちゃん。栄太郎が彼女連れて来たよ」
和歌子さんが墓石にそう声をかけて、私たちを振り返る。ちらっと見上げると、栄太兄が私を見て、ちょっと気恥ずかしそうに目を逸らした。
私は思わずくすりと笑って、その手に手を添えた。栄太兄はちょっと驚いた顔をしてから握り返してくれる。
和歌子さんは、繋いだ手を見て見ぬふりをしてくれた。線香立ての前にしゃがみながら、墓石を見つめる。
「会いたがってたもんね、栄太郎の彼女。――会えてよかったね」
穏やかなその横顔の切なさに、涙がこみ上げて来そうになってうつむいた。胸をじくじくと痛みが焼く。
身近な人の死――それが加齢からくる当然の別れであっても、私にはまだ、それを受け入れる覚悟はない。
けれど和歌子さんは、静かにそれを受け入れているのだ。改めてそう感じた。
栄太兄も、一歩前へと踏み出した。繋がれた手を引き寄せられ、隣に立つと、両肩に手を添えられる。
「じいちゃん。……遅くなって、見せられへんでごめんな」
肩に添えられた栄太兄の手指に、力がこもるのが分かった。小さく震えているのを感じて、栄太兄を見上げる。私を見下ろした栄太兄の目は、私から見て分かるほど潤んでいた。困ったように微笑んで、また視線を墓石に向ける。
「……気難し屋の、説教ばっかりのじいちゃんやったけどな。でも、俺のこと可愛がってくれてはったんやで。――礼奈はあんまり、覚えてへんと思うけど」
「うん……」
私は頷いた。物心をつくかどうかの頃、奈良に来たときに会ったはずだけれど、みんなの陰に隠れるようにしていた私はよく覚えていない。――印象として、厳しそうな人だな、と思った程度だ。
栄太兄が私の手を離してしゃがみ込む。私もその後ろに膝を折った。
「……お話、したかったな」
「せやな。……俺も、させてあげたかったわ」
冷たい風が、頬を撫でて墓前の花を揺らす。おじいちゃんが好きだったという白菊が揺れて、線香の煙がたなびいていった。
鼻をつく特有の香りに、懐かしさと切なさを感じる。それを胸の奥いっぱいに吸い込んで、一度息を止める。
手を合わせて目を閉じると、心の中で声をかける。
――金田のおじいさん、これからも、栄太兄と仲良く過ごしていきます。どうか、見守っていてください――
ゆっくりと目を開くと、斜め前にしゃがんでいた栄太兄が微笑んでいた。私の目が開いたことを確認して立ち上がると、手を差し出してくれる。私もその手を取って立ち上がった。
和歌子さんがふっと笑う。
「行こうか。――天気よくて、よかったわね」
「うん」
和歌子さんが歩き出し、私と栄太兄も後ろに従った。漂う煙と線香の匂いを感じていたら、切なさがこみ上げて、栄太兄の手を握る力を強めた。
「なあ、母さん」
不意に、栄太兄が和歌子さんに声をかけた。前を歩く和歌子さんは、振り返ることもなく「何?」と答える。
「――鎌倉のじいちゃんたちのこと、任せてな」
静かに、栄太兄は言った。和歌子さんは一瞬、目を栄太兄に向けたけれど、黙ったまま前を向く。
「母さんの代わりに、俺が最期を見届けたるから――」
「あのねぇ、馬鹿言ってんじゃないわよ」
栄太兄の声を遮って、和歌子さんが言った。
ふわりと、和歌子さんの長い髪がなびく。数歩前を歩いていた和歌子さんは立ち止まって振り向いた。
頭一つ上にある栄太兄の顔をまっすぐに見据えて、和歌子さんは笑った。
「あんたごときに私の代わりが務まると思ってんの? やめてよね」
そう言われて、栄太兄はうろたえた。和歌子さんはためらいもなく続ける。
「私の人生は、私が私の責任で終わらせるの。あんたの人生はあんたが、自分の責任で引き受けなさい。私の代わりだなんて、たとえ冗談でも二度と口にしないことね」
はっきりと言い切った母に、栄太兄は絶句した。
そして、ゆっくりと息を吸う。
「それで……死に目に会えないとしても?」
慎重に吐き出された言葉は、私の胸にちくりと刺さった。
けれど、和歌子さんは笑う。
少しの戸惑いもなく、爽やかなほどあっさりと。
「もちろん。覚悟はしてるわ」
栄太兄は半ば呆然として、和歌子さんを見つめていた。
「そんなの、とっくの昔に――奈良に嫁いで来ると決めたときに、覚悟してる」
それにね、と、和歌子さんは笑う。その笑顔の後ろには、青空が広がっている。
「あんたが都内の大学行くって聞いたときに、私の息子はもう死んだと思ってんのよ。好きに生きなさい。私たちも迷惑かけないから、あんたも私たちに迷惑かけないように頼むわ」
――ああ。本当に、この人は、強い人なんだ。――
身震いするほどに感動していながら、圧倒されて、涙すら浮かばなかった。胸を痛いほどに突くその意気は、私はもちろん、栄太兄にも、誰にも、文句を言わせないものなのだとはっきり分かった。
そうか。お父さんが言っていた、「文句を言わせない覚悟」って、こういうことなんだ。
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