財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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7.トランプ

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 人間の調教ほど難しいものはない。仕事を任されてしまった雫は頭を抱えていた。勢いで調教すると啖呵を切ったが、何をすればいいか分からない。郡司に相談してみるが「お任せします」と言われる始末だ。

「えっと……その、調教って言っても何からすればいいんですか? お座りお手じゃおかしいし……」

 郡司は少し考えた後にっこりと微笑んだ。

「そうですね、平日に一時間一緒に過ごしていただけますか? お休みの日は二時間ほど……それだけで結構です」

「いや、それだけですか? それだけで居候させていただくのもちょっと……」
 
 雫はあまりの自由時間の多さに驚く。何か手伝わせて欲しいと言うと「雫さまは客人ですのでそれは……」と言われてしまった。

 それにしても一緒に過ごすだけで調教になるのか? 今のところ顔を合わせば火花を散らしているが……喧嘩は調教とは少し違うような気がする。だが誠大と会話が弾むはずもない。

「無言でも……いいんですか?」

「それでも結構ですよ?」

 郡司は優しく頷いた。
 なんだか役立たずで申し訳ない気持ちになる。

 私しか出来ないことってなんだろう……特に取り柄もないんだけど……本物の犬のようにしつけするわけにもいかないし……。私よりも恵まれた環境にいる人間に何を教えろって言うのかしら……うーん。まぁ性格は最悪だけど。


 コの字形の屋敷の角にある部屋が雫が使っている牡丹の間だ。それから最も離れた逆の角に位置しているのが誠大の部屋である桔梗の間だ。雫の部屋のドアに牡丹が彫られていたが、やはり誠大の部屋のドアにも桔梗が彫られている。この東郷家の屋敷は各部屋に花の名がつけられている。
 雫は大きく息を吸い桔梗の花が彫られたドアをノックする。

「どうぞ」
「失礼します」

 雫が部屋に入ると誠大は露骨に嫌な顔をした。丁度ソファーに座って化学雑誌を読んでいた。雑誌を閉じるとテーブルの上に放り投げた。

「なんだ、また君か……調教はいらないぞ。君に直されるところなど無い」

「あきれた……自分のことを完璧な人間だとでも?」

 雫の返事を聞いたか聞いていないか分からないが、誠大は疲れたように首を回してソファーに体を沈める。沈黙が部屋の中に流れる。居心地の悪さを感じて雫は思わず天井を見上げる。業を煮やした誠大が腕を組み雫に睨みをきかす。雫も負けじと笑顔で参戦する。

「言っておくが、俺は貧乳は嫌いだ」
「あら嬉しい。私も野蛮な男は嫌いです」

「俺に惚れてもムダだ」
「私全く誠大さまに興味ないですね、うん、一ミリもないです」

「金目当てか?」
「お金? まぁお給料頂いてますけど……」

 誠大が立ち上がり雫の方へと近付いてくる。二人は仁王立ちして睨み合う。ボクシングの試合前の会見のようだ。恋仲でもないのに唇が触れ合いそうなほど近くに顔があるが二人はそれどころじゃない……どちらが先に視線を逸らすかの勝負だ。

 どちらも引くことなく睨み続けていると郡司が部屋に入ってくるなり慌てて二人の間に割って入る。

「おっと……危ないですね。さ、お互い意思疎通が出来たところでお茶にしませんか?」

 笑顔の郡司をよそに二人は怪しげな笑みを浮かべて火花を散らす。

「……いらん」

「欲しく無いとしても感謝の気持ちぐらい伝えたらどうですか?──郡司さんありがとうございます」

 誠大と雫は微笑み合っているが、その笑顔の裏にあるものを察知した郡司が慌てて二人を引き離す。

「あ、トランプ。トランプしたいですね! 雫さまトランプはお好きですか?」

 空気を変えようと郡司はポケットからトランプの箱を取り出した。懐かしい……大人になりめっきりする機会が減っていた。
 
「わぁ……したいです。いいんですか?」

 幼い頃を思い出し雫が顔を赤らめる。その様子を誠大は呆れたように見つめた。

「くだらん。ただのカードゲームだろう」

「…………? 勝負、しますか?」

「しない」

 雫はゆっくりとそして大きく頷いた。その表情はまるで菩薩のようだ。ただ目は笑っていない。雫は誠大を嘲笑うかのように口元に手を添えた。

「えぇ、えぇそうでしょうね、負けるのが怖いのは分かりますよ」

「……なんだと?」


──数分後

「……もう一度配れ」

「はーい」

 雫はカードを集めて混ぜ始めた。二人は【スピード】で勝負をしていた。雫の圧勝だった。雫の笑顔に誠大は悔しそうに顔を歪ませた。再びゲームを開始していくが誠大は雫に勝てない。雫は目にも留まらぬ速さでカードを次々と繰り出した。誠大は途中で諦めてゲームを中断する。

「もういい……」

「あら、いいんですか? カードゲームで負けて」

 雫がにっこりと微笑む。郡司はその様子を読書をしながら時折盗み見た。誠大は眉間にしわを寄せて顎に指を添えて自分が何故負けたのか考え込んでいる。

「今までカードで負けた事がないのに……運がないのか」

「それは手加減されてるんですよ。カードゲームで負けた事がない人なんていませんよ、私たち人間ですから……ロボットじゃないんですよ?」

「…………」

「負けたほうが伸び代があるって言いますよ、さ、もうひと勝負しませんか?」

「……配れ」

 誠大は上着を脱ぎシャツの袖を捲りあげた。【スピード】は最初は雫が勝っていたが誠大も段々と強くなり勝つようになってきた。

「よしっ!! 続けて勝てたぞ! 俺の勝ちだ!」

「あー負けちゃった……惜しかったな」

「……ふ、遊びに真剣になる日が来るとはな」

 誠大は嬉しそうに笑った。初めて笑顔を見た……嫌味じゃない心からの喜びの笑顔に雫もつられて笑った。郡司が驚いたような表情で読んでいた本を思わず落とした。郡司は誠大の無邪気な笑顔を久しぶりに見た。子供の頃以来だろう。

「誠大さま、なかなかやるじゃありませんか──はい」

「なんだ?」

 雫が誠大の前に手を伸ばす。誠大はその手をじっと見つめていた。雫は誠大の反応が可笑しくて笑った。

「ハイタッチですよ、勝利の喜びを分け合うんです。さ、手を──」

「……いや、いい」

 誠大はしばらく固まっていたが雫の期待の視線に気付きそのままそっぽを向いた。雫は郡司の方を振り返り郡司に向かってハイタッチをしようと手を伸ばした。郡司は戸惑いながらそっと雫の手のひらに自分の手を重ねた。音も出ないハイタッチに雫は苦笑いをするが財閥ではこんなふうに遊ばない事に気付く。

 二人共随分とお上品に育っちゃったのね。子供の頃とか友達と遊んだりできなかっただろうな……あ、そうか、これでいいのかも。私にしか出来ないことが分かった。

 雫は誠大の調教方針を決めた。
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