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第四章 二人の生活
01 我が翼
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ヨーコさんと手を繋いで新幹線の改札口まで行き、互いに名残惜しみながら別れた。
「お母さんはああ言うてはるけど、もう少し話し合ってから決めようと思う」
とは今後のことだ。俺もそれがいいと頷いた。
「四十九日にはまた来ますから」
「うん」
「それまでは……なんかあったら、すぐ来ますね。呼んでください」
ヨーコさんは俺を見上げて頷いた。
その顔は仕事をしていたときとは全く違って、少女のように頼りない。そのまま連れ帰りたい衝動をなだめて、俺は「じゃあ」と手を挙げた。
新幹線の中で昼食を済ませた俺は、そのまま職場に向かった。帰宅しても落ち着かないと分かっているし、たまっているであろう仕事をチェックして明日に備えようと思ったのだ。
時計を見ると、もう2時を回っている。葬式後そのまま土日に入ったので、明日からはまた新しい一週間が始まる。
誰もいないだろうと思っていたのに、オフィスにはアンナがいた。俺は驚いて半歩後ろに引く。
「……お疲れさまです」
アンナは困惑顔で言った。俺も「うん」と答えてデスクに向かい、パソコンをつける。
アンナは職人気質というか、他人に粗を指摘されるのを極端に嫌がる。プライドが高いといえばそうなのだろう。他の社員と比べても、ツッコミが入らないよう相当に調べてからプレゼンに臨む。
そうやって他人に口出しされないようにがんばっている姿を見ると、昔のヨーコさんもこうだったのかな、なんて思う。俺がまだ出会う前のヨーコさん。いつだか、仕事も結構無理をしたものだと笑って話していたことを思い出す。「若かったからできたことやなぁ」と言っていた。
「……奥さまは」
「うん、さっき別れてきた」
「そうですか」
アンナが答える。若い女子にしてはあまり口数が多くないので、俺は内心ほっとした。
ヨーコさんの声や、柔らかい身体を抱いた名残が、まだ腕に、身体に、残っている。他の女と接して、せっかくの記憶が上書きされるのは嫌だった。
起動したパソコンの前に腰掛けてIDを入力し、たまったメールを確認していく。何か気になることがあれば、適宜社内メールしておいてくれと言ってあるので、部下たちから連絡が入っていた。
一つ一つ確認しながら、画面に集中していたとき、デスクの横にコトンと紙コップが置かれた。手を止めて見やるとアンナが立っている。
「今日……コーヒーメーカー、止まってるので」
そこにはアンナが買ってきたらしいアイスコーヒーが入っていた。俺はコップを手にして微笑む。
「Thank you」
アンナは珍しく、動揺したように見えた。
しばらく、オフィスには俺とアンナがたてる身動きの音だけが響いていた。会話もないまま2、3時間ほどしたとき、外が夕暮れになっていることに気づく。
「もう夏も終わりだね」
ぽつりと言うと、アンナはびくりと肩を震わせ、驚いたように俺を見て、こくりと頷いた。
「……そうですね」
そんなに驚くようなこと言ったかな。
俺は不思議に思って首を傾げた。
「……俺がいない間、なんかあった?」
「えっ、いえ……特には」
アンナは答えて、パソコンの画面に目を戻す。俺はそう、と答えて、TODOリストをスマホに送り、帰り仕度をし始めた。
「君も早く帰れよ。もう外も暗くなるから」
パソコンをシャットダウンしながら、ふとそれだけでは声かけが不足している気がして、言葉を継ぎ足す。
「休日出勤だって本来NGだよ。こだわりたいのは分かるけど、ビジネスには期限があるから。個人的なこだわりなのか、他人も求めてるブラッシュアップなのか、常に考えながら仕事しよう」
「は、はい。私も帰ります」
アンナが答える。
俺は自分の言いぶりが、まるで先輩か上司みたいだと思うが、チーフになったのだから、それも当然のことだ。
自分じゃ気付かないけど、俺も俺なりに進歩してんのかな。
