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.第12章 親と子
311 1st Anniversary(2)
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スパークリングワインで乾杯して、白いお皿にちょこちょこと、上品に乗った前菜を食べて。メインディッシュは魚と肉のフルコース。量はそんなに多くないけれど、場所が場所だけに胸がいっぱいでお腹もすぐにいっぱいになった。
栄太兄は落ち着いた声であれこれ話しかけてくれて、私もできるだけいつも通り振る舞おうとしたけれど、喉の辺りでリズムを刻んでいた心臓は、メインディッシュが終わる頃ようやく胸元まで落ち着いてきた。
「次はデザートです。紅茶とコーヒー、どちらをお持ちしましょうか?」
ウェイターにそう問われて、栄太兄と顔を見合わせる。
「コーヒーを」
「じゃあ、私も」
ウェイターはまた上品な笑顔で「かしこまりました」と言い残して部屋を出た。しん、と静かになった部屋で、またしても心臓がどきどき言い始める。
……料理は、これで全部終わりになる。
わずかに残ったワインを手にした。酸味のあるフルーティな味が口の中に広がる。
栄太兄もどこか、タイミングを探るような、緊張しているような気配がした。
若干、緊張した空気の中、コンコン、とノックの音が響く。
「お待たせいたしました。デザートをお持ちいたしました」
運ばれてきたのは、大きなお皿に乗ったチーズケーキとジェラートの盛り合わせ。
その横には、チョコレートで文字が書いてある。
【1st Anniversary】
デザートと同時に、コーヒーカップが並べられる。香り立つ湯気の向こうにちらりと栄太兄を見ると、目が合って、微笑まれた。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げて、またウェイターが部屋を出て行く。
部屋の中がまた、沈黙に満たされた。
「……食べへんの?」
「栄太兄こそ」
ちら、と目を上げる。
一秒にも満たないわずかな間、互いの気持ちを探り合うように視線を交わし合って、同時に噴き出した。
「――やだな、もう。何で栄太兄、そんな緊張してんの?」
「そりゃ、緊張するわ。――大事なこと、言おうとしてんねんから」
二人して笑って言い合ったら、部屋の中の緊張は解れて、柔らかい空気に変わった。私はくつくつ笑いながら栄太兄を見つめる。
「……大事なこと?」
――やっぱり、そうなんだろうか。
高鳴る心音は、ただ緊張していたときとは少し違う。とくん、とくん、と、時を刻むように私の胸の中でリズムを刻んでいる。
「せや」
栄太兄はもっともらしく頷いて、こほんと咳ばらいした。
そして、息を吸い――止める。
身構えた私だったけれど、予想は裏切られて、息はそのまま吐き出された。
かと思えば、へらりと笑顔を浮かべて卓上を示す。
「……デザートの後にしよか」
栄太兄らしいといえば栄太兄らしい言葉に、私は「はいはい」と苦笑した。
***
デザートを平らげて、コーヒーを一杯ずつおかわりすると、卓上には二つのコーヒーカップだけが残った。ゆっくりその香りと味を楽しみながら、それとなく栄太兄を見るけれど、段々口数が少なくなっていくばかりで、なかなか本題に入ろうとしない。
けど、急かすのも変なような気がした。だって今日がこんな風になるだなんて、私自身、この店に案内されるまで予想していなかったし、栄太兄が栄太兄なりに、懸命に考えて決めたことだろうから。
だから、もし、栄太兄がそのまま今日を終えようと思ったのなら、それでいいと思っていた。
いろいろ、思うところはある。けど、つき合って1年目の記念日――そう言ってくれただけでも、こうして特別な時間を過ごせただけでも、充分嬉しい。
焦るべきじゃない、とは、分かっているから。
