白銀殿下と疎まれオメガの契約婚

野良猫のらん

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第三話 閉塞の離宮

 ジレにコート、下半身には丈の長い脚衣ブリーチズ。それが初夜の翌日に、侍女らに着付けてもらった服装だった。
 ごく一般的な貴族男性の服装だ。長い黒髪は、後ろで一まとめに結んでもらった。
 ああ、ドレスの鬱陶しかったこと。
 
「リュシアン様、離宮の中をご案内いたします」
 
 着替えを終えると、老年の侍女に導かれて建物内を歩き回ることになった。
 リュシアンが今いるのは、王都にある離宮の一つだ。今日からリュシアンはここに住み、数日に一度エドゥアールが訪ねてきて相手をするという契約になっている。
 つまりこの離宮は、リュシアン一人のためだけの建造物なのだ。
 
「こちらでございます」
 
 リュシアンはまず、隣の部屋に案内された。
 
「先ほどの部屋はリュシアン様の私室、そしてこちらは夫婦の間でございます。エドゥアール殿下と夜を過ごされる際は、こちらの部屋をご使用いただきます。どちらの部屋にも、浴室が備わっております」
 
 私室と行為をする部屋とで、分けられているようだ。私室に置いているもの……特に修道院長にもらった抑制剤など見つかりたくないので、部屋が分かれているのは大変ありがたかった。
 
 侍女は次々に部屋を案内してくれる。
 
「こちらは会食の間。お食事を取る場所でございます。ただいま朝食を用意しておりますから、離宮のご案内が終わり次第ここで食事をお取りいただきます」
 
「こちらは貴人の間。お客様をお招きされた際は、ここでご歓談いただくことができます」
 
「図書の間でございます。こちらで読書を楽しんでいただけます」
 
「午睡の間です。中庭の風景を眺めながら、午睡をお楽しみにいただけます」
 
 様々に部屋を案内してもらったが、リュシアンはいくつか気にかかったことがあった。
 
「この離宮、いくつかの部屋が薄汚れているようだけれど」
 
 流石に寝室は綺麗だったが、離宮を歩き回っていると、廊下の隅など埃が積もっている場所もあった。窓から見えた中庭には、もう春も始まろうというのに残雪が積もったままになっていた。掃除が行き届いているとは言い難い。
 老侍女がすぐさま頭を下げる。
 
「申し訳ございません、大急ぎでこの離宮を整えたのですが、わたくしどもの力不足で清掃が行き渡っていない箇所もございます」
 
 リュシアンは彼女を責める気はない。
 離宮はどう見ても新築ではなくお古だ。それに侍女たちの人数は、全部で四、五人程度だった。そんな少人数で離宮全体の掃除など、何日あっても足りないだろう。
 王太子妃には、必ず新しい離宮が建てられると聞いたことがある。それに侍女の数は最低でも十人は超えるはずだ。
 待遇に差をつけることで、お前は正式な妃ではないと言いたいのだろう。そんなこと、わかっている。あるいは、オメガが住む環境などどうでもいいということか。
 
 リュシアンは二つ目の気になることを尋ねた。
 
「それから、どの部屋も窓がはめ殺しになっているようだけど……?」
 
 案内されたどの部屋も、窓が開かない作りになっていた。
 リュシアンの問いに、老侍女は顔を曇らせた。
 
「リュシアン様が勝手な他出をなされないように……とのことです」
「そう」
 
 理由には想像がついていたが、予想通りだった。
 この離宮はリュシアンを逃がさないように作られていた。これではまるで、大きな牢獄だ。
 
 老侍女の案内は、それで終わった。玄関を案内されることはなかった。自分には無用の場所だということだろう。
 朝食の際に、侍女が全員やってきて自己紹介してくれた。侍女は全部で五人だった。一番年かさな老侍女が侍女長で、名をエマと言った。
 下働きの者が出入りすることもないようだ。おそらく、自分の存在が外部に漏れ出ないようにだろう。
 
「朝食が終わりましたら、お好きにお過ごしいただけます」
「わかった、ありがとう」
 
 テーブルに並べられた朝食を前に、リュシアンは両手を組もうとした。いつもの癖で、食前の祈りをしようとしたのだ。
 ――いけない。修道院の出だと、バレてはならないのだった。
 
 ここ数十年ぐらい、敬虔深さなど泥臭く優美でないとして、貴族はすっかり神へ祈らなくなった。食前の祈りなどしようものなら、侍女らに不審がられるだろう。
 
 リュシアンは心地悪さを覚えながら、両手を組むのをやめてパンを手に取った。お祈りをせずに食事をするのは、変な感じだった。
 違和感に耐えながらの食事の後、リュシアンは侍女長のエマに尋ねた。
 
「エドゥアール殿下は、今晩も足をお運びになるのだろうか?」
「さあ……わたくしからは何とも。新婚であらせられるのですから、しばらくは頻繁に御渡りになられるのではないかと思いますが」
「新婚、ね」
 
 自分とエドゥアールのどこが「新婚」だというのか。自分と彼とは、ただ単に親の都合で契約を交わしただけだ。おそらく、向こうも同じことを思っているだろう。閨でかけられた言葉を思い出しながら、鼻を鳴らした。
 食後、リュシアンは図書の間へと赴いた。
 
「それではわたくしは、リュシアン様にご満足いただけるようにこの離宮を清掃してまいりますね」
 
 と笑って、エマが去っていった。
 
 リュシアンは少しの間、適当に選んだ本を広げて視線を落としていた。読書は嫌いではない。修道院では、一日の内に必ず読書の時間が設けられていた。
 
 だが、内容が頭に入ってこない。
 リュシアンはがんばって読書しようとしたが、そのうち耐え切れなくなり、ガタリと立ち上がった。
 ――ええい、こうしていられるか。侍女たちが掃除をしているのに、自分はのうのうと読書だなんて。
 
