羽子板星

まみはらまさゆき

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第3章

(3)のちの盟友との出会い

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春になり牧雄と彰子はふたりとも同じクラスで2年生になったが、担任はバカラではなく産休明けの「お母さん先生」だった。
本当のお母さんのように優しく子供たちに接してくれて、バカラのクラスから上がってきた子供たちにとっては夢のようなクラスだった。

いじめっ子の山田は別のクラスとなり、しかも山田はバカラが持ち上がりでふたたび担任となった。
ひいきされていた山田にとっては別として、ほかの子供たちにとってはこの上ない災難だったろう・・・実際に牧雄や彰子たちは彼ら彼女らからグチや羨みを聞かされた。

しかし、彰子の体の弱いこと、こればかりは変わりようもなかった。
いやもっと状況はわるくなり、体育の時間はもっぱら見学だった。

授業中に体調を崩して、保健室で休むことも度重なった。
学校もますます休みがちになった。

牧雄は、彰子を守るがゆえに他の子供たちからは虐められていた。
彰子の祖父が「ひとごろし」ということはあの道徳の授業以来、クラスの垣根を超えて子供たちの公然の秘密になっていた。

悪者の孫だから、おおっぴらに彰子を虐めてもいいという共通認識が子供たちの中にあった。
無視する、物を隠す、悪口を言って嘲る・・・陰惨な虐めが続いた。

牧雄は以前にも増してひとりぼっちの彰子に寄り添い、隠された靴や傘を一緒になって探し、悪口を言う子供と彰子の間に立ったりした。
そんな牧雄に対する風当たりは、ますます強くなっていった。

彼に対しては、暴力的な虐めもあった。
数人の子供たちが牧雄を取り囲んで輪になって肩を組み、「カステラ一番、電話は二番・・・」と歌いながら中心にいる牧雄を蹴るというのは特に人気の虐めだった。

その背後には、だいたいにして山田の影があった。
山田は、違うクラスになっても他の子たちを使って牧雄に虐めを仕掛けてきた。

牧雄は手頃で虐めやすい標的として山田に捉えられてしまっていた。
時どき服は泥だらけになって綻び、手足や顔に痣を付けて帰ってくる牧雄を母親は心配した。

そんな母親に問い詰められて、何があったのか包み隠さず白状させられることも度々だった。
その度毎に母親は、彰子を守りひたすら堪え忍ぶ牧雄を慰め誉めてくれた。

父親の耳にも入ったことがあるが、「男だったらやり返せ」と逆に牧雄をぶん殴った。
だからそれ以来、父親には秘密のこととなった。

母親はただ牧雄を誉めるだけでなく、機会のあるごとに担任にも伝えた。
お母さん先生はそれを真摯に聞いてくれたらしいが、虐めた子を問い詰めるとか、学級会の議題にするとかいうことはなかった。

もしそれをすれば、却って牧雄と彰子を窮地に落とし込むだろうから、苦渋の決断の末だったのかもしれない。
ただ、学級会や道徳の時間に、「正義」とは何か、「正しい行動」とは何かを、物語の一部分を引いたりして2年生の子供たちにも分かりやすく問うて考えさせる機会を設けたりした。

そのような雰囲気の中で、牧雄や彰子たちに表立って虐めを仕掛けてくる子供は勢力を弱めていった。
虐めの現場を見て、いじめっ子に「いけないんだ」と抗議したり止めたりする子も、少数ながら現れてきた。

・・・

次第に牧雄と彰子にいい風が吹いてきた頃、また事件が起こった。
場所は、放課後の学校のトイレだった。

小便器に向かって小便をしていた牧雄は、いきなり背後から背中を捕まれ、後ろに引き寄せられた。
ズボンの前からトイレの床に尿を撒き散らしながら、牧雄は後退させられたのだ。

牧雄が恥を晒すのを見守っていたのだろう、トイレの入口から何人もの男児が飛び出してきた。
彼らは「わぁーっ!」とはしゃぎながら、牧雄を囃し立てた。

その向こうには、やはりと言うべきか山田がいた。
カッとなった牧雄はズボンの前を閉めることさえせずに、山田ではなく直接の実行犯の大江という山田と同じクラスの男児の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。

大江の顔は恐怖なのか何なのか分からないが泣きそうに歪み、「ごめん、ごめん」と牧雄に繰り返し謝った。
そこへ、騒ぎを聞きつけたバカラが駆けつけた。

「先生! 中島くんがションベン垂らして、それを大江くんのせいにしてます!」

中島は牧雄の名字だ。
山田は牧雄を一方的な悪者に仕立て、得意気にバカラに報告したのだ。

「このぉ~・・・バカモン!」

大江から引き剥がされた牧雄は、ビンタを3往復も食らった。
そして自分の尿で汚れた床の上に転がされた。

「汚いか? 汚いだろう! ・・・なんだその目は・・・お前が汚したんだぞ! 少しは反省しろ! ・・・おい、まだ分からんのか?」

最終的に牧雄は床の掃除をさせられることになった。
バカラは監視役に山田を指名し、戻っていった。

もう慣れっことは言え屈辱は屈辱だ。
唇を噛みながら、カビと汚れで黒ずんだ雑巾で床を拭いた。

「おーい、ちゃんとやれよぉ」

山田の嘲る声、それに合わせて他の子らの嘲笑。
牧雄は彼らを睨みつける。

「お? 戦う気か?」

山田がつかつかと歩み寄り、牧雄を足蹴にしようとした。
・・・その時、山田の脳天にモップの柄が振り下ろされた。

大江だった。
頭を抑えてうずくまる山田の後ろで、大江はモップを構え直した。

他の子らは仲間のはずの大江の反逆に、呆気に取られて言葉もなかった。
もちろん山田はもっとショックを受けただろうが、大江はそんな山田に再度モップを振り上げた。

「もう、イヤだ! おまえなんか大嫌いだ!」

山田は腰を抜かして這うようにトイレから逃げ、他の子らもその後を追った。
あとには、牧雄と大江が残された。

大江は掃除用具棚からもう一枚の雑巾を取ると、床を拭き始めた。
ボーッとしていた牧雄も慌てて床拭きを再開させる。

「先生にひいきしてもらって、弱い者いじめばかりしている山田なんか、大嫌いだ・・・いままで虐めてごめんね、本当にごめんね・・・」
「ありがとう・・・」

牧雄は大江と並んで床を拭きながら、なんだか嬉しくなった。
なんと言っても、大江は自分で山田に反抗して味方してくれたのだ。

・・・

大江は、街道沿いに最近できたクリニックの息子で転校生だった。
転校してきたばかりでひとりぼっちだった大江を、山田は自分の下僕として引き込んだのだ。

牧雄だけでなく他の弱い子たちへの虐めの実行犯として山田に使われていたが、とうとう我慢の限界に達したらしい。
そしてその日から、大江は山田に対して強い態度で出るようになった。

それに呼応するように、牧雄や彰子の味方をする子はさらに増えてきた。
もちろんそれは牧雄のクラスの中においては、お母さん先生の日頃の指導が効果を顕した部分もあっただろうけど。

次第に勢力を縮小していく山田たちの仲間は、しかし虐めを先鋭化させていった。
やることがどんどん暴力的に、そして陰湿になっていった。

しかし牧雄は大江と一緒になって・・・というよりは、大江に守られるように山田に抗った。
・・・ふたりがそれからあとの何十年もの人生を通じての親友というよりは盟友になるということは、当のふたりともまだ気づいてすらいなかったけれども。
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