少しは、ヨーコさんに見合う男になれてるのかな。
坊さんからの言葉を思い出しながら、つい口元がほころぶ。
そんな俺は、相変わらず単純だ。
「よしーー」
椅子から立ち上がると、アンナがいれてくれた紙カップのコーヒーに気づいた。手にして最後の一口を飲み干し、アンナに声をかける。
「コーヒー、ありがと。気をつけて帰れよ」
「え、あ、ま、待ってください、私も、今ーー」
アンナがパソコンのシャットダウン画面と俺の顔を交互に見比べる。出入口に足を向けかけていた俺は、立ち止まった。
二人で話したいことでもあるのだろうか。いつもすまし顔をしている彼女には珍しく、どこか落ち着かない。
「いいよ、待つから。ゆっくり仕度して」
俺は言って、ドア横で彼女を待った。アンナがシャットダウンを確認し、かばんを手に、駆け寄って来る。
「すみません、ありがとうございます」
「うん」
答えて歩き出す。アンナも黙って、一歩後ろをついてきた。
廊下に出て、エレベーターで1階まで降りる。正面ドアは開いていないので、裏口の警備員室前から出入りする。警備員に声をかけ、外へ出る。彼女からの話を待ってみたが、何か切り出す気配はない。それなのに、決意と戸惑いのないまぜな目を俺に向けてくる。
「……どうかしたの?」
俺が問うと、いえ、と首を振った。今年度に入って肩までの長さに切った髪が、さらりと揺れる。
前のポニーテールも似合っていたが、どこか突っ張った印象があった。今の髪型は彼女の気の強さを、芯を持った大人の落ち着きに感じさせる。
数歩、黙って足を進めたとき、彼女は言った。
「チーフにとって、奥さまはどういう存在ですか」
俺はまばたきして、アンナを見た。そして笑う
「羽根」
今度はアンナがまばたきした。
「わからないなら、いいんだ」
笑って答え、また歩きはじめる。アンナも一歩後ろをついて来る。
ビル街に沈む太陽が、空を朱に染め、紫へ、藍色へとグラデーションがかかっていく。
綺麗だなぁ。
こういう空を、またヨーコさんと一緒に見たいなぁ。
道行く車はライトを点灯して走りはじめている。俺はアンナに声をかけた。
「暗くなるから、早く行こう」
アンナは俺の目を見ず、頷いた。
「お母さんはああ言うてはるけど、もう少し話し合ってから決めようと思う」
とは今後のことだ。俺もそれがいいと頷いた。
「四十九日にはまた来ますから」
「うん」
「それまでは……なんかあったら、すぐ来ますね。呼んでください」
ヨーコさんは俺を見上げて頷いた。
その顔は仕事をしていたときとは全く違って、少女のように頼りない。そのまま連れ帰りたい衝動をなだめて、俺は「じゃあ」と手を挙げた。
新幹線の中で昼食を済ませた俺は、そのまま職場に向かった。帰宅しても落ち着かないと分かっているし、たまっているであろう仕事をチェックして明日に備えようと思ったのだ。
時計を見ると、もう2時を回っている。葬式後そのまま土日に入ったので、明日からはまた新しい一週間が始まる。
誰もいないだろうと思っていたのに、オフィスにはアンナがいた。俺は驚いて半歩後ろに引く。
「……お疲れさまです」
アンナは困惑顔で言った。俺も「うん」と答えてデスクに向かい、パソコンをつける。
アンナは職人気質というか、他人に粗を指摘されるのを極端に嫌がる。プライドが高いといえばそうなのだろう。他の社員と比べても、ツッコミが入らないよう相当に調べてからプレゼンに臨む。
そうやって他人に口出しされないようにがんばっている姿を見ると、昔のヨーコさんもこうだったのかな、なんて思う。俺がまだ出会う前のヨーコさん。いつだか、仕事も結構無理をしたものだと笑って話していたことを思い出す。「若かったからできたことやなぁ」と言っていた。
「……奥さまは」
「うん、さっき別れてきた」
「そうですか」
アンナが答える。若い女子にしてはあまり口数が多くないので、俺は内心ほっとした。
ヨーコさんの声や、柔らかい身体を抱いた名残が、まだ腕に、身体に、残っている。他の女と接して、せっかくの記憶が上書きされるのは嫌だった。
