財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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34.だるまさん

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 木戸は先日張り込んで入手した写真を誠大に渡す為桔梗の間に向かっていた。この時間は調教の時間だ……手渡してすぐに出て行くつもりだった。ドアをノックしてみたが返事が無い。不審に思った木戸がそっとドアを開けてみた。ドアのそばの壁に誠大が立っており、なぜか郡司が悲しそうな顔をして誠大と手を繋いでいた。一メートル程離れたところに雫が時が止まったように手を伸ばし固まっている。目だけを木戸の方に向けるが体は全く動かない……。

「えっと……どうしたん──」

 誠大が木戸へと視線を移した瞬間そばにいた雫が誠大と郡司の握られた手を手刀で切った。

「よし!」
「ちっ……一二、三四、五六七、八九十!」

 雫と郡司はあっという間に誠大から逃げて最も離れた窓際へと逃げた。郡司はまるで窓の外にいる姫を守るように勇ましく立っている。雫は忍者のようにチェストの角へと身を潜めた。真剣な三人の表情に木戸は声を掛けられない。三人の間に流れる空気は殺伐としたものだった。雫は挑発するように誠大に微笑み掛けた。

「ちょっと……ズルは無しです。大きく三歩ですよ、三歩。誠大さま家具に触れるのは無しですからね」

「分かっている。何度も言うな……ちょっと待て郡司、お前今隙を見て左に移動したな? 正直に言え」

「動いていません。誠大さまが一歩進んだからそう見えるのではありませんか? 私はこのカーテンのそばにいました……何か証拠でも?」

 三人はどうやら何かのゲームをしているらしい。木戸はとりあえず部屋の中に入ると三人の様子を見ることにした。残り二歩で二人のうちどちらかに触れられなければいけないようだ。何を思ったのか誠大はくるりとドアを振り返るとドアのそばに帰って来た。木戸の肩に触れると強く握った。ギリっと音がした気がした。よく分からないが捕獲されたようだ。

「捕まえた……お前が鬼だな? 木戸」

「え? 何のことですか? 俺は仕事の写真を届けに──あ、そうです。鬼です」

 木戸が逃げようとすると誠大は恐ろしいほどの笑みを浮かべて凄んできた。その手には尖った岩のようなオブジェが握られていた。灰皿が可愛く思えた……鬼と認めなければ命が危うい。木戸の言葉に雫はパァっと顔を輝かせた。

「やった! 木戸さんもしましょう! だるまさんが転んだ」

「だるまさんが転んだ……ああ、なるほど。それか」

 幼い頃にやったきりの遊びだ。教室でやっていた頃は三歩まで歩いて上靴を当てていた気がするがこの部屋であれば三歩までで十分だろう。木戸も雫の調教に付き合わされることになった。早速鬼になってドアに顔を伏せる。

「だーるまさんが……こーろんだ!」

「「…………」」

 木戸が素早く振り返ると郡司は美しいポージングのマネキンのようだった。無駄に美しいので瞳が輝いて見える。雫はなぜか四つん這いになっておりその背中を誠大が掌で押し付けていた。雫は目だけを動かし誠大を睨みつけている。若干潤んでいるように見えるのは気のせいでは無いだろう。唇を動かさないように雫が低い声で唸る。

「誠大さま……卑怯ですよ、陥れようとするなんて……」

「ふん、足元をよく見ないからだ。俺の足が長い事を忘れたか」

 低レベルな会話をしている二人を見て郡司が笑いを堪えている。少し口角が動いた気がするがセーフだろう。木戸は再びドアを向いた。

「だーるまさんが……こーろんだ! あれ?」

「「…………」」

 先程とは様子が違う。郡司は早くも窓に向かって歩き出していた。計算高い郡司は雫と誠大どちらかが鬼に到達すると見て一人逃げ出している。卑怯ではあるが正解だ。誠大はなぜかそばにあった灰皿を手に鬼である木戸の方へと向かっている。体の一部に触れるだけで良いはずだがなぜか武器を手にしている。

「いや、おかしいですよね? 殺す気ですか?」

「気にするな、触れるつもりで灰皿を持っている」

「本気で触れるだけなら灰皿掴むとか余計な動きしなくていいですよね? リスキーでしょ!」

 木戸は己の命が危機に瀕していることを悟る。息を呑み誠大を警戒する。ふと見るといつのまにか雫の姿が最も近くにあった。手を伸ばし今にも木戸に触れそうだ。今の姿勢を保つのが辛いらしく雫はプルプルと震えている。木戸はどの手をじっと見つめて笑った。

「雫ちゃんアウトだな」

「えー? 木戸さんジャッジメント厳しくないですか? あぁ……もう少しだったのに」

 雫は残念そうに木戸の手を握った。突然の雫の行動に木戸の動きが固まった。その握られた手を見て郡司と誠大の目つきが変わった。郡司の瞳は氷のように冷たく、誠大の瞳の中には炎が見えた気がした。木戸は慌てて握られた雫の手を外すと乾いた笑いを浮かべた。

「は、ははは……あれだっけ? 手を繋ぐんだっけ? 小指だったかな? いや、側に立ってるだけでは? そもそも三人でやっていた時はどうしてたんですかねぇ?」

「え? 手を繋ぎますよね? そういえば三人の時には私捕まってないですね。鬼にもなってなかったし……さっき郡司さんと誠大さまも繋いでませんでした?」

 木戸はみるみる顔色が悪くなる。一気にモノクロ写真のように血の気が失われていく。郡司に救いの目を向けるが難しそうな顔をして微笑んでいた。木戸は悟った……内心自分と雫が手を握ったことを郡司自身も気に食わない事を。木戸は誠大に目を向けるが、気のせいだろうか……さっきの位置より近付いている気がする……持っていた灰皿も片手ではなく両手でしっかりと握られている。しっかりとした殺意を感じて木戸は天を仰いだ。

 ああ、神様──俺は何か悪い行いをしましたか? 真面目に徹夜して仕事の報告をしにきただけなのに……。

 様子がおかしい木戸を見て雫は無邪気に笑う。

「さ、誠大さまがあと少しで鬼にタッチですね! 助けてください、早く早く!」

「任せておけ……解き放ってやる──何もかも」

 誠大の言葉の裏に自分の魂も含まれている。木戸は聞こえなかったフリをした。とにかく次で誠大を捕まえなければ大変なことになる。木戸は急いでドアに顔を伏せた。

「だるまさんが──」
「転んだ……」

 耳元で誠大の声が聞こえた。後頭部の衝撃と共に脳が焦げたような匂いがした。木戸の今日の記憶はそこまでしかなかった。


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