色ハくれなゐ 情ハ愛

松丹子

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第四章 二人の生活

04 自業自得

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 社内の噂は、翌週には俺の耳にも届くようになった。

 いわく、事業部の安田丈が、妻の不在時に15年下の部下に手を出した。今までは妻が睨みをきかせていたから手を出さなかっただけで、結婚前は女を取っ替え引っ替えしていたーー
 そんな噂だ。

 自分のことはどうでもいいけど、ヨーコさんのことを侮辱されるのは許せない。
「どうしたら払拭できますかねー」
 ぼやく俺に、マーシーが苦笑した。
 上層部とのミーティングを終え、会議室を出た俺たちは、デスクに戻るために階段に向かう。
 会議室は7階にあり、俺がいる事業部は6階にあるので、エレベーターは使用不可との御達示があるのだ。
「人の噂も65日、放っとけばいずれみんな忘れるだろ」
「だって、まるでヨーコさんが怖い人みたいに言われてるじゃないですか」
 唇を尖らせると、マーシーは「まあある意味怖いよな」と遠い目をして言った。
「なんすか、それ。どういう意味ですか」
「いやー。お前をここまで骨抜きにするってのは、生半可な話じゃないだろ」
「まるでヨーコさんが床上手みたいな言い方しないでください」
「してない。断じてしてない」
「その否定、まるでヨーコさんの無垢な姿を知ってるみたいでむかつく」
「じゃあ俺はどう反応すればいいんだ」
 あきれるマーシーに、俺は唇を尖らせた。
 馬鹿みたいな会話だけど、マーシーに対してはついつい、むきになってしまうのだ。
 だって、ヨーコさんにとってマーシーは特別な男だから。
「ジョー君。久しぶり」
 声をかけられて立ち止まる。見やると、秘書室から出てきた女がひとり。
 歳の頃は俺と同じくらいか。タイトスカートのスーツに黒いストッキング。歳の割に、スタイルを維持していると言えるだろう。
「先行くぞ」
「はい」
 マーシーが気をきかせて階段へ向かう。俺はその女にむかって首を傾げた。
「で、どちらさま?」
「あはは」
 女は笑い、一歩下がる。行き交う人の邪魔にならないようにだろう。目でついて来るよう言われ、俺は内心ため息をつきながら従った。
 7階には、会議室と社長室、秘書室の他に、自販機が並んだ休憩スペースがある。
 社内に自販機があるのは、ここと1階のロビーだけだ。女は黙って紅茶を一本買った。
「あなたは?」
「自分で」
 答えてスーツの内ポケットから財布を出すと、女はふんと鼻で答えて紅茶を手に椅子に座った。
 俺はブラックコーヒーを買って、立ったままタブを引き開け、一口飲む。
 香りがほとんどない、苦みばかり際立つ液体が、喉を通って胃に落ちていく。
 ドリップのコーヒーを飲み慣れた俺には、この手のコーヒーを美味しいとは思えない。が、どうせ今から聞く話も、胸糞の悪い話なのだろう。黙ってもう一口飲み込んだ。
「忘れてるんだ、私のこと」
「そうですね」
「最低」
「よく言われる」
 相手は俺の腹を探ろうとしている。俺は探り合いする気もない。相手がどんな人間で、昔の俺とどんな関係だったかなど、今の俺には不必要な情報だ。きっと確認したところで、来週には忘れているだろう。
 女は不服げに鼻を鳴らして、紅茶を口にした。年相応に暗めの色の口紅が、薄い唇にくっきりと引かれている。
 抱いたのだろうか。
 その唇を見て、ふと思う。
 昔の俺は、この女を抱いたのだろうか。
 あの薄い唇に口づけ、細すぎる腰に自分の腰を押し付けて楽しんだのだろうか。
 目を反らし、大きなガラス窓に目を移す。休憩室という用途だからか、明かり取りのためか、このスペースの窓は大きい。周りのビルの合間から、薄灰色の空が見えた。すっかり秋空に近づいている。
 俺はまた、まずい飲み物を口にする。もう苦み以外ほとんど感じなかった。
「一途になったなんて、嘘だと思ったのよね」
 女は俺の反応を気にすることなく話し始める。
「どうせ、ヨーコに何か弱みでも握られてたんでしょう。火遊びに慣れたあなたが、ひとりの女で満足するなんて思えないもの」
 分かりきったような口調。俺は場を離れるタイミングを考えはじめる。
 女は、立ったままの俺に近づいてきた。
「でも、ダメよ。火遊びするなら、きちんとわきまえた女を選ばなくちゃ。……あんな、若いだけの子に手を出すなんて」
 苛立ちと欲望の入り混じった目が、俺を見上げて来る。
 俺はそれを見下ろして、また窓へ目をやり、コーヒーをあおった。
 まったく、昔の俺は馬鹿なことをしたものだ。
 こんな汚い女を抱いただなんて。
 それと同じ手で、ヨーコさんを抱いただなんて。
 女の汚れがついた俺の手が、ヨーコさんを汚す様を想像して、吐き気がする。
「ねえ、ジョー。その気があるなら、久しぶりにーー」
 伸びてきた女の手に、コーヒーの缶を押し付けた。
 女の驚いた顔を見ながら、俺は薄く笑う。
「勘違いしすぎ。俺、あんたに興味ない。ていうか、ヨーコさん以外に興味ないから」
 俺は女が触れた部分に触れないように、缶を持った手を下ろした。
「俺、もうヨーコさん以外に反応しないの。残念でした。他あたって」
 女と空間を共有することすら、気分が悪い。
 俺は唖然としている女を残して、その場を去った。

 6階に下りると、そのまま給湯室へ向かい、コーヒーを流した。
「あれ、飲まないんですか」
 たまたま通り掛かった部下が、不思議そうな顔をする。
 俺は笑った。
「うん、ちょっとね」
 部下は首を傾げる。俺は空いた缶をごみ箱に放り投げて、デスクへ戻った。
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