明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子

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.第12章 親と子

322 お見舞い(3)

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 病院に着くまで、健人兄は母が私に話しかけるのを防ぐように、母に話題を振り続けた。
 母は健人兄に聞かれるまま、祖父が入院してからのことを話す。
 週末まで、栄太兄を中心に、みんながそれぞれ祖母の家に顔を出していたこと。
 香子さんと隼人さんは、買い物を頼まれたり、手料理を持って行ったりもしていたこと。
 それを初めて聞いたのは、私と健人兄だけじゃなかったらしい。
 翔太くんも「そうだったんですか」「へぇ」と初めて聞いたようにあいづちを打っている。
 翔太くんはあんまり知らないのかな。
 そんな私の疑問を察したように、健人兄が「翔太くん、お見舞いとか行ってないの?」と聞く。翔太くんは「うん、今日が初めて」と答えて肩を竦めた。

「どうせ俺が行っても何もできないし。あんまり度々顔出して、逆におばあちゃんに負担になるのもなーと思って」

 あえていつも通り過ごすことにしていた、と言うので、私はなんだか複雑な気持ちになった。
 それぞれ、できることが違う。求められている役割も違う。
 その中で、どれが一番、相手を思いやる行動なのか――
 嘘をついてまでインターンを休み、今日ここに来たのは、自分のわがままじゃないのか――
 胸に刺さった棘が、またちくりと痛んだ。本当は行くはずだったインターン先の様子が脳裏をよぎる。
 健人兄はちらりと私の横顔を見やったけれど、何も言わず顔を上げた。

「じいちゃん、まだ寝てること多いの?」
「ううん。最近は、だいたい目を覚ましてるみたいよ」

 私がほとんど話さないでいる間に、車は病院に着いた。
 病院は救急も一般外来もやっていて、診察と入院の病棟は分かれているようだ。裏口のような休日用の出入り口から中に入り、名前と訪問先を書いて入館証代わりのバッヂをつける。
 病院というと古臭いイメージがあった私だけれど、その病院は新しくて、すっきりしたつくりをしていた。中にはコンビニやカフェも併設されていたけれど、カフェが空いているのは外来がやっているときだけらしく、その日は使えない。
 祖父の病室は4人部屋で、窓際のベッドだった。翔太くん、健人兄、私、母の順に祖父のベッドへと向かう。

「じいちゃーん。来たよー」

 健人兄が明るく言って、ベッドに座ったままぼんやりしている祖父に手を振った。

「ああ……健人か」
「よかったよかった、結構元気そーじゃん」

 兄はへらりと笑うと、「パジャマとか、持って来たよ」と風呂敷を掲げる。「ちょっと整理するから」と母が言って、ベッドの足元で包みを解き、パジャマやタオルをベッド横の棚に入れていった。

「じいちゃん、どこ散歩しようとしてたの? よかったね、大ごとにならずに」

 健人兄がそう言って、祖父の肩をぽんぽん叩く。祖父のやせ細った手と、それを握る力強い兄の手が対象的で、切ない痛みが胸に広がった。

「猫を探して……」

 祖父はぼんやりした目でそう言って、うつむいた。

「鳴き声が……聞こえたから……和歌子が喜ぶだろうと思って……」

 健人兄はそれを聞いて微笑んだ。祖父の手を両手で包み、ゆっくり撫でる。

「そっか。和歌子さんに猫、見せようとしたんだ?」
「……」

 健人兄は馬鹿にすることもなく、びっくりするほど優しくそう聞いた。祖父は頷くこともなく、風呂敷から物を出す母の手元を見ている。
 翔太くんが健人兄の横から、祖父の膝をぽんぽんと叩いた。

「はやく、元気になってね。みんな待ってるから」

 翔太くんがそう言うと、祖父はこくりと頷く。そして後ろに立つ私に気づいた。

「……礼奈」
「おじいちゃん……」

 答えて、戸惑う。何を話したらいいのか、分からなかった。
 二人とのやりとりで、祖父が前よりも一層、衰えていることを感じていた。前回会ったときはもう少し、まともに会話ができたのに。
 転げ落ちていくように、祖父のエネルギーが失われていく。力がなくなっていく。
 蓄えられていた水が、干上がっていくように。
 健人兄と翔太くんが、私に場所を譲る。狭いスペースに身体を滑り込ませるようにして、健人兄の前に立った。
 自分の顔がこわばっていないことを祈りながら、どうにか笑顔を取り繕う。

「おじいちゃん。退院したら、また一緒に散歩行こうね。おばあちゃんも、一緒に……たくさん、お話聞かせてね」

 祖父の手に手を添えて、できるだけ落ち着いた口調で話しかけた。祖父はじっと私の顔を見てから、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。
 私が「どうかした?」と問うと、祖父は不思議そうに首を傾げ、私の手を握る。
 その手の冷たさと予想外なほどの力強さにうろたえた。

「栄太郎は、いないのか」

 はっと息をのみ、動きを止めた私を、健人兄と母が見ている。私は息を吸って、開きかけた口を閉じた。
 そのまま何かを言っては、笑顔が崩れる気がした。

「――栄太郎くんは、おばあちゃんと家にいますよ」

 静かに言ったのは母だった。笑顔で、「また明日来るって言ってました」と続ける。

「来週には、退院ですから。――もう少し、辛抱してくださいね、お義父さん」

 祖父は、うん、と短く頷いた。
 握り締めた私の手を、祖父は眠りにつくまで離そうとしなかった。
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