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32.徹夜の仕事

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 うちの社は鬼畜だ。
 ブラック企業並に仕事をさせる。そんな会社になぜ俺がいつまでも残っているのかというと、この会社がプログラマーとしての腕を存分に活かせる格好の場だからだ。

 俺のように少しワーカホリックな奴らだけがこの会社に残っていく。
 隣でヨガの修行中のような体勢の男も、向かいに座るVRで森を散策してリフレッシュしているやばい奴も俺の大事な戦友だ。

「上林、悪い……ここだけチェック頼むわ」

「うーっす」

 真っ白な顔にひどいクマをつけたこのやたらキレイな顔の男もその一人、時吉葵だ。

 最初入社式で隣の席になった時は俳優が紛れ込んでるかと思ったが、すっかりここに染まりクマが酷い残念なイケメンになっていた。
 ここ二ヶ月前までは──

 時吉は変わった。
 ひどい不眠症だったのだが、コインランドリーの魔女とやらを発見したらしく。劇的に症状が改善した。

 ただ、今日のように徹夜でPCに向かうと流石にむりなようだが、普段の仕事のミスも無くなり評価は上々だ。

 俺に仕事を託すと椅子に座りいそいそと引き出しの中から大事そうに一枚の紙を出す。

 爆発した髪の毛の女の絵だ。
 どうやらこれがコインランドリーの魔女らしい……そして今その女と付き合っているというから驚きだ。

 その紙はもうボロボロだが、時吉のやつは愛おしそうにその絵の中の女性を撫でる。すると時吉の目が虚になり一瞬カクンと首が前に倒れる。
 何度見ても不思議な光景だ。魔女とやらは恐ろしい力を持っているようだ。そのまま机に突っ伏して時吉は仮眠体勢に入った。

 しばらくすると起きてしまうのだが、この少しの時間がこの仕事では重要だ。脳を休め、ミスを起こさない事……それが重要だ。

 俺は一番下の引き出しから紫まむし極楽一発ドリンクを取り出す。それを一気に飲み干すと画面へと視線を戻す。

 き、効くなぁ……コレ。

 このドリンクは最近になって売上が上がっただろう。一部のファンが付いている。

 しばらくして葵が目を覚ました。上林が黄土色の顔色で画面とにらめっこしている。

「もう終わるぞ……テスト準備はいいか?」

「はーい……」
「OKっす」

 怠そうな返事が返ってくる。
 なんとかうまく稼働し、みなゾンビのように会社をあとにした。日も登っていないが始発が動き始める頃だ。葵がノロノロと歩いていると上林が話しかける。上林はこの後戦法の元へと行くため社用車で帰宅する予定だった。

「送ってやるよ、通り道だし」

「あ、悪いな。殺すなよ、安全運転でな」

「死ぬ時は一緒だ……」

 まったくシャレにならないが、葵は突っ込む元気もない。

 そのまま車に乗り葵のアパートの前へと送り届けた。公園へ太極拳に向かう高齢者の群れがアパートから出てきた。もういい時間なんだろう。

「悪かったな、わざわざ……気をつけてな」

「おう、とりあえず今日はゆっくりしろよ、ずっと同じ姿勢だったんだ俺みたいに傷めるぞ」

 数日前上林は徹夜明けに宅急便を受け取った瞬間にぎっくり腰になった。あれから最悪のコンディションだ。

「俺は腰は強いから大丈夫だ、問題ない」

「徹夜でたんだ気を抜くな」

「上林は連続で(プログラム)てたけど、おれは途中で休憩したから。……仮眠したらもう一踏ん張りだな。加勢が必要なら言ってくれ、横でサポートできる」

 葵の顔が赤くなる。疲れがピークになっているようで吐息が多くなる。

「時吉の(データの)は早くて正確だからな、助かるよ……じゃな」

「ん……お疲れ」

 葵が車を見送り振り返ると公園へと向かったはずのアパートの住人が一つに固まりこちらを見ていた。

「ん……あ……おはようございます」

「あ、あら、おはようございます……色々と大変だったんですね?」

 葵の充血した瞳とどこか遠い視線に、朝から元気な高齢者たちはどよめく。もちろん葵は気づかない。

「あぁ、そうですね。とりあえず帰ったらもうちょっと寝ようと思います……」

「ほ、ほほう……!? そうなんですね……頑張ってください、ほほほ……さ、皆さん、私たちも負けられませんよ! しっかり体を動かしましょう!」

 一同は優しく微笑み公園の方角へ消えた。
 その光景をアパートのベランダから見つめる人影がいた。その眼光は他の人たちとは違う色を含んでいる。

「まったく……」

 葵がアパートへと入るとその人物は部屋の中へと戻っていった。




「おかえりなさい」

 出迎えた華子はスーツに着替えていた。出勤前の準備中だったようだ。

「ただいまです……すみません……ちょっとだけでいいから、本当にちょっとだけ……」

「あと十五分で行かなきゃだめなんですけど、いいですか?」

「十分です……」

 ドアが閉まると廊下の陰から白髪マダムが覗いていた。

「短い──」

 マダムの呟きは誰の耳にも入らなかった。

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