マルヤマ百貨店へようこそ。

松丹子

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2 人事課の女王

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 白を基調とした店内。キラキラと輝く照明。
 高級感のある床材を張った通路は、人が行き交うにも苦労しないよう、充分な広さを確保してある。
 色とりどりの豊富な品物、穏やかな店員の笑顔。
 接客を担当する女性社員は、薄い紫のワイシャツに濃い紫のリボン、ネイビーのベストとスカート。黒いウエストポーチを腰につけている。
 男性はスーツなので制服はなく、胸元の小さなバッヂが社員の目印だ。

「いらっしゃいませ」

 頭を下げる角度は15度。陳列する品物を整えながら、お客様の気配に意識をそばだてる。
 何でもインターネットでモノを買える時代にあって、私たち百貨店員が売るのは品物ではない。接客というサービスであり、楽しい買い物という喜びであり、そして多分、こんな品物を手にしたら自分の毎日がどう彩られるだろうと想像を膨らませる、夢や希望だーー
 と、私は勝手に思っている。
 
 行き交うお客様に笑顔で声をかけながらフロアを歩く。
 内勤の私は制服ではないけれど、社員のバッヂと名札はつけている。挨拶すれば社員と察してお手洗いを聞かれ、ときどき案内しながら、店内を散策する。
 我が新宿店の店長は、「百貨店社員たるもの、店内を知らずして働くことなかれ。内勤事務でも週に一度はフロアを巡回すること」と主張している。自身もほとんと店長のデスクにいなくて、店内を回っていることが多い。
 内勤に配属されているとはいえ、多くの社員は店舗での接客が好きだから、店長のその言葉のおかげで気軽に店内を散策できて助かっている。
 店舗では、気候やメディアの影響で日々刻々と売上が変わる。そしてそれを反映して、毎日どこかの売り場が変わっている。
 そうした変化を、内勤職とはいえ社員が知らないのはまずい。私もそう思っているから、定期的に店内を歩くようにしている。

 季節はもうすぐ6月。雨に関する品物が目立つところに置かれ始めた。レインコートや傘、雨靴の他にも、水を弾く素材でできたカバン、気分のふさぎがちな時期に元気になれる可愛い小物など、売り場の工夫はそれぞれだ。
 まずは1階婦人洋品売り場をざっと見た後で、2階婦人靴売り場へと階段を上がった。

「那岐山さん。お疲れさまです」

 声をかけられて目を向ける。狐目の男性社員。私より五つほど年下だろうか。箱をたくさん持っているので、バックヤードへ向かう途中らしい。

「お疲れさま」

 答えるが、見覚えがあるような、ないような。人の顔と名前を覚えるのはそれほど不得意ではないのだけど。
 にこりと笑って立ち去る彼の、胸元の名札がわずかに見える。
 【風間】
 ……知らないな。
 首を傾げながら歩いていく。
 通路に落ちていたタグを見つけて拾い上げた。
 周りに手の空いた店員がいない見て、ポケットに入れる。事務室に行けば誰かしらいるだろう。
 事務室は部屋というよりほとんど通路だ。L字に細長くて、一方はパソコンが2台並べてあるけど、座ってしまうと後ろを通れないくらいに狭い。もう一方は座れる場所はなくて、連絡票や取置票のファイルが並んでいる棚を、便宜上机代わりに使っている。
 事務室には“鉄の女さっちゃん“こと木庭さんがいた。後輩が指導されていたが、もう話は終わったらしい。

「あら、那岐山さんも見回り?」
「あ、えーと、はい」
「そう。あなたもシッカリ後輩指導してね」

 木庭さんはそう言ってきびきびと歩き出す。年齢を考えれば私の親とさして変わらないはずだが、仕事柄か、伸びた背筋からはそうは見えない。
 その背を見送って、後輩に声をかけた。

