マイ・リトル・プリンセス

松田丹子(まつだにこ)

文字の大きさ
74 / 100
.12 呪いの解き方

74 カミングアウト

しおりを挟む
 翌朝、俺よりはやく起き出した礼奈は、また風呂に行って気持ちを切り替えたらしい。
 遅い睡魔にまどろんでから起き出した俺に、「おはよ」と明るい笑顔を向けてきた。

「……おはようさん」

 どんな顔をすべきかわからず、それでもどうにか、笑みを顔に張り付ける。礼奈は「そろそろ行かないと、朝ご飯食べられないよ」と笑った。
 俺の方に伸ばしかけ、思い止まったように下ろした手に気づいて目を逸らす。
 いつもなら遠慮なく触れ合うはずのぬくもりの遠さが苦しい。一瞬しか合わない視線が寂しい。
 けどそれには気づかないふりで、「せやな、すぐ着替えるわ」と背を向けて帯をほどいた。
 礼奈が動揺する気配がする。「私、ちょっとトイレ」とその場を離れた。
 ああ、俺が着替え始めたからか。
 寝不足の頭で納得した後、ああなんか、めっちゃ気ぃ使われてるなぁ、て切なくなった。
 なんで俺って、ほんといつもこうなんやろ。決めるべきところでビシッと決められへん。
 決めようと思えば思うほど、緊張しすぎて気持ちばっかり上滑りして、階段を転げ落ちるみたいになって、結局自意識過剰だったな、て反省する。
 そんなことを、何度も、同じように繰り返しとる気がする。
 成長のない俺。……情けない俺。
 昨夜……礼奈はどう思ったやろか。今日この日、って、心の準備してきて、期待はずれどころか訳が分からんまま終わってしもうて。
 幻滅したやろうか。俺のこと、信じられんようになったやろうか。
 ああ……どんどん思考がマイナスに転がっていくのがわかるのに、自分でも止められへん。
 せめて礼奈と同じくらい、表面上だけでも取り繕わなあかん――ひとまわりも年が違うんやし、せっかく旅行中なんやし、俺がしっかりせんと礼奈に悪いやん。そう思うのに――うまくできへん。
 礼奈に……喜んでもらおうて思うて、企画した旅行のはずやのに。
 二度と思い出したくもない思い出になってまいそうや。
 あー、ひとりになって泣きたい。もう、うずくまって部屋に引き込もって泣いてたい。……どうしよう、礼奈に嫌われたら。そんなん、俺もう生きていけへん。生きてる意味ない。
 ああ、なんで旅行なんて来たんやろ。なんで俺、もっと……

「栄太兄、準備できた? ご飯、行こ」

 礼奈が出てきて、ああ、て額のあたりで返事する。それからふたり付属のレストランに行って、ビュッフェの朝食を摂った。礼奈があれこれ、料理の味やら作り方やら、俺に話しかけてくれてはるのはわかったけど、全然頭に入って来んかった。手が動いて、口が動いて、飯を食う。今、飯を食うてるのは誰や? 礼奈と一緒にいるのは誰や? なんやもう、わからんくらい頭がぼうっとしてる。
 寝不足のせいやない……自己嫌悪でいっぱいなせいや。

「はー、お腹いっぱい。栄太兄、今日はどこにいく? 昨日はさ、私に付き合ってもらったから、今日は栄太兄が行きたいとこ行こうよ。お昼ご飯は牛タンにする? お肉いっぱい食べてエネルギー充電してさ。あっ、せっかくだし、ずんだ餅も食べたいね。笹かまぼこも食べてみたかったから、今朝置いてあって嬉しかったな」

 部屋に戻りながらも、礼奈は矢継ぎ早に話しかけてくれる。気詰まりにならないようにしてくれてはる。それが申し訳なくて、消えてなくなりたい。ギリギリ、乾ききったあいづちを返す。マフラーで喉をぐるぐる巻きにしたみたいに息苦しい。礼奈と一緒におるときこんな風に感じたのは初めてや。
 部屋に入って、スリッパを脱ごうとしたら、段差につまづいた。礼奈が慌てて俺を支える。

「……栄太兄……?」

 震える声に、はっと見下ろせば、礼奈は今にも泣きそうやった。細い指が、俺の肘を支えてる。今日、初めて触れた礼奈の身体や――そう気づいたら、もう我慢できへんかった。
 藁にもすがるような思いで、礼奈を引き寄せる。ぎゅうと胸に抱き締める。情けなさに、目の前が歪む。

 ――なにやってんねん俺、一番悲しませたくない子に、こんな悲しそうな顔させるなんて。

「あの……ごめんね」

 胸がいっぱいで声が出せずにいると、もそもそと、腕の中で礼奈が言った。
 なんのことやろ、と顔を見れば、目を伏せた礼奈のまつげが小さく震えている。

「やっぱり……女として、見られないよね……」

 ――え?
 今……なんて?

