財閥の犬と遊びましょう

菅井群青

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123.木戸の朝

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 皆が寝静まり野鳥の鳴き声だけが響く早朝──木戸の部屋からは騒がしいタイピングの音が絶えず聞こえている。目の下にクマをつくりながらデスクトップのパソコンを三台使い、必死で作業をしている木戸の姿があった。眠気をごまかすためか咥えタバコをしてモニターを見つめている。強めにエンターキーを数回押すと木戸は背伸びをした。その振動でタバコの灰が床に落ちたが木戸に気にする素振りはない。それどころではない、仕事に追われていた。風呂に入る時間も惜しい。食事は甘めのコーヒーで済ませていた。

「あぁ……クソッ、なんで俺ここに帰ってきたんだろう。戻ってきたばっかなのに、ひでぇよ。眠いし、腹減ったし。脳みそが煮える……」

 木戸は短くなった髪の毛を前後に掻くように往復しつつ舌打ちをする。木戸が戻ってくると誠大と郡司はまるで数日ぶりにあったようなあっさりとした感じで迎えてくれた。怒ってもいなかったし、喜んでいる様子もない……あまりにいつも通りなので木戸も拍子抜けだった。唯一雫は木戸の姿を見ると飛び掛からんとする勢いで歓迎してくれた。美智に遠慮してか、すんでのところで止めたが。その目尻からは涙が滲んでいた。

「ほんと良い子。それに比べてあの鬼どもは──」

 郡司は今までの分を取り戻すつもりでお願いしますとかなりの量の仕事を持ってきた。かなりややこしい案件ばかりだった。それを笑顔で「早急に、終わらせてくださいね」と郡司は言い切った。木戸の中で郡司は執事から鬼へと昇格した。誠大は元々鬼なので鬼二匹に仕えることになった木戸に明るい未来はない。それでも律儀に徹夜して仕上げるのだから、相当自分も物好きだと感じていた。

 まぁ、悪い奴らじゃねぇのは分かってるけどな。

 屋敷に居なかった間、なぜかいつものように高額の給料が振り込まれていた。仕事もしていないのに振り込むなんてミスではないだろう。奴を追っている間に必要な金は貯金で賄うつもりだったのに、使っても一向に減らない通帳残高を不審に思っていた。もしかしたら誠大は自分が何をしているのか、知っていたのかもしれないそう思った。木戸は新しいタバコに火をつけると煙を天井に向かって吹いた。

 凝り固まった腰を伸ばすべく木戸が立ち上がる。そのまま睡魔を堪えてバイクのキーを掴んだ。コンビニに何か食べ物を買いに行こうと玄関のドアを開けた。まだ外は薄暗く、靄が掛かっている。階段を降りながら木戸が大きなあくびをすると犬舎から明るい声が聞こえてきた。

「チンチン……チンチン! チンチーン!」

 ん?! ちんちん……え? 

 木戸は思わず足を止めて固まる。聞き耳を立てて辺りを警戒する。

 こんなに朝早くから何を大人が躊躇うワードを叫んでいるんだ? 聞き間違いか? 確かにちんちんって……。

「──もう。なんでかな、チンチンよ、チンチン! ほら、立って……?」

「ちんちん……た、勃って!? な、何てこった……」

 木戸は思わず階段にしゃがみ込む。口元を押さえて一人唸る。どうやら雫は誰かに手ほどきをしているらしい。木戸は階段を下りることを躊躇う。そして一人、また女教師シリーズのAVを思い出して興奮状態だ。ただでさえ徹夜で敏感になっている。

 ちんちんって言ったか? あの声は、雫ちゃんか? 誰もいない時間に一体何を……さては、誠大さまと檻の中で?

 木戸は徹夜続きで正常な判断ができていない。皆さんお察しの通りだが、雫はただ、ジャックに芸を仕込んでいるだけだ。ここからは木戸の妄想にお付き合いください。

「よいしょっと……ちょっと私の肩に手を置いて、そうそう上手ね。足をもう少し開けて……そうね、体を支えて……よし、グッドチンチン!」

「グッド──だと?」

 木戸は動揺し右往左往する。狭い階段の壁に手を置くと項垂れる。ただ、その眼光は生き生きとしていた。

 なんだ? どういう状況だ? まてよ、これは……立位で……足を……辱めを受けているシーンか……? でもそれなら褒めないだろう。グッドちんちんなんて……保育園児を褒めるような感じで言われちゃったら、おじさん恥ずかしくなっちまう……。マズイぜ……何やってんだよあの二人……純粋そうで俄然マニアックじゃねぇか!

 待て、木戸……冷静になれ。よく考えろ……そんなツッコミを言える人間は周りにいない。ノンストップ妄想だ。睡眠不足というのは判断が鈍る。しかも本能で物事を考える生き物だ。今の木戸はただの馬鹿な性欲果敢な男だ。

「……飯はいいや」

 木戸はゆっくりと足音を消して階段を上ると部屋に戻った。それから木戸は勤しんだ、バリバリに勤しんだ。どう勤しんだのかは想像にお任せしたい。

 その数日後、広場でジャックと駆けっこをする雫がいた。木戸の姿を見つけると雫は嬉しそうにフェンスのそばに駆け寄ってくると興奮した様子で声を掛けてきた。

「はぁ、はぁ……疲れた。木戸さん、ちょっと見てもらえません?」

「元気だなぁ、え、何?」

「チンチン」

 雫が首を傾げながら楽しそうにそのワードを言った。その瞬間隣でお座りしていたジャックが立ち上がると上手くバランスを取り座った。招き猫ならぬ、招きシェパードだ。雫はお利口なジャックを撫でると「ジャックったら、すっかりチンチンマスターね!」と微笑んだ。

「どうですか? すごいでしょ?」

「ん? ああ……人間って怖いよな。いや、こっちの話……グッドチンチンだぜ、ジャック」

 木戸は数日前のことを思い出し一人赤面した。人間はやはり食事をきちんと摂り、睡眠を心掛けるべきだ。木戸は雫とジャックの粒らで純粋な瞳を直視できなかった。
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