そう思って、静かにコーヒーに舌つづみを打っていたけれど、栄太兄は言うタイミングをつかみあぐねているようだった。息を吸っては止め、かと思えば吐き出し、ちょっとカップに口をつけて、唇を引き結ぶ――を数度繰り返している。
私はそれに気づいていたけれど、気づかないふりで栄太兄の気持ちが固まるのを待っていた。
しばらくすると、栄太兄は深いため息をついた。見やれば、額を押さえてうつむき、自嘲気味な笑みを浮かべている。
「……ほんと、駄目やなぁ、俺……」
呟いた声は本当に自己嫌悪に陥っているらしくて、私の胸がつきんと痛んだ。
ほとんど考えナシに席を立って、栄太兄の方へと回り込むと、額に添えていた手を両手で包んだ。
「……駄目で、いいじゃん」
私を見上げる栄太兄の目が揺らいだ。私は微笑んで、手に力をこめる。
「駄目で、いいよ。――栄太兄のいいところ、私はいっぱい知ってるから」
確かに、駄目なところもいっぱい知ってる。でも、いいところはもっとたくさん知ってる。
それに――私にとっては、その駄目なところこそ、愛おしくてたまらないのだ。
「礼奈……」
栄太兄は椅子に座ったまま私を見上げて、潤んだ目を一度逸らした。
私の手に手を重ね、引き寄せながら立ち上がる。
栄太兄の腕の中に、そっと包み込まれた。ネクタイの結び目が目の前にあって、それがクリスマスのときにプレゼントしたものだということに今さら気づく。
私も相当、緊張していたみたいだ――そう思ってくすりと笑った。
「なんや?」
「ふふ、ネクタイ――」
ふっ、と、上げた視線が。
至近距離で、絡まり合う。
――ああ。
と、思う間に、私は自然と目を閉じて。
柔らかい唇が触れ合う。
その優しさに、ぬくもりに、満たされて――不意に、泣きたくなった。
「――礼奈」
栄太兄が、小さな、小さな声で呼ぶ。
「はい」
私も小さく、それに答える。
「……結婚しよう」
栄太兄の手が、私の頬を撫でて。
「……喜んで」
私は、その手に手を添えた。
頬を、涙が伝い落ちる。
そのときの私には、何も、関係なかった。
祖父のこと。母のこと。社会的な体面や常識。
全部全部、関係なくて。
ただただ、強く、思っていた。
私はずっと一緒にいる。
――栄太兄と、一緒にいる。
大事な人、愛する人の腕の中が、ただただあたたかくて、幸せだった。
栄太兄は落ち着いた声であれこれ話しかけてくれて、私もできるだけいつも通り振る舞おうとしたけれど、喉の辺りでリズムを刻んでいた心臓は、メインディッシュが終わる頃ようやく胸元まで落ち着いてきた。
「次はデザートです。紅茶とコーヒー、どちらをお持ちしましょうか?」
ウェイターにそう問われて、栄太兄と顔を見合わせる。
「コーヒーを」
「じゃあ、私も」
ウェイターはまた上品な笑顔で「かしこまりました」と言い残して部屋を出た。しん、と静かになった部屋で、またしても心臓がどきどき言い始める。
……料理は、これで全部終わりになる。
わずかに残ったワインを手にした。酸味のあるフルーティな味が口の中に広がる。
栄太兄もどこか、タイミングを探るような、緊張しているような気配がした。
若干、緊張した空気の中、コンコン、とノックの音が響く。
「お待たせいたしました。デザートをお持ちいたしました」
運ばれてきたのは、大きなお皿に乗ったチーズケーキとジェラートの盛り合わせ。
その横には、チョコレートで文字が書いてある。
【1st Anniversary】
デザートと同時に、コーヒーカップが並べられる。香り立つ湯気の向こうにちらりと栄太兄を見ると、目が合って、微笑まれた。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げて、またウェイターが部屋を出て行く。
部屋の中がまた、沈黙に満たされた。
「……食べへんの?」
「栄太兄こそ」
ちら、と目を上げる。
一秒にも満たないわずかな間、互いの気持ちを探り合うように視線を交わし合って、同時に噴き出した。
「――やだな、もう。何で栄太兄、そんな緊張してんの?」
「そりゃ、緊張するわ。――大事なこと、言おうとしてんねんから」
