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第壱章 名取葉子の自意識

05 誘い

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 クリスマスイヴには財務部の忘年会があった。
 その翌々日、門倉に連絡をした。
 年末は京都に帰る、と。
 返事は「30日にいつものところで」と端的なものだった。

「珍しいね、君から連絡をくれるなんて」
 柄になく浮き立つ気持ちを隠そうともせず、門倉はいつもの歪んだ笑顔を浮かべた。
 門倉は蛇のような目をますます細めて私を見る。
 わたしは目をそらしたが、男はそれを気にもしない。
「はじめてじゃないか?」
「せやったかしら」
「そうだよ」
 男との味気ない食事が嫌で、食事は先に済ませたと嘘をついた。
 ホテルの一室に入るや、門倉はわたしを後ろから抱きしめた。
 わたしは一瞬息を止め、吐き出す。
 門倉は耳元で囁いた。
「……する気満々てこと?」
「どうやろね」
 わたしが言うと、門倉はくすくす笑う。ご機嫌のよさを見て取って、私は口元を歪める。
(マーシーやったら、こんな風に抱きしめたりはせえへんやろな)
 思いつつも目を閉じ、クリスマスイブの夜に触れた筋肉質な身体を思い出した。

 * * *

 そう、クリスマスイヴ。財務部の忘年会に、事業部のマーシーがいた。
 綺麗どころの受付嬢を出席させるべく、山崎財務部長に引っ張り込まれたのだ。
 彼は案の定彼女らからお見合いのような質問を受け、苦笑混じりに答えていた。
 どんな話だったか、具体的には覚えていないが、そのときの話の流れで、どさくさ紛れにマーシーの身体に触れた。
 シャツ越しにも分かる筋肉質な弾力に、わたしの身体の中心が痺れた。
(ええ身体やわ)
 一度触れればもっと触れたくなって、ついつい調子に乗った自覚はある。
 男日照りな財務部女子はわたしだけではない。マーシーは女子社員に囲まれ、苦笑しながらつき合っていた。
 が、さすがにわたしの片手がそのベルトにかかったとき、マーシーはわたしの手首をうろたえながら掴んだ。
「な、名取さん?」
 揺れる目と上擦った声。
 手首を掴む温かさ。
 紛れも無い、男の手。
 彼の素の表情と触れた熱に、ぞくぞくした。
「なんや?」
 甘い痺れを押し隠し、わたしは微笑んで首を傾げた。
 できるだけ、無邪気を装って。
 マーシーが顔を歪める。
「さすがに……それは」
「さよか」
 わたしがにこりとすると、マーシーはほっとしたような顔をした。
 が、ベルトにかけた手は離さない。マーシーもわたしの手首を離さない。
「じゃ、こっちから」
 ベルトの下のチャックに手をかけようとしたとき、マーシーは慌ててわたしのもう一方の手首を掴んだ。
「名取さんっ、冗談が過ぎますよ!」
(せやかて、冗談やあらへん)
 わたしは酔ったふりをして、唇を尖らせてみる。
「いけずやなぁ。減るもんやなし、ええやろ」
「よくないです。全然よくないです」
 マーシーは頬を紅潮させ、困惑したようにわたしを見ている。
 両手首をつかまれたまま、わたしは笑った。
 じわじわと伝わる温もりとマーシーの手のなめらかさ。
 触れたそこから、電流のように腰に走る甘い痺れ。
(ずっとそのまま、離さんでいて)
 そうすれば、満たされるような気がした。
 わたしの心に空いた穴が埋められる気がした。
 少しずつ。満たされるような。
(そんなお願い、口にできるわけもあらへんけど)
 わたしはそのときにはもう、気づいていた。
 マーシーとアーヤが互いを意識していること。
 そして、きっと、時を待たず結ばれるだろうこと。

 その夜、掴まれた手首から全身に広がった熱を持て余したわたしは、家に帰ると久々に自身を可愛がった。

 * * *

「ヨーコ……ヨーコ」
 男がわたしの身体を求め、余裕のない声で名を呼ぶ。
 40男の弛んだ身体を、マーシーの代わりにするなど無理がある。そう分かっていても、仕方がない。
(うちみたいな女には、こういうつき合いがお似合いなんやろ)
 諦めている。とっくに。
 くぐもった声を出して、男がわたしの内側で果てた。
 ぐったりと弛緩した身体の重みがのしかかる。
(これがマーシーなら、幸せなんやろうになぁ……)
 そんな自分の馬鹿さにあきれて、自嘲の笑みを浮かべた。
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