「二十年も……妹、だったわけだし。そんなすぐ……二、三年で、そんなふうにできるわけないよね……ごめん。あの、えっと、私、もっと、女らしくなれるよう、がんばるね。まだ、時間はたくさんあるんだし……」

 顔を上げた礼奈が、笑う。笑ってるのに、泣いてるみたいに見えるのは、声が震えとるからか、目を伏せとるからやろうか。
 俺はぽかんとして、その顔を見つめる。

 なに言うてんの? 礼奈は……。
 ――もしかして、昨日のことが、自分のせいだと思うてはる?

 礼奈の目に、隠しおおせない涙が浮かんできたのが見えて、慌てて息を吸った。

「ちゃうねん、それは!」

 言うたはいいけど、言葉がすぐに出てこぉへん。礼奈が潤んだ目をまたたいて俺を見上げた。
 まばたきした拍子に、丸くて白くて小さな頬を、涙がひとつぶ、伝い落ちる。
 ああ、泣かせてもうた。俺のせいで。俺の……

「ち、ちゃうねん。礼奈のせいやない。俺が……俺が、その」

 言いかけた言葉が、段々と口の中にこもる。
 ああもう――ここまできて、なに、ためらっとんねん。今さら、失うものなんてなにもないやろ!
 こんなん言うの、くだらない、情けないことかもしれへんけど――言わへんまま、礼奈を傷つけてどうする。
 大事な礼奈を、泣かせてどうする。
 一番――笑っていてほしい子やのに。

「俺な、はっ……」

 言いかけて息を止めた俺に、

「……は?」

 礼奈がまばたきする。
 そのまっすぐなまなざしに息苦しさを感じながら、一気に言い切った。

「――初めてやねん!」

 初めてやねん! 初めてやねん……自分の声がこだまのように耳に、心に響く。

 ――あああああ、言ってもうた! 言わんですめばええなと思うてたのに……言うてもうた! よりによって礼奈に……!
 でも、礼奈のせいやないことは、伝えなあかん。だって礼奈はこんなにまっすぐ、俺のことを想てくれてるのに! 俺はそんな礼奈がかわいくて愛おしくて仕方ないのに! 悲しませるわけにはいかへんやん!
 沈黙が、広々とした部屋を満たしていく。静かすぎて、じりじり、耳の奥が痛い。礼奈の反応が怖くて、顔が上げられへん。
 しばらくの沈黙の後、「でも……」と礼奈が口を開いた。

「栄太兄、彼女……いたよね」

 健人にもそれ、言われたな、そういや。
 憐れまれた日のことを思い出しながらうなずく。

「いた、ことはある。けどその、最後まではしてないっちゅうか、しちゃあかんってどっかでストップかかってもうて、できへんままやったっていうか……」

 微妙な空気が痛くて、怖い。礼奈の首もとを見ながら、聞かれてもおらんことを言い訳がましく早口にまくしたてた。
 都内に出るとき母さんに言われた言葉。そのときになるとそれが頭によみがえること。失敗が積み重なって、その手のこと――恋愛も含めて、諦めかけていたこと。

「で、でも……礼奈とは、ちゃんとできるようになりたいて思うてて、だけどその、今さらどうすればええのか分からんっていうか、自信もないっちゅうか……」

 そこまで言って、言うべき言葉が見つからなくなった。
 またしても、部屋がしんと静まり返る。言葉を失ったままの礼奈を見やる勇気は俺にはない。礼奈がどんな顔しとるんかも分からへんまま、きゅっと唇を引き結んだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

年下夫の嘘

クマ三郎@書籍&コミカライズ3作配信中
恋愛
結婚して三ヶ月で、ツェツィーリエは一番目の夫を亡くした。朝、いつものように見送った夫は何者かに襲われ、無惨な姿で帰ってきた。 それから一年後。喪が明けたツェツィーリエに、思いもよらない縁談が舞い込んだ。 相手は冷酷無慈悲と恐れられる天才騎士ユリアン・ベルクヴァイン公爵子息。 公爵家に迎え入れられたツェツィーリエの生活は、何不自由ない恵まれたものだった。 夫としての務めを律儀に果たすユリアンとの日々。不満など抱いてはいけない。 たとえ彼に愛する人がいたとしても……

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

処理中です...