二人して笑って言い合ったら、部屋の中の緊張は解れて、柔らかい空気に変わった。私はくつくつ笑いながら栄太兄を見つめる。
「……大事なこと?」
――やっぱり、そうなんだろうか。
高鳴る心音は、ただ緊張していたときとは少し違う。とくん、とくん、と、時を刻むように私の胸の中でリズムを刻んでいる。
「せや」
栄太兄はもっともらしく頷いて、こほんと咳ばらいした。
そして、息を吸い――止める。
身構えた私だったけれど、予想は裏切られて、息はそのまま吐き出された。
かと思えば、へらりと笑顔を浮かべて卓上を示す。
「……デザートの後にしよか」
栄太兄らしいといえば栄太兄らしい言葉に、私は「はいはい」と苦笑した。
***
デザートを平らげて、コーヒーを一杯ずつおかわりすると、卓上には二つのコーヒーカップだけが残った。ゆっくりその香りと味を楽しみながら、それとなく栄太兄を見るけれど、段々口数が少なくなっていくばかりで、なかなか本題に入ろうとしない。
けど、急かすのも変なような気がした。だって今日がこんな風になるだなんて、私自身、この店に案内されるまで予想していなかったし、栄太兄が栄太兄なりに、懸命に考えて決めたことだろうから。
だから、もし、栄太兄がそのまま今日を終えようと思ったのなら、それでいいと思っていた。
いろいろ、思うところはある。けど、つき合って1年目の記念日――そう言ってくれただけでも、こうして特別な時間を過ごせただけでも、充分嬉しい。
焦るべきじゃない、とは、分かっているから。
そう思って、静かにコーヒーに舌つづみを打っていたけれど、栄太兄は言うタイミングをつかみあぐねているようだった。息を吸っては止め、かと思えば吐き出し、ちょっとカップに口をつけて、唇を引き結ぶ――を数度繰り返している。
私はそれに気づいていたけれど、気づかないふりで栄太兄の気持ちが固まるのを待っていた。
しばらくすると、栄太兄は深いため息をついた。見やれば、額を押さえてうつむき、自嘲気味な笑みを浮かべている。
「……ほんと、駄目やなぁ、俺……」
呟いた声は本当に自己嫌悪に陥っているらしくて、私の胸がつきんと痛んだ。
ほとんど考えナシに席を立って、栄太兄の方へと回り込むと、額に添えていた手を両手で包んだ。
「……駄目で、いいじゃん」
私を見上げる栄太兄の目が揺らいだ。私は微笑んで、手に力をこめる。
「駄目で、いいよ。――栄太兄のいいところ、私はいっぱい知ってるから」
確かに、駄目なところもいっぱい知ってる。でも、いいところはもっとたくさん知ってる。
それに――私にとっては、その駄目なところこそ、愛おしくてたまらないのだ。
「礼奈……」
栄太兄は椅子に座ったまま私を見上げて、潤んだ目を一度逸らした。
私の手に手を重ね、引き寄せながら立ち上がる。
栄太兄の腕の中に、そっと包み込まれた。ネクタイの結び目が目の前にあって、それがクリスマスのときにプレゼントしたものだということに今さら気づく。
私も相当、緊張していたみたいだ――そう思ってくすりと笑った。
「なんや?」
「ふふ、ネクタイ――」
ふっ、と、上げた視線が。
至近距離で、絡まり合う。
――ああ。
と、思う間に、私は自然と目を閉じて。
柔らかい唇が触れ合う。
その優しさに、ぬくもりに、満たされて――不意に、泣きたくなった。
「――礼奈」
栄太兄が、小さな、小さな声で呼ぶ。
「はい」
私も小さく、それに答える。
「……結婚しよう」
栄太兄の手が、私の頬を撫でて。
「……喜んで」
私は、その手に手を添えた。
頬を、涙が伝い落ちる。
そのときの私には、何も、関係なかった。
祖父のこと。母のこと。社会的な体面や常識。
全部全部、関係なくて。
ただただ、強く、思っていた。
私はずっと一緒にいる。
――栄太兄と、一緒にいる。
大事な人、愛する人の腕の中が、ただただあたたかくて、幸せだった。
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