起動したパソコンの前に腰掛けてIDを入力し、たまったメールを確認していく。何か気になることがあれば、適宜社内メールしておいてくれと言ってあるので、部下たちから連絡が入っていた。
一つ一つ確認しながら、画面に集中していたとき、デスクの横にコトンと紙コップが置かれた。手を止めて見やるとアンナが立っている。
「今日……コーヒーメーカー、止まってるので」
そこにはアンナが買ってきたらしいアイスコーヒーが入っていた。俺はコップを手にして微笑む。
「Thank you」
アンナは珍しく、動揺したように見えた。
しばらく、オフィスには俺とアンナがたてる身動きの音だけが響いていた。会話もないまま2、3時間ほどしたとき、外が夕暮れになっていることに気づく。
「もう夏も終わりだね」
ぽつりと言うと、アンナはびくりと肩を震わせ、驚いたように俺を見て、こくりと頷いた。
「……そうですね」
そんなに驚くようなこと言ったかな。
俺は不思議に思って首を傾げた。
「……俺がいない間、なんかあった?」
「えっ、いえ……特には」
アンナは答えて、パソコンの画面に目を戻す。俺はそう、と答えて、TODOリストをスマホに送り、帰り仕度をし始めた。
「君も早く帰れよ。もう外も暗くなるから」
パソコンをシャットダウンしながら、ふとそれだけでは声かけが不足している気がして、言葉を継ぎ足す。
「休日出勤だって本来NGだよ。こだわりたいのは分かるけど、ビジネスには期限があるから。個人的なこだわりなのか、他人も求めてるブラッシュアップなのか、常に考えながら仕事しよう」
「は、はい。私も帰ります」
アンナが答える。
俺は自分の言いぶりが、まるで先輩か上司みたいだと思うが、チーフになったのだから、それも当然のことだ。
自分じゃ気付かないけど、俺も俺なりに進歩してんのかな。
少しは、ヨーコさんに見合う男になれてるのかな。
坊さんからの言葉を思い出しながら、つい口元がほころぶ。
そんな俺は、相変わらず単純だ。
「よしーー」
椅子から立ち上がると、アンナがいれてくれた紙カップのコーヒーに気づいた。手にして最後の一口を飲み干し、アンナに声をかける。
「コーヒー、ありがと。気をつけて帰れよ」
「え、あ、ま、待ってください、私も、今ーー」
アンナがパソコンのシャットダウン画面と俺の顔を交互に見比べる。出入口に足を向けかけていた俺は、立ち止まった。
二人で話したいことでもあるのだろうか。いつもすまし顔をしている彼女には珍しく、どこか落ち着かない。
「いいよ、待つから。ゆっくり仕度して」
俺は言って、ドア横で彼女を待った。アンナがシャットダウンを確認し、かばんを手に、駆け寄って来る。
「すみません、ありがとうございます」
「うん」
答えて歩き出す。アンナも黙って、一歩後ろをついてきた。
廊下に出て、エレベーターで1階まで降りる。正面ドアは開いていないので、裏口の警備員室前から出入りする。警備員に声をかけ、外へ出る。彼女からの話を待ってみたが、何か切り出す気配はない。それなのに、決意と戸惑いのないまぜな目を俺に向けてくる。
「……どうかしたの?」
俺が問うと、いえ、と首を振った。今年度に入って肩までの長さに切った髪が、さらりと揺れる。
前のポニーテールも似合っていたが、どこか突っ張った印象があった。今の髪型は彼女の気の強さを、芯を持った大人の落ち着きに感じさせる。
数歩、黙って足を進めたとき、彼女は言った。
「チーフにとって、奥さまはどういう存在ですか」
俺はまばたきして、アンナを見た。そして笑う
「羽根」
今度はアンナがまばたきした。
「わからないなら、いいんだ」
笑って答え、また歩きはじめる。アンナも一歩後ろをついて来る。
ビル街に沈む太陽が、空を朱に染め、紫へ、藍色へとグラデーションがかかっていく。
綺麗だなぁ。
こういう空を、またヨーコさんと一緒に見たいなぁ。
道行く車はライトを点灯して走りはじめている。俺はアンナに声をかけた。
「暗くなるから、早く行こう」
アンナは俺の目を見ず、頷いた。
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