 修道院では、仕事をするときは皆同じ時間に働いていた。自分だけ休んでいるなんて、できない。皆が掃除をしているならば、自分も掃除をしなければ。修道院の出だとバレてはならないが、掃除に参加するくらいならば大丈夫だろう。
 リュシアンは図書の間を出ると、つかつかと離宮を歩き回った。侍女たちの姿は、すぐに見つかった。先ほど案内された際に、薄汚れているなと感じた廊下を掃除してくれていたから。
 
「リュシアン様、何か不足がございましたでしょうか?」
 
 エマが若い侍女たちを庇うように、前に進み出た。図書の間で読書していたはずの主人の登場に、よくないことを連想しているのだろう。 
 
「お……わたしも参加させてくれないか」
 
 危うく俺と口走りそうになりながら、腕をまくった。
 
「それは、リュシアン様がお掃除をなさるということですか?」
「ああ、もちろんだ」
 
 後ろで若い侍女たちが、困惑した様子で顔を見合わせている。
 
「リュシアン様を働かせるなんて、そんなことできようはずがありません。わたくしどもが力不足に感じられるのかもしれませんが、どうかご容赦を」
 
 エマはリュシアンの申し出を、叱責の一種として捉えたようだ。深々と頭を下げてくる。
 
「いやいや、違うんだ。頭を上げてくれないか」
 
 慌てて頭を上げさせる。
 
「わたしは単に、皆が働いているのに自分一人だけのうのうと休んでいることができないんだ」
「そう申されましても、リュシアン様は貴き御方でございますから」
「貴き御方なんかじゃない、囚人だ。この離宮に閉じ込められ、出られないでいる。皆も知っていることだろう」
 
 リュシアンの言葉に、エマはゆっくりと首を横に振った。
 
「いいえ、貴方様は貴き御方でいらっしゃいます。貴き御方に仕えているのだという矜持が、わたくしどもを支えているのです。……わたくしどもも、みだりに外へ出ることは許されていないのですから」
 
 エマの主張は、リュシアンがしっかりと主人らしくしていてくれねば、自分たちの方こそこの離宮に閉じ込められただけの囚人になってしまうというものだった。
 リュシアンは虚を突かれた思いになった。たしかに、彼女の主張も理解できる。
 
「……すまない。わたしの申し出は自分勝手だったようだ」
 
 リュシアンはうなだれる。自分には、好きに働く権利すらないのだ。
 踵を返そうとしたところで、明るい声が響いた。
 
「いいじゃないですか、エマさん」
 
 声を発したのは、若い侍女の一人だ。
 
「リュシアン様は、お掃除をしたいとおっしゃっているんです。主人の望みを叶えるのが侍女の務めであると、エマさんは言っていたじゃないですか」
 
 若い侍女の意見に、希望が胸に灯るのを感じた。このまま働きもせずに日々を過ごすだけなんて、絶対に幸せにはなれない。幸せになると決めたのだ。
 
「けれども……」
「わたしは純粋に働いていたいだけなんだ、頼む……頼みます」
 
 主人らしくしていろと言われたばかりだが、リュシアンはエマに向かって頭を下げた。主人が侍女に頭を下げるなんて、普通ならばありえない。
 もう主人らしく振る舞うことに、こだわってなどいられなかった。正直、横柄な口調でいることに疲れていたところだった。
 
「リュシアン様、頭を上げてくださいませ! わたくしどもに頭を下げてはなりません!」
 
 今度はエマが焦って、顔を上げさせる番だった。
 
「リュシアン様のお気持ちはわかりました。しかしですね、リュシアン様には夜に大切なお仕事があるではないですか。わたくしどもと一緒になって働いて、体力を浪費させるわけにはいきません」
 
 オメガと言えど、男なのだ。侍女たちよりも体力はあるはずだ。それに、あんな事務的な行為に体力がいるものか。せいぜい不快感があるだけだ。
 けれども、エマは納得しないだろう。
 
「なら、皆で働いて皆で休憩を取りましょう」
 
 だから、代わりに提案した。
 口には出せぬが、修道院で働いていたときにもそうして働いていたものだ。たったの一月前の日常が、ひどく遠い昔のことに思える。
 
「皆で働いて、皆で休憩を?」
 
 エマが目を丸くさせる。
 
「なんなら、休憩時間にはわたしが菓子を皆に振る舞いましょうか。こう見えても、菓子作りは得意なんですよ」
 
 修道院では、よくパンを焼いていた。砂糖が手に入れば、菓子を焼くこともあった。仕事の一つだ。
 エマは後ろの侍女たちを振り返って顔を見合わせると……くすくすと笑い出した。
 
「ふふふふふ、どうやらわたくしどもの主は相当変わった御方のようですね。皆で働いて、皆で休憩して、お菓子ですって」
 
 彼女らの笑顔に、自分が主人として受け入れられたことを感じた。非常に幸いなことに、彼女らはオメガに対する差別意識がないようだ。
 ほっと胸の内に安堵が広がるのを感じた。
 
「そのお言葉に従うならば、お菓子作りも皆で一緒かしらね」
「お菓子作りは嫌ですか?」
 
 リュシアンの心配を、エマは笑い飛ばした。
 
「まさか! どうして嫌なはずがありましょうか!」
 
 離宮という新たな場での、リュシアンの日常が始まった日だった。
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