マイ・リトル・プリンセス

松田丹子(まつだにこ)

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.4 つまらない大人

18 短い10年、長い10年

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 健人がいなくなった後、自分のコップに梅酒を注いでいたら、ぽんと肩を叩かれた。
 見ると政人が立っている。

「よ。今日は来れたな」
「おう。絶対来る言うたやろ」

 俺がにかりと笑うと、政人もふ、と笑った。

「礼奈の誕生日もそうだったな。そういうことができるようになったならよかった」

 その笑顔は、どこか慈愛を感じさせる。
 三十のオッサンでも、政人にとっては俺もかわいい甥っ子ってことか。
 そう思うと気恥ずかしさがこみ上げた。

「こないだはありがとな、ほぼ1日、礼奈につき合ってやってくれて」
「ああ――いや」

 別に、とごにょごにょ口の中で言う。
 正直、あの日の記憶は曖昧やねん。礼奈の爆弾発言に全部持って行かれて。
 政人とも夕飯のとき会うたはずやねんけど、何話してたかも、どんな顔してたかも、全然覚えてへん。
 あんまり政人にあれこれ言われると、俺がぼぅっとしてたのがバレてまうかもしれんで怖いわ。
 そわそわする俺に気づいた風もなく、政人は笑った。

「あの日は俺も彩乃も仕事だったからさ。せっかくの誕生日なのにどこも連れて行ってやれないなーと思ってたんだよ。お前が来てくれて助かった。礼奈も喜んでたし」

 よ、喜んで……くれたんやろか。
 ――あかん。あの日のことを思い出そうとすればするほど、蘇ってくるのは女子の顔をした礼奈ばかりや。
 照れた顔、笑った顔、困った顔――俺に抱き着いてきた身体の柔らかさと温もり。
 その父を前にした気まずさに、とりあえず手元の梅酒を完成させて口に運ぶ。
 炭酸で割ったけど、酒が多すぎたかも知れへん。口の中に酸味のある甘さが広がった。

「ま、今後はそういう仕事の付き合い方ができるといいな」

 ぽんぽんと肩を叩かれて、俺は思わず半眼になる。

「それができたら苦労せぇへんて……」

 思わずぼやけば、政人はふと考えるような顔をした。

「お前、真面目なのもいいけど、勘違いはするなよ」
「勘違い?」
「そう」

 政人は手元に残った酒を飲み干し、「俺も久々に飲も」とばあちゃん特製梅酒を注ぐ。氷をいくつか入れてロックのまま舌で舐め、「甘いな」と笑った。
 ほんま、五十になってもイケメンやんな。こりゃ、会社やなんかで会う女、老いも若きも夢中やろ。
 内心そんなことを思いながら、言葉を待つ。政人は言葉を味わうように口を開いた。

「お前がしてる仕事ってのは、手段なのか? 目的なのか?」
「手段……目的……」
「そうだ」

 政人は頷き、また酒を舐める。その目は宴会を楽しむ親戚たちに注がれている。俺もそちらに目をやった。
 酒を酌み交わし、笑い合う叔父と祖父。近況報告に花を咲かせる叔母と祖母。
 ついこの前まではここを、ちょこまかとチビたちが駆けまわっていたのだった。当時は騒がしくて落ち着かなかったけど、こうして大人だけになってまうと寂しいもんやな。

「俺にとってはこれが目的」

 不意に聞こえた言葉に、俺はまたまばたきをして政人を見やる。

「家族と笑って生きるために、必要だから働く。生きて行くには金が必要だからな。もちろん、そこには少なからず、自己実現や適正な評価があって欲しいとは思う。けど、俺にとってはそれが最終目的じゃない」

 言いたいことは分かる。でも、それをどう毎日に反映するのかがピンと来ぉへん。

「目的はいくつあってもいいだろう。でも、手段のためにどこまで自分をすり減らすかは人による。ここまでなら犠牲にできる、っていうラインを自分で決めないと、ただずるずると吸い取られていくだけだ。真面目で人がいい人間ほど、それが顕著だな」

 政人は言いながら梅酒を舐める。それは丸きり、俺に向けた言葉だ。
 言葉が浮かばず口に運んだ梅サワーの炭酸が、舌と喉にちくちく刺さった。先ほどは甘く感じた酒の苦さを喉に流し込む。

「人がいいのは悪いことじゃない。けど、大概にしとけ。まず自分が何をしたいか明確にして、ここだけは譲れないって主張しないと、ただナメられて搾取されるだけだぞ」

 搾取。――搾取、か。

「時間は有限だ。今我慢すればいい、ここさえ乗り切ればいい、そうやって毎日を過ごして、気づいたらもう取り返しがつかなくなる」

 そうやなぁ。ほんまそうや。
 気づいたら三十になってもうたし。

「――ま、こんなこと言うのも老婆心だけどな。お前が今の生活に満足してるならそれでいいけど、そうじゃないなら、どっかで考え直さないとこの先キツいぞ、ってこと。勢いで乗り切れるのも、そろそろリミットが近いからな」

 リミット。その言葉が嫌なリアリティを持って耳に残る。
 俺はちらりと政人を見やった。

「……具体的には、どれくらいがリミット?」
「さあ。それは人によるが」

 俺から見れば人のいい叔父は、そう言って首を傾げた。

「まー、四十くらいじゃないか。そっからは、体力とか気力だけじゃなくて……なんつーか、周りの生き方とか、そういうのの中で揺さぶられるからな。ここっていう芯がないと、えらい削られていくと思うぞ」

 周りの人の生き方。
 結婚、子育て、独立、出世――

「四十もあっという間なんやろな」
「はははは。まあ、せいぜい長い三十代を送れよ。お前は二十代が駆け足だったからな」

 駆け足。確かにそうかもしれん。
 何かを楽しんでたつもりやねんけど、今となっては具体的に何を楽しんだか覚えてへんまま、三十になってもうた。
 覚えてるのはひたすら、仕事、仕事、仕事――
 思わず喉元にこみ上げたため息を、俺は酒と一緒に飲み込んだ。
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