マイ・リトル・プリンセス

松田丹子(まつだにこ)

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.5 マシな生き方

22 母は強し

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 年の暮れ、また実家に帰った。
 新年にはいつも通り、鎌倉の集まりがあったが、今年は両親といることを優先して、丸五日を奈良で過ごした。
 そんな俺に、母は戸惑ったらしい。
 「珍しいわねぇ」と目を丸くした。
 それでも、喜んでくれてるのは分かって、胸は小さくざわついた。
 喜んでくれるねんな。――俺と過ごす時間を。
 母が強がりなのは知っとる。ちゃんと気にしていれば分かったはずなのに、今までちゃんと向き合って来んかったのは俺の不肖のせいなのかもしれん。

「なに、今年は。どうかしたの?」
「うん……いや」

 母には、祖父母の様子は話してある。
 だいぶ歳を取ってきていること、俺が少しずつ手助けしていること。

「もう少し……近くにおりたくなってん」
「近くに?」

 母がじっと、こちらを見つめてきた。俺もその顔を見返しつつ、母も年を取ったなと気づく。
 元々、友達にうらやましがられるくらいには綺麗な人やったし、今も綺麗やと思う。けど、俺が一緒に住んでいたころとはやっぱり違う。もう、十年以上も前の話なんやから、当然やけど。
 そんなことにも、見て見ぬ振りをしてきた。
 切なさを飲み込んで、息を吸う。

「なあ、母さん」
「なぁに?」
「……転職、しよかな」

 母は驚いたようやった。目を丸くして、俺を見つめる。

「……あかんかな」

 沈黙が気まずくなって、呟くようにそう言えば、母は笑って首を横に振った。

「そんなことない。あんたの人生だもん、あんたの好きなようにやるといいよ」

 はっきり言い切って、俺を見つめる。その目は珍しく、優しい、母親らしい情を孕んでいた。
 栄太郎、と母が呼ぶ。どこか遠くを見るような目をして微笑む。

「あんたも、気づいたのね。時間は有限だって」
「まあ……そうやな」

 答えたところで、苦笑が浮かんだ。

「今さらそんなん思ても、遅いけどな」

 そんな自嘲を、母は即座に笑い飛ばした。

「なぁーに言ってんの。気づきに遅いも早いもないわよ。その人に必要な時間だったってだけ」

 言葉が温もりになって、強ばった心に沁みる。

「結局すべて、なるようになるわ。落ち着くところに落ち着くの。運命、なんて言葉は他人任せみたいで嫌いだけど、そこに導く力はあるような気がする。引力みたいに」

 母さんはそう断言した。微笑みをたたえた表情。力強く、輝く目。
 この人――ほんま、かっこええな。
 思わず笑ってもうたら、母は首を傾げた。

「何?」

 母が不思議そうに首を傾げる。俺は首を横に振った。

「いや。――ちょっと、分かった」
「何が?」
「父さんが、母さんを追いかけて関東まで行った理由」

 母は目を丸くして、まばたきをすると、困ったように笑うた。
 少し照れもあるのかもしれない。あまり見せない、崩れたような笑顔。
 ――そういえば、こういう話したこと、今までなかったな。

「あのさ」

 警察官の父と、遠くから奈良へ嫁いだ母。
 勤務によっては、父は不在になることが多かった。
 それでも――

「母さんは、幸せやった? 父さんと一緒になって」

 母は笑う。それだけでもう、答えは分かる。

「当たり前でしょ」

 返事に迷いはなかった。

「男に幸せにしてもらうなんてまっぴらよ。私は自分で人生を選んで、自力で幸せになるの。栄太郎、あんたもそういう女と一緒になりなさい。――あんたが幸せにしてやろう、なんて思ってちゃ、まだまだよ」

 強い目が俺をまっすぐ見守ってくる。
 その強さを、恐れたときもあった。怯んだときもあった。
 それでも、そうしている母さんは、やっぱり強くて、綺麗な人や。
 誰かに責任を押しつけることもなく、自分の脚でまっすぐに立つ人。
 父さんは母さんのこういうところに惹かれたし、支えられてもいるんやろう。

「――ま、私みたいな、女神のような人は早々いないからね。そういう人を探そうとしても難しいかも。あんたには酷なことをしてしまったかもしれないけれど、それも宿命と思って、受け入れなさいな」

 ぽんぽんと母が俺の肩を叩く。
 そういえば、政人が結婚する前にも、母は似たようなことを言うてた気がするな。
 あのときはただ馬鹿にしてたけど、

「そうかも知れんな」

 笑って、母の肩を抱き寄せる。親愛のハグや。母さんも笑って俺の背中をたたく。
 その手のぬくもりを感じながら、俺はまたひとつ気づいた。
 自分よりも強くて大きかったはずの母さんは、もうすっぽりと俺の腕の中に収まってまう。
 身長を追い抜いたのは、いつだっただろう。
 筋力は? 体力は?
 きっと、今では俺の方が上やろう。
 けど。それでも、やっぱり、母さんに敵う気がしない。
 その強さには、敵いそうにない。

 ――たぶん、一生、敵わないんやろうな。この人には。

 そう思えたら、妙な幸福感が胸に広がった。
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