「麻衣ちゃん、お疲れ」
「那岐山さぁん」

 白沢麻衣ちゃんは一度同じフロアで働いた後輩だ。ほっとした顔で笑うのを見て、私は苦笑する。

「厳しく言われた?」
「んー、昔ほどではないんですけど……『ちょっと気持ちが緩んでるんじゃないの』って」
「もう5年目だもんねぇ」

 私がしみじみ言うと、麻衣ちゃんが照れ臭そうに笑う。

「那岐山さんがいなかったら、3年くらいで辞めてたかも」
「なに言ってんの、関係ないでしょ。私が店舗部からいなくたってがんばってるんだから」

 百貨店は大きく3つの部門から成っている。店舗部、外商部、総務部。それぞれ、成海、エンドゥー、私が当てはまるが、外商はVIPのお客様と一緒にフロアを回ることがあるし、お得意様が好みそうなものをリサーチして、常に売り場と連携している。そういう意味では、私のいる総務部が一番店舗部から縁遠い。
 店舗部にいたときには、仕事をしやすくする意味もあって、極力、各フロアの社員の把握に努めていたものだけど、今やどこに誰がいるのか、一部しか把握していない。
 私はふと思い出した。

「そういえば、さっき見慣れない子がいて……麻衣ちゃんと同期くらいだと思うんだけど」
「誰だろう。名前は?」
「風間……くん?」
「ああ」

 麻衣ちゃんは頷いて、

「風間さんは、7年目ですよ。ついこないだまで横浜店にいて、4月に異動してきた……うちの店舗は入社した頃に3年二カ所いたきりだから、久々に戻ってきたって言ってました」
「そうなんだ」
「はい。もともとは……どこだったかな、ギフトだったかな」

 ギフト売り場といえば、前、成海もいたんじゃなかったかな。
 もしかしたら知ってるかも。今度何かのついでに聞いてみよう。
 私は相手を知らないのに、相手は私を知っているというのは、なんとなく気持ちが悪い。

「ありがとう。そうだ。これ、落ちてたよ」
「あっ、ありがとうございます」

 拾ったタグを麻衣ちゃんに渡した。値段の書いたタグは、売上確認のために使うから、商品についていないと困るのだ。売り場の人間なら品番でだいたい品物がわかるはず。

「そういえば、那岐山さん……ちょっと」

 ちょいちょいと袖を引っ張られて首を傾げると、麻衣ちゃんは声をひそめた。

「王子に彼女ができたって、ほんとですか……?」

 噴き出しそうになったのを堪える。
 いくらなんでも、早くね……?
 成海と思いが通じ合ってから、一週間そこそこしか経っていない。成海ってば、職場でも花飛ばしてるんじゃないでしょうね……

「ど、どうして? いきなりだね」
「8階にいる同期が、外商の遠藤さんに茶化されてたのを見たって……」

 あいつか……!

 遠藤誅すべし。まったく要らんことをしてくれるもんだ。

「若手女子何人かで、王子を見守る会を結成してたんですけど、ここ最近何となくいつもと違うってみんな言ってて」

 えええー。
 なに、その見守る会って。
 いつの間にそんなん作ったの?
 構成員何人? 会っていうからには3人はいるよね。
 成海、めっちゃ観察されてるし。

「どうかしました? 那岐山さん」
「いや……ツッコミ所が満載すぎて……」

 思わず頭を抱えた私に首を傾げた麻衣ちゃんは、私の手を握ってじっと見上げた。
 バッチリ上向いたまつげに縁取られた目が私をとらえる。

「那岐山さん。どうなんですか」
「え……え?」
「王子の相手は人事課の女王、という噂がまことしやかに」

 またしてもツッコミ所が満載なのだが、私が一番確認しておくべきところはここだろう。

「その人事課の女王とは」
「那岐山さんに決まってるじゃないですか」

 決まっとるんかーい。
 思わず笑顔が引き攣る。

「私ただの下っ端だけど。女王ってなに」
「そんなのどうでもいいじゃないですか。私はむしろ王子の相手が誰なのかという話が」
「いやよくない。よくないよね、女王って。威張ってると思われてるんだったらほんと困るんだけど」

 話していたら、事務室の電話が鳴った。白い子機に、麻衣ちゃんがぱっと手を伸ばす。

「はい、お電話ありがとうございます。マルヤマ百貨店の白沢でございます」

 ハキハキと応答を始めた後輩は、先ほどの雑談の余韻を感じさせない。
 頼もしいやら呆れるやらで、苦笑を浮かべつつきびすを返す。麻衣ちゃんは電話への応対を続けながら軽く会釈した。私も手を挙げて応え、事務